みんなの広場「こころのパレット」

全 1505 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 .. 151 | 一覧 ]  

ページ 3 (21〜30)     ホームページ
〈夕暮れに当たって〉 引用
池見隆雄 2023/10/13(金)14:31:44 No.20231013143015 削除
 モクセイの芳香が 今日の幕引き

〈秋のグループ余話〉 引用
池見隆雄 2023/10/10(火)14:06:10 No.20231010135347 削除
 昨日、秋のグループ終了。
 参加のそれぞれの方に、何らか収穫を得ていただけたのではないかと思う
 ――会場の「明治屋旅館」の、歩行の不自由な老女将も、
  「皆さんから力をいただきました」と見送ってくれた。

 出会いの妙、会場とそれを取り巻く自然環境のさりげなく濃やかな心遣いなど、
 それらが相俟っての収穫だろうと思う。

 参加者のうちに、〈今を生きる〉に登場いただいた、
 病と共に生きていらっしゃる方(ル・コンシェさん)の知人が交っておられたのには
 少なからず驚かされた。
 偶然というには、あまりにもタイミングが合い過ぎている。

 その方が、ル・コンシェさんへメールで、私の書き込みについても報せられたのだろう、
 返信が届いた。
 新たな出会いが、再会を招き寄せてくれた。

 これから気候も寒さへ向かいますが、
 “普通の生活”を、音楽をも楽しまれつつ継続して行かれますよう。
 私は、一昨年一月以来、耳疾を抱えていますが、
 グループに臨めば、不思議に、そのハンディに悩まされずに済んでいます。
 

〈今を生きる〉 引用
池見隆雄 2023/10/4(水)14:41:17 No.20231004142757 削除
 今月6日(金)から9日まで、秋の3泊エンカウンター・グループが開かれる。
 参加者、スタッフ合わせて10名。
 (福岡県糟屋郡篠栗在の)「明治屋旅館」を会場として何回目になるか?

 山の中腹に位置するこの会場からは、福岡市街がほぼ一望できる。
 何年か前には、年老いたオスの大鹿が、
 グループの進行している和室の、つい目と鼻の先の畦(あぜ)で、
 恐らく寿命のため息絶えた。
 それは夜間の出来事で、
 ふいに皆の耳へ、「ケーン」と鳴き声がその方角から三度伝わって来、
 だれもが、鹿の最期を覚(さと)ったのだった。

 そのグループにはたまたま、重篤な病と共に生きておられる方も参加しておられたが、
 その後、消息は不明。
 お元気であれば幸いだが、
 そうでなくても、あの時の“今”をご一緒した事実に変わりはない。
 そして、その“今”は、小文を記しているこの“今”に異ならない。
返信(1)を読む 最新返信日:2023/10/9(月)08:56:34

〈働 き〉 引用
池見隆雄 2023/10/6(金)12:14:31 No.20231006120713 削除
 このところ、
 主に山歩きや日々の早朝散歩によると思われる疲労、倦怠の自覚がただならない。
 それに伴って、仕事も捗らない――「手に付かない」の方が妥当か?

 そのようであれば、つい先頃までなら、気分も滅入り、
 不安や恐れに苛まれたことであろうと想う。
 もちろん、そういう心持にも陥りかけはする。
 しかし、何かがその成行を阻止するふうに働いてくれる。

 それも自然治癒力の内、
 いや齢を重ねたということか?

〈ミニ・グループ〉 引用
池見隆雄 2023/10/5(木)13:53:00 No.20231005134650 削除
K 様

 昨夜の定例のミニ・エンカウンター・グループへのご参加、
 ありがとうございました。
 私はやや疲れ気味でしたが、Kさん、Yさんとの会話を楽しむことが出来、
 終了後にふと、
 「生きて行かなきゃ」と思われたものです。

 その余勢をかって、今日は、バイクの免許更新へ出かけて来ました。
 
 参加者名簿で確認すると、前回のKさんの参加は5月と判明。

          9月〇日

 

〈シンプルな嬉しさ〉 引用
池見隆雄 2023/10/3(火)14:51:04 No.20231003144000 削除
 昨日午前中、『二コマコス倫理学』を読了。

 当初、その論陣の堅さに跳ね返されるとでもいう按配だったのが、
 三ヶ月余取り付く間にようやくなじむことができ、
 後半四分の一ほどは、吸気のように論旨が沁み入ってくる、
 シンプルに嬉しかった。
 (それにしても、悠揚迫らぬ文章の姿、)

 その心地良さを手放し難く、
 同著者の『形而上学』へも手を伸ばしかけている。

 訳者解説によって、二コマコスとは、著者の実子(息子)の名なのだと知る。
 この書物は、彼が校訂出版したという説もあるらしく、
 題名も、それに由来するのかもしれない。

〈帰属と自由 A〉 引用
池見隆雄 2023/9/27(水)15:28:29 No.20230927145326 削除
 「帰属感」をもう少し平たい表現へ移すとすれば、
 「ここに居てもいいんだよ」と学校が、私へ両腕を開いてくれているとでもなろうか。
 そして、こちらは、
 “学校”を形成する要素を思うままに享受することができるのだった。
 ――踏みしめる廊下とバスケット・シューズとが、ピタリと呼応し合う。
 今や感動にまで高まろうとしていたそうした感触も、
 やがて、好むと好まざるとに拘わらず縁が切れる。

 ふとある場面が思い浮かべられた。
 高三3学期のクラスマッチに際して(3学期に入れば、受験に備えて、こうした課外行事は割愛される)、
 私は、ラグビーのライトウィングを担っていた。

 我がチームは運よく決勝にまで残り、
 さてその試合に挑もうとしている私へ、級友の一人が思い掛けず、
 「イケミ、最後のトライをしろ。トライしたら、ジュースをおごる」。

 彼はクラス内で最も成績の良い一人で、その意味で私と縁遠いはずなのだが、
 なぜだか私へ幾らか好感を抱いてくれているのが普段から感じ取られていた。
 その声掛けに、「どうせ出来はしまい」との皮肉も含まれていなくはないようだったが、
 鼓舞されもしたのは確かだ。

 決勝戦の後半に入って、パスを回しながらこちらのゴールへ迫って来た相手側の一人が
 ノックオン(ボールを前に落とす)の反則を犯したのを逆手に取って、
 私は独走状態に入り、そのままトライに成功、
 友人がコインを挿入した学食の自販機からの冷たいジュースを、一気に飲み干しながら、
 内心私は、
 「我ら、ここに有り」、と高らかに一体感を謳歌していた。

 つい先日、高校の同窓会の、私の所属していた学年の担当者から、
 同学年の、氏名のみの名簿がメール送信されて来た。
 その名簿の意味するところは、いわば生存確認といって良いだろうか。
 氏名の上に黄色の重ねられたのは不明者(現在、連絡の取れない者)、
 そして青色の重ねられたのは物故者だ。

 判明しているだけでも、物故者なんと61名(560名余の内)。
 その数は、予てからの漠然たる憶測に数倍していた。

 時の流れに感傷するのでなく、
 身体はカタチあるものゆえに、いつか必ず消滅する道理を思う。
 それに対し、カタチのない“帰属感”は永遠だ
 ――61名は、今もなお、我とともに有り。
                          (終わり)

〈帰属と自由 @〉 引用
池見隆雄 2023/9/25(月)14:55:24 No.20230925142922 削除
 高校三年生のとき、
 それも卒業まで数えられるほど日数を残すのみというある日のこと、
 時間帯は午後の始業直前だったか?

 私は校舎1階の「化学準備室(化学の教諭の居所)」の前を通り抜けようとしていた。
 始業直前だったせいか他に生徒の姿はなく、
 三学年合わせれば千五百人以上が犇(ひし)めいている校舎内とは思えない静けさに、
 そこは包まれていたと思う。

 私の通っていた高校は、確か私の入学時に、
 創立百八十周年を迎えるという歴史の長さを誇っていた。
 私の在学中の校舎は戦前の築造になるもので、
 外壁には至る所、米軍の夜間空襲の目を逃れるために、
 コールタールを塗り付けたのが、大方そのまま残っていた。

 廊下は四、五枚の厚板を横ざまに合わせて成っていたが、
 長年月の手入れの油を満喫して黒光りしていた。
 ――当時の私たち高校生はほぼ例外なくバスケットシューズを着用していたが、
 その程度の足音なら、ほぼ完全に廊下に吸い込まれてしまう。

 殊更にそういう前触れがあったわけでもなく、
 私の心中に、感覚的に表現するならば、
 豊かな温かさが、どこからともなく舞い降りて来た。
 それが、歩を進めるごとに私の胸に満ちて行く。
 一般的に通用する語を借用するなら、「帰属感」ともいえそうだった。

 敷地、校舎、教職員、生徒などの要素から成る“学校”という総体。
 それとの関係を具体的足場として、
 私は、社会における自分の存在というものを確認できている、
 もちろん、家庭その他との関係もそれに劣らないと見るべきだろうが、
 私の場合、学校へ、それらより遙かに比重が掛かっていたかと思う。

 学業成績へ目を遣れば、私は少しも良い生徒ではなかったが、
 友人には恵まれていると思っていたし、
 進路はじめ生徒の個人感情に干渉しない校風が、
 稀な恩恵と身に沁みていた。
                             (続く)

〈不可思議〉 引用
池見隆雄 2023/9/23(土)12:23:54 No.20230923121924 削除
 近頃、心理・身体両面で、
 綱渡りを想わせられる危なっかしい日も少なくないが、
 なお曾てなく自分の足で立てている。

 そのことが、自ずと、
 反発のみ持ち続けた、亡きふた親への感謝に連繫する
 不可思議。

〈〇〇さんへの葉書〉 引用
池見隆雄 2023/9/22(金)14:23:00 No.20230922141123 削除
 私の誕生日には、メールありがとう。
 どうやら元気。

 △△へ再び旅行するとか。
 いつだったか、前の旅行の途次で求めたという絵葉書の便りを貰ったが、
 海の描き方が特異で、今も目の前に思い浮かべられる。
 良い旅であるように。

 こちらの3泊エンカウンター・グループ(10月6〜9日)も、
 いわば良い旅になるのではと期待している。
 一つは、新人3名を含む顔触れが面白い。

 写メールの、中学生が面談中に作ったという粘土細工、
 私には、龍に見えるんだけど。
 もう一つの写真の◇◇の滝と龍と、何となく、お似合いのカップルのようだ、
 後者はしばしば水の守り神とも見なされるから。

 こんな作品生み出せる子だったら、将来、空を飛べるかもしれないな、
 とふと思う。

 では、また。

        9月21日          池見隆雄

パスワード  

ホームページ | 携帯アクセス | 一括削除

全 1505 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 .. 151 | 一覧 ] 35%使用        検索 文字列(1単語)を含むメッセージを検索します

レンタル掲示板 | 利用規約 | 管理者へ連絡 | 障害情報 | 違反発見報告 | 管理パネル