江別神社「宮司の独りよがり」

名前
Eメール 非公開転送 表示または未記入
タイトル
本文 YouTube挿入 自動リンク || 改行無効 改行有効 図/表モード タグ有効
   削除パスワード   保存   

全 1175 件 [ 1 .. 113 114 115 116 117 118 | 一覧 ]  

ページ 118 (1171〜1180)   ホームページ
「江神會」新年会 引用
江別神社宮司 2005/2/25(金)11:56:59 No.20050225115645 削除
明日26日は遅ればせながら「江神會」の新年会であります。
いろいろな事情が重なって開催時期が遅くなってしまいましたが
新年会はひとつの大きな区切りです。

今年もどうか「元気で、仲良く、楽しく」宜しくお付き合い
願います。

「乙 酉」 引用
2005/2/13(日)13:16:13 No.20050213130359 削除
クリック! 307x230 (26,595バイト)
No.1
クリック! 512x384 (62,274バイト)
No.2
クリック! 640x480 (98,741バイト)
No.3
クリック! 640x480 (93,322バイト)
No.4
   全町内会の雪像制作実行委員会で作業をした雪像、ついに完成しました。
14日間の長期間に渡り、厳しい条件の中、実際に作業に当たられた方々、また物心両面で支えてくださった皆様に江別神社さんの掲示板をお借りして衷心より感謝申し上げます。
納得のいく、悔いの残らない作品を作る努力を続けた2週間でした。
結果「芸術・力作賞」を受賞することができました。
ありがとうございました。
Re: 「乙 酉」 (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/2/13(日)16:42:21 No.ejinjya-20050213130359.1 削除
趙 平足様、久々の御登場であります。
すばらしい写真、書き込みを頂き誠に有難う御座います。

厳寒の中での連日に亘る雪像作り、本当にご苦労様でした。
小生は自身の体調管理と私用とで、ろくにお手伝いも出来ず
心苦しく思っております。

今年の出来ばえは例年よりも完成度、芸術度ともに良い出来で
あったと感じております。

「芸術・力作賞」も二年連続での受賞ですが、皆さんがあの寒さの
中で頑張った成果でありましょう。

「乙酉」を「おっとり」と読ますとの事ですが、実生活でも
「おっとり」と過ごしたいものです。
Re: 「乙 酉」 (返信2) 引用
きたろう 2005/2/24(木)06:07:19 No.ejinjya-20050213130359.2 削除
 腸閉塞、じゃなかった、趙平足さん、おひさ!

 寒い中、お疲れ様でした。

 若い頃に、それが社会正義とばかりに熱病に浮かされたように雪をいじっているのと違い、腰を落として、しかしながら肩肘張らずに、淡々と、蕩々と「まち」に彩りを添えている趙さんはじめ皆様の熱意には感服しています。

 が、ワシは、寒いのは嫌じゃあ!

 重いのも、歩くのも嫌じゃあ!

 はい、相変わらずのダダッコ、でした(笑)。
Re: 「乙 酉」 (返信3) 引用
江別神社宮司 2005/2/25(金)07:35:54 No.ejinjya-20050213130359.3 削除
きたろう様、書き込みを頂き誠に有難う御座います。

小生も狭心症以来、寒いところに長時間居るのは避けるように
しています。
ましてや寒いところで作業して汗をかくなど、もってのほかで
御座います。

近年はもっぱら「賄い係」をやって、炭火の前から離れません。
まったく不自由な身体になったもんであります。


きたろう様は「緑の絨毯の上」を「金属の棒っこ」を振り回し
ながら歩く分には、少々寒くても長時間の歩行も楽しみになるん
でしょうね!?

大 殺 界 引用
江別神社宮司 2005/2/15(火)13:44:13 No.20050215134311 削除
小生は朝食時のニュース以外ほとんどテレビを見ないのですが
「細木数子」の出演する番組を女房に付き合って見ました。

「占いは統計学」であると言う言葉に魅力を感じて
先日、六星占術の本を買って読みましたが、何とここ3年間は
小生は大殺界だったのです。

どうりで次々と病気を抱え、父の死、母の死をはじめ身の回りで
ろくな事が起きないのです。

本によれば今年一年で大殺界とおさらばします。
来年からの小生は凄いです。
今年一年間は脇を締めて、じっと我慢の子であります。

しかし、大殺界でも何とか仕事もして、生きていられるだけ
いいのかも知れません。

緊  張 引用
江別神社宮司 2005/2/8(火)08:06:23 No.20050208080535 削除
この4日から昨日まで母の四十九日の法要と納骨のため、
静岡県藤枝市の女房の実家に行って参りました。
無事に終えて、またひと段落つきました。

今回の母の急逝で結婚以来初めて年末年始を女房なしで
過ごしました。

「狭心症の発作を起したらどうしよう」とずうっと緊張
しっぱなしでした。

「代役」の効かない仕事なので、こういう時の精神面での
自分の健康管理が大変です。

これほど「緊張」して年末年始を過ごした事はありません
でした。

この間、「江神會」の皆さんを始めとする友人、先輩達の
物心両面に亘るご好意には本当に感謝に堪えません。

皆さんの「支え」によって「自分が在る」事を再び深く深く
自覚致しました。
本当に有難う御座います。



スクープ写真その2 引用
フンバルト 2005/2/6(日)13:00:46 No.20050206125755 削除
クリック! 256x170 (17,321バイト)
No.1
クリック! 256x170 (17,005バイト)
No.2
クリック! 256x170 (14,102バイト)
No.3
クリック! 256x170 (13,226バイト)
No.4
  続きでげす。
まだまだ証拠写真を保存しておりますが、
いざという時のために、拙者が秘匿しておきます。
Re: スクープ写真その2 (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/2/8(火)07:48:07 No.ejinjya-20050206125755.1 削除
フンバルト様、連ちゃんで有難う御座います。

右上に写っているのがあの「幻の年代物のアレ」ですな!!
飲みすぎて、確か泊まられたそうで、しかも家主に
添い寝までしてもらったそうで、何とも羨ましい!!

スクープ写真その1 引用
フンバルト 2005/2/6(日)12:53:15 No.20050206124636 削除
クリック! 256x170 (15,565バイト)
No.1
クリック! 256x170 (9,476バイト)
No.2
クリック! 256x170 (15,023バイト)
No.3
クリック! 256x170 (15,131バイト)
No.4
  お久しぶりでげす。
先般 S藤氏邸にて何やら不穏な動きがあったようなので、
拙者が接写してまいりました。
その映像を公開いたします。
Re: スクープ写真その1 (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/2/8(火)07:42:55 No.ejinjya-20050206124636.1 削除
フンバルト様、怪しげな写真を貼り付けて頂き
誠にありがとさんで御座います。

皆さん、ニヤニヤと笑いながら怪しげな雰囲気が
漂っている様子が良く分かります。

右下の方は確かタバコを止められたように記憶して
おりましたが、指に挟んでいるのは正月にうちでひいた
「おみくじ」か何かでしょうか?

「死ぬまで一緒」拝読致しました。 引用
羽幌神社 禰宜 2005/2/1(火)02:35:09 No.20050201022806 削除
ご無沙汰しております。

独り言拝読致しました。
内容が重く軽はずみな書き込みをして良いのか、
とまどってしまいました。

以前にもお話したことが有りますが、
私の祖母はボケ老人で青春時代の殆どを同居しましたが、
正直、辛い思い出しかなく内容に心が痛みました。

お母様が貫いた愛情と信念、ただただ頭が下がります。
いろいろな思いが有りすぎて、それを書くとかえって、
ご家族のお心をかき乱してしまうのではと思い。
慰めに成るかどうかは分かりませんが、
荒俣 宏 氏の言葉を贈ります。

「人生哲学の半分はあきらめる為の知恵である」
人は思うことの全てを成し遂げる事は出来ないし、
人の力ではどうすることも出来ない事が山ほど有ります。
尊厳を持ちながら「あきらめる」それこそが人の知恵だと、
この言葉に感じました。

宮司様と奥様、特に奥様は
「もっと何かしてあげる事が有ったのでは?」と
ご自分を責めてはいないかと心配しています。
親は子供の幸せを誰よりも願っています。
いたずらに自分を責め苦しんでも、
親孝行には成らないのではと。思うのです。

言葉足らずですみません。




Re: 「死ぬまで一緒」拝読致しました。 (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/2/1(火)13:29:37 No.ejinjya-20050201022806.1 削除
羽幌神社禰宜様、御丁重なる書き込みを頂き誠に
有難う御座います。
今年もどうか宜しくお願い致します。

「人生哲学の半分はあきらめる為の知恵である」
真実の言葉と思います。
人生なんて自分の思い通りにならない事の方が圧倒的に
多いですもんね。

旨い事「自分自身の落とし処」を見つけられると気持ちよく
生きられるのでしょう。



女房の事までご心配頂き恐縮です。
訃報に接した時には相当にへたり込んでおりましたが、幸か不幸か
残された父の現実に直面して、悲しんでばかりはいられない気持ち
になっているようです。

きたろうの独り言 25 引用
きたろう 2005/1/28(金)10:08:01 No.20050128100622 削除
クリック! 320x226 (19,599バイト)
No.1
クリック! 320x226 (43,129バイト)
No.2
クリック! 320x226 (47,286バイト)
No.3
クリック! 320x226 (18,603バイト)
No.4
  □□□□◆□□□□□□□□□■■■■◇■■■■■■■■■
          きたろうの独り言 25
■■■■◇■■■■■■■■■□□□□◆□□□□□□□□□

 知らぬこととはいえ、奥方ご母堂の逝去に愁傷を申し述べる時宜を失し、礼を喪うことになった。
 ご寛恕下されたい。

 更新された宮司の独り言を読んだ。

 さもあるらむ、と心痛を慮る。

 かたやで、先日、読んだ本の一節を思い出した。
 というよりも、この情景が忘れられずにいたのだが、この度の宮司の独り言と重なって見えたのである。

 概要以下の如し。

 年来の心友が急逝したのを聞いた老剣客が、
「やつの死に顔なぞ、見たくもないわ。」
 といい、葬儀にも参列せず、妻ひとりをその心友宅に向かわせた。

シチュエーションはまるで違うし、行かぬ理由も異なる。
 が、おそらく誰もが、この老剣客の気持ちも、宮司のこころ根も、心底理解し、納得していよう。

 逝去を痛む気持ちは、なにも葬儀場でしなければならぬものではない。
 むしろ、弔辞を読みたがる栄誉好きの老人がいると聞くが、そのような、上っ面の悲しみよりは、地球の裏側でこころの井戸の底から痛むほうが、いかに故人が喜ぶか知れない。

 「死ぬ」ということは、まことに恐ろしくもあり、悲しくもある。

 或る作家が、次のように言っていた。

 人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向かって歩みはじめる。
 死ぬために、生きはじめる。
 そして、生きるために食べなくてはならない。
 何という矛盾だろう。
 これほどの矛盾は、他にあるまい。
 つまり、人間という生き物は、矛盾の象徴といってよい。

 このように、悟り切れれば、それは、釈迦牟尼仏のようなものだが、凡人にはなかなか、その心境に至るのは難しい。

 そういう者でも、ふうっと、水が砂に染みこむように納得してしまう、そして、心強くさせてくれる詩があった。

 紹介して、哀悼の意を伝えたい。

   私のお墓の前で 泣かないでください

   そこに私はいません 眠ってなんかいません

   千の風に 千の風になって

   あの大きな空を 吹きわたっています

   秋には光になって 畑にふりそそぐ

   冬はダイヤのように きらめく雪になる

   朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

   夜は星になって あなたを見守る

   私のお墓の前で 泣かないでください

   そこに私はいません 死んでなんかいません

Re: きたろうの独り言 25 (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/1/28(金)17:12:16 No.ejinjya-20050128100622.1 削除
きたろう様、御丁重なる書き込みを頂き誠に有難う
御座います。

投稿頂いた写真と詩は小生の友人が主宰するサイトでも
たまたま紹介されており、既に知っておりました。

最近、相当確信を持って「命より大切なものがある」と
思い始めております。

「命そのもの」よりも「生き様」の方が尊いと思って
おります。

「ひたむきに」「必死に」生きている姿に感動を覚えます。

以前、旧知の友が
  「人は何年生きたかではなく、どう生きたのか」
が大切なのだ、と言っていたのを思い出します。

「初 命 日」 引用
江別神社宮司 2005/1/26(水)07:58:31 No.20050126075730 削除
丁度一ヶ月前の今日、藤枝市住むに女房の母が急逝致しました。
苦汁の決断でしたが、小生は参列せず女房と長男をやりました。

初めて年末年始を次男と二人で過ごしました。
この間、多くの友人、先輩達からほぼ毎日日替わりメニューで
食料の差し入れを頂きました。

煮ィ、おでん、焼き鳥にギョウザ、おせち料理に漬物と全く
食生活に不自由する事無く過ごせました。

本当に、本当に感謝に堪えません。



訃報に接した時、へなへなと座り込んで半日間も口の聞け
なかった女房も、大分立ち直ってきたようです。

結婚して21年経ちますが、この間藤枝の両親には息子らしい事を
何もしませんでしたが、せめて母の「生き様」を知って欲しくて
作文しました。

超高齢化社会を迎え、なるべく他人様の手を煩わせない様に
生きようと思えば、母の様なケースが増えてくるのではないか
と感じております。


早いもので、きょう26日は初めての「月命日」です。

「運気を下げない」為には 引用
ハッシー 2005/1/22(土)10:15:48 No.20050122101256 削除
厄払いの時期になると、いつも思い出すことが有ります。
それは、私が43歳の 後厄の年のことです。

本社勤務の時で、板橋に住んでいました。
正月休みも終わり、全国から部下が戻ってきたので
週末に、職場の新年会をやり 2次会も終わって
いつも仲間のアパートに集まり最後の大宴会です。

たまたま、明日の休みの行動予定の話になり
私が、「俺は、今年は後厄だから 西新井大社に厄払いに行く」
と言う 話をしたところ 25歳が2人いました。

一人りは、札幌出身 もう一人は、熊本出身でした。
二人とも、「連れて行ってください。」と言うので
翌朝、車で迎えに行くと
札幌出身の N川は、眠そうに起きてきて車に乗りました。
熊本出身の I橋は、起きれません やめます。

結局3人ではなく、2人で 西新井大社にて「厄払い」をうけました。

さて、次の週末です。
職場で、苗場にスキー旅行です。
「厄払い」に行かなかった I橋君がスキー場でころんで 
足を骨折 2ヶ月の入院をしてしまったのです。

母親は九州から飛んでくるは、本人はもちろん
仲間も、職場もたいへんでした。

この時いらい、私は確信しています。
「厄払い」に気付かずに、前 本 後の3年を過ごせれば良し。
気付いた時 あるいは 知ってしまった時は
絶対 「厄払い」に行くべきです。

これが、私の経験値で
大難は、小難に
小難は、無難に 過ごせる 「運気を下げない」方策と
思っております。



Re: 「運気を下げない」為には (返信1) 引用
江別神社宮司 2005/1/22(土)15:45:34 No.ejinjya-20050122101256.1 削除
ハッシー様、貴重な書き込みを頂き、誠に有難う御座います。

ハッシー様の仰る通りと思います。
「厄年」は知らない間に通り過ぎているのが理想と思います。

気がついたら「去年、厄年だったんだ」というのが一番良いのです。

しかし、一旦気になりだした方はお祓いを受けた方が良いでしょう。

何故かと言うと、何か災いが起こった時に厄祓に行ってないせい
にして、後悔するからです。

災いが起きる時には「厄年」であるか否か、「厄祓」を受けたか否かに
関係なく起きますが、「自分が後悔する種」を「自分で蒔く」事は
ないのです。

これがハッシー様の仰る
「大難は小難に、小難は無難に過ごせる運気を下げない方策」なのでしょう。

為になるお話、有難う御座いました。




昨夜は遅くまでご苦労様でした。
今日は結構忙しいのですが、二日酔いの身体にムチ打って
頑張ってます。


パスワード  

ホームページ | 携帯アクセス | 一括削除

全 1175 件 [ 1 .. 113 114 115 116 117 118 | 一覧 ] 98%使用        検索 文字列(1単語)を含むメッセージを検索します

レンタル掲示板 | 利用規約 | 管理者へ連絡 | 障害情報 | 違反発見報告 | 管理パネル