みんなの広場「こころのパレット」

全 1471 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 .. 148 | 一覧 ]  

ページ 4 (31〜40)     ホームページ
〈渇きについて〉 引用
池見隆雄 2023/9/14(木)14:42:00 No.20230914141340 削除
 数カ月前のこと、
 応接間から庭へ出ようと硝子戸を開けたところ、
 直ぐ足元のコンクリートの叩きの上に、虫の死骸と想われるものが転がっている。
 埃まみれめいて断定しがたかったが、虫だとすれば体長3,4センチ。

 屈み込みつつ手を伸ばしてつまみ上げようとすると、
 そのものが、思い掛けなく機敏に反応。
 ブドウ虫が、仰向けにひっくり返っていたのだ。

 彼は、「死んではいないぞ」と言わんばかりの勢いで這い出し、
 叩きの突っ先から地表へと滑り降りる。
 と思うと、なんだかヤケクソめいた慌ただしさで、鼻先をそこらの地中へ突き入れ始める。

 その動作の意味を解しかねて、しばし呆然と見守っていた私は、
 ふと、彼は、乾ききった地表の下に、水気を求めているのではと思い付いた。
 しかし、生きるため必須な目的物に尋ね当たらず、
 それこそヤケクソになって、もう死んでもいいつもりになって、
 いやが上にも居心地の悪いコンクリートの上に身を投げ出していたのでは、
 との想像さえたくましくされる。

 推測の域を出ないまでも私は、撒水用の蛇口へ駈け寄らずにはいられなかった。
 その下に据えられているバケツに溜まっているのから柄杓半分ほどを汲み取り、
 水が虫自体を脅かさないよう、
 彼の現在地を中心とする半径30センチ付近に、柄杓を静かに傾けていく。

 うまい具合に水は、虫の間近まで、地表をおもむろに辿って行く。
 それは、彼の視覚にとって、どのような光景に映じただろうか?
 乾ききった大地の彼方が、
 スコールにでも見舞われたかのように黒ずむのを見て取ることができただろうか?
 気が付けばその気象の変化、あるいは豊饒な黒ずみは、彼の目前へ迫っていた。

 岸辺に両手を当てがい、直かに流水へ口を付ける人さながら、
 虫は、それへ向かってガバと上体を伏せる。
 いつまでも、いつまでも、微動だにしない。

 私自身が、例えば互いに内省しつつの会話に恵まれたときにも似て、
 確実に渇きから癒されて行く。

〈日々の邂逅〉 引用
池見隆雄 2023/9/9(土)14:43:37 No.20230909142115 削除
 とある開業の整形外科で、「頸椎変形」との診断を下されて、
 現在、三種の器具と湿布との治療に通っている。

 それらに当たって、担当の看護師さんと大てい私語を交わす。
 通院し始めて今月で2年を経過するから、皆さんと顔なじみ。
 半数が、ほぼ私の孫といってよい若手だ。

 今日は、
 「だいぶ涼しくなりましたね」と私から。
 若手の一人の担当者が、
 「そうですね・・・ワクワクします」
 ワクワクという反応は意想外だったので、
 「ワクワクしますか」とリフレクトする。
 「とても食欲があって・・・」
 「食欲のあるのは良いですね」
 「あり過ぎて困ります・・・(私へ)分けて上げたいくらい。」
 そこで、大仰ではないが、互いに声を上げて笑う。
 「秋は、おいしいものが沢山ありますから」

 何が好きなのが尋ねてみようと思わなくもなかったが、
 会話が、私の両肩への湿布貼付に要する間をオーバーするのは避ける方を選択
 ――だいたい、患者さんが多めと見ると、湿布は遠慮することにしている。

 看護師さんが「ワクワク」なる副詞を用いたのは、
 気候の凌ぎやすさに加え、おいしい食物へ対してということも推察できたし、
 この日のこの看護師さんとの邂逅は、
 「(貼付)終わりました」
 「ありがとうございます」
 と自(おの)ずから儀礼的に結ばれた。

〈初体験〉 引用
池見隆雄 2023/9/7(木)14:23:14 No.20230907141449 削除
 このところ、書物を通じて、偉大な先達たちとの出会いが身に沁みる喜びを、
 恐らく今日までの私の人生において初めて味わっている
 ――書物の叙述自体に感心、感動したということなら幾らもあったけれど。

 そのお陰(?)で、あと20年ばかし
 今の仕事を続けたいとの欲が頭を擡(もた)げ出している。
 90歳過ぎまでというわけだ。

 先達の作と私の仕事との間に
 何かしら、微かでも共通項があるとするならば、
 あくなき人間存在への関心だろうか。

〈時の恵み〉 引用
池見隆雄 2023/8/28(月)14:39:41 No.20230828142607 削除
 半野良のサブと私とが理解(許容)し合うのに、
 少なくも2年以上を要した。
 昨今は、寝姿を目にしても、ふと心和みさえする。

 そして、けっこうお利口さんだ。
 たった今も、少量を食べ、
 外へ行きたがる様子なので戸口を開けてやると、
 ついそこで小用を足した
 ――今日まで室内で、阻喪をやらかし、何度私を激昂させたことか。

 これから数時間は、彼女の縄張りを経巡って来るのだろう。
 戻って来たなら、フロントラインをさしてやらなくては。

 彼女の5匹の子供たちには、おおむね、感心させられることが多かったので、
 父親似なのだろうと推察してきたが、
 必ずしもそうばかりではないのやもしれない。

〈幸 い〉 引用
池見隆雄 2023/8/25(金)15:04:44 No.20230825145533 削除
 アランの著した『デカルト』――この書も40数年前に購入、を、
 著者の精神の熱量に圧倒されつつ読み進めて来た。
 アラン、デカルトに限らず、
 私は、今日まで、
 偉大な、高邁な人々(精神)について無知に過ぎた。

 悔いているのではなく、
 高齢に達してからであれ、
 その事実に直面させられたのを幸いに思う。

 非常に多くはない残る日々を、
 いかに送り迎えるか。

〈追憶から事実へ B〉 引用
池見隆雄 2023/8/22(火)15:21:25 No.20230822150833 削除
 ご両人(当家の女主人と母)の会話にはなかなか閉じ目が見つけ難い様子で、
 私は一人、外へ出てみました。
 表の通りの直ぐ向こうが幅の広いクリークであり、その割に水量は少なく、
 真ん中へんを細々と流れていました。
 両側の黒々と盛り上がった泥土に、和船が、底を上にして干されていたり。
 私にとっては非日常――見慣れない光景を日常として生きている人たちがいるのだ、
 人それぞれの世界があるのだとでもいった感慨を覚えたでしょうか?

 この情景につき、今度いただいたお手紙から推測されるのは、
 このお宅がH家であり、昭和24(1949)年生まれの私が4,5歳のときとすれば、
 ご当主が亡くなられた頃でしょうか? 
 何となく家内がガランとしているというような印象も残っているのです。

A後になりましたが、こちらの記憶の方が、@を1年ほど遡っているのではと思われます。
 これには前段と後段があり、
 前段の方は、
 広くはない座敷に床が延べられ、どなたかが臥せっておられます。
 但し、枕頭には丈の低い屏風が立て回されており、私の位置からはお顔が窺えないのです。
 母が前屈みになりつつ、その方と低い声で会話。
 盆の上に吸い飲みなどが見て取れ、その方が病んでおられると腑に落ちます。
 昼間であるはずなのに室内は薄暗く、私は、予兆めいたある種の重苦しさに捉われています。
 その方の病は軽からぬ性格のもののようです。

 後段は、
 前段とは一転して、私は、母屋に建て増されたかと思われる、床が一,二段低い、
 しかし明るい部屋へ連れられて来、
 母ではない女性から、「これが女の子の部屋というものよ、よく見ておきなさい」
 といった意味のことを告げられたと思います。

 前から後へのこの移行は、私の心の重苦しさへ対する、当家の方の配慮ででもあったかもしれません。
 窓辺に沿って二、三の勉強机が横に連ねられ、
 カーテンの絵柄などは、いかにも当時の娘らしさが反映されていたのでしょうが、
 私にそういう判断ができるはずもなく唯だポカンとしていたのでは? 
 それぞれの机の上には文具や、教科書、ノートの類が乱れもみせず配置されてもおり。

 これもH家とすれば、臥せっておられた方はご療養中のご当主であり、
 後段のお部屋は、Nさん(「様」とすべきところ、堅苦しさを避けて「さん」で失礼します)方
 ご姉妹の居室であったのかもしれません。

 あたかも、前後段は、
 亡くなろうとする方と、これから花開いて行こうとする方々との両極に比せられるかのようです。
 もしかすると、人生における生と死の対比を、幼児ながら切実に身につまされたが故に、
 これら@、Aの記憶はいまだ、かくも鮮明であるのかもしれません。

 以上、想念任せに書き散らしましたので、失礼な点もあるかと思われますが、
 その節はご容赦下さい。
 時節柄、益々のご自愛を祈りつつ。
 
     令和5年〇月〇日             池見隆雄



 N・Hさんからの第2信を、
 私自身の存在の薄暗がりに光の当たるのを待つかの思いで待ちわびている
 ――私は、何しに、この世へ生を享けたのやら?
                             (終わり)

〈発 見〉 引用
池見隆雄 2023/8/16(水)14:59:28 No.20230816145440 削除
 付帯条件の全てが排除された、

 赤裸な“存在”を掌中にすれば、

 たちまち、

 至善、至福の道が照明される。

 必然であるがゆえに。

〈追憶から事実へ A〉 引用
池見隆雄 2023/8/15(火)14:10:47 No.20230815135952 削除
事実(続き)

 BN・Hさんには、姉・妹・弟さんが一人ずつあり、姉さんは早逝されたらしい。
  ご当主死去の後、夫人の意向(?)で、一家を挙げて東京都内へ移住。
  私たち夫婦成婚の媒酌人を受けて下さったのは、ご当主の弟さんご夫妻で、
  こちらは昭和63年、88歳で死去。
  ご夫婦はずっと、福岡市住まいであった。
  東京移住に際してH家の住居や土地がどう扱われたのか気に掛からなくもないが、
  それはともかく、ご当主の夫人は東京から嫁(とつ)いで来られ、
  夫の死後、生家を頼って上京されたとも考えられる。

 以上のような事実を目の前にして、また私自身の憶測が膨らむにつれ、
 “とき・ところ”が抜け落ち、入り組んだ情調に彩られた私の幼年期の記憶二種が、
 母にH家へ伴われて行った際のものではなかろうかとほぼ確信されて来、
 更にそれをN・Hさんに裏付けていただきたい、
 これも自(おの)ずからな欲求を抑えかね、私は、以下のような第二信を送呈したのだった。


手紙

 H 様
 厳しい暑気が続いていますが、その後、お元気のことと拝察申します。
 過日は、私の不躾なお尋ねに対し、ご丁重なご返書頂戴し恐縮しました。
 お陰様で、H家と母方の祖母・母との間柄、
 私たちの媒酌を務めて下さったのが叔父様ご夫妻でいらっしゃったなど、
 私の胸中の一団のモヤモヤが、その構成要素それぞれに形を与えられ、
 納まるべきところへ納まるかのような心地でおります。
 とともに、H家のご家族構成や、ご当主が亡くなられた時期などから、
 私の幼年時のとある記憶が、H家を舞台にしているのではなかろうかと思われてきましたので、
 ご関心を持ってもいただけるかもしれないと再度ペンを執った次第です。

 今日まで消え残っている幼年時の記憶のそう多くはない中に、
 何故かしら色褪せない、そして何かの折ふと思い浮かんで来ては、
 これは一体どこの場所――お宅なのだろうと考え込まされる二種の情景が存します。

 @就学前の私は、実家に里帰り中の母親に伴われて、あるお宅を訪うのです、
  冬期のことと思われ、座敷に長火鉢が据えられていました。
  火鉢を前に坐したその家の女主人と思われる方の、母は私から見れば右手に居ながら、
  互いに顔を寄せ合うようにして、親し気に何やら話し込んでいます。
  戸口を入ると直ぐ土間になっており、その土間から上がり框まで相当な高さがあり、
  上寄りに一つ足掛かりが設けられ、私は、座敷へは上げて貰えず、
  そこに腰かけて待っておりました。――その時の私の胸中は、
  母と切り離された不満と、そのお宅の格式からして、その処遇も止むを得ないとの諦念だったと、
  今日なら言語化できそうに思えます。
                              (続く)

〈追憶から事実へ @〉 引用
池見隆雄 2023/8/14(月)13:50:30 No.20230814134254 削除
前置き
 
 母は昨年7月中に他界したが、その数年以前からか郵便受けに、
 母宛ての、東京在のN・Hさんからの封書や葉書を、まま見掛けることがあった。

 H家は母方の親戚筋であるが、
 私は今日まで、その関係の仔細に無頓着なままで来た。
 だいたい、私の結婚の媒酌を、母からの依頼で引き受けて下さったのもH家のご夫妻であり、
 疾(と)うに亡くなっている筈のご両人の、
 N・Hさんは子に当たるのだろうかと推測されなくもなかった。

 今夏の母の一周忌法要の数日後、
 その方から私と妹宛てに、母の郷里に近い○○市の銘菓が届けられた、
 曾ての私たちとって垂涎(すいぜん)の的足り得た、滋味豊かな「△△餅」。

 妹から伝え聞いたところでは、
 母没後間もなくN・Hさんから母宛て電話があり、
 母の死没のありのままを、妹が応答すると、
 母の容態の急展を知られる由もなかったのだから心底驚かれたという。

 訃報が、母の実家からそちらへ不達だったとすれば、
 H家は、親類にしても割り合い遠いのだろうかと想われなくもなかった。
 何しろ私は、N・Hさんと我が家との縁も切れそうだというこのときに当たって、
 その方と母との間の血の濃淡がどの程度なのかを確かめたい自(おの)ずからな欲求に駆られ、
 先方への失礼をも顧みず、お礼かたがた問い合わせの書信を送らせていただいた。

 幸いなことに、10日ほど後、
 86歳の女性の手になるとは思い難い
 おおらかで格式正しい万年筆の文字、淀みのない文面で認(したた)められた、
 私の無知の闇の隅々までを余さず照らすご丁重な返書がもたらされた。

事実

 @H家は代々、○○藩の家老職に任ぜられる家柄で、
  私の母方の祖母―私の母の実母、道代は、その家から、母の実家へ嫁して来た。
  道代の上の弟がご長男(ご当主)であり、N・Hさんはその二女。
  N・Hさんと私の母とは従姉妹どうしということになる――
  但し、Nさんは、父君36歳のときの子であるので、私の母より13歳もの年少。

 Aご当主は、昭和29(1954)年、53歳で、癌のため最期を、九州大学病院内で迎えられた
  ――恐らく、その病棟は、当時、私の父が助教授を務めていた「第三内科」に属していただろう。
  その9年後の昭和38年、父を初代教授として、
  我が国初の「精神身体(心身)医学」の臨床講座(心療内科)が、九州大学医学部に発足。
                                   (続く)

〈秋の3泊グループへのお誘い〉 引用
池見隆雄 2023/8/8(火)14:29:55 No.20230808141253 削除
 平成7(1995)年以来継続している(コロナ感染を避けるため数度の中止を除いて)、
 春・秋の3泊エンカウンター・グループを、
 今秋も、福岡県糟屋郡篠栗町在の「明治屋旅館」を会場として実施の予定です。

 会場は、山の中腹に位置し、福岡市街の大よそと、
 その奥に広がる玄界の海も遠望されます。
 涼味ふんだんな風の吹き抜ける、
 四十畳の広々としたセッションルームに円座を組んで、
 他の誰に強いられるでなく、心の内外の自然に打ち任せ、
 自己を、人間関係を、人生を、心行くまで語り合える
 貴重な機会となることと思います。

 “篠栗八十八ヶ所”と通称される、信仰の地でもあります。
 それに付け加えるならば、
 「明治屋」さんの賄いが、「料理に癒される」と好評です。

 (とき・ところなど詳細は、
  ホームページ:https://ikemitakao.net〈定期研修会の案内〉をご覧下さい。)

パスワード  

ホームページ | 携帯アクセス | 一括削除

全 1471 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 .. 148 | 一覧 ] 32%使用        検索 文字列(1単語)を含むメッセージを検索します

レンタル掲示板 | 利用規約 | 管理者へ連絡 | 障害情報 | 違反発見報告 | 管理パネル