みんなの広場「こころのパレット」

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〈帰属と自由 @〉 引用
池見隆雄 2023/9/25(月)14:55:24 No.20230925142922 削除
 高校三年生のとき、
 それも卒業まで数えられるほど日数を残すのみというある日のこと、
 時間帯は午後の始業直前だったか?

 私は校舎1階の「化学準備室(化学の教諭の居所)」の前を通り抜けようとしていた。
 始業直前だったせいか他に生徒の姿はなく、
 三学年合わせれば千五百人以上が犇(ひし)めいている校舎内とは思えない静けさに、
 そこは包まれていたと思う。

 私の通っていた高校は、確か私の入学時に、
 創立百八十周年を迎えるという歴史の長さを誇っていた。
 私の在学中の校舎は戦前の築造になるもので、
 外壁には至る所、米軍の夜間空襲の目を逃れるために、
 コールタールを塗り付けたのが、大方そのまま残っていた。

 廊下は四、五枚の厚板を横ざまに合わせて成っていたが、
 長年月の手入れの油を満喫して黒光りしていた。
 ――当時の私たち高校生はほぼ例外なくバスケットシューズを着用していたが、
 その程度の足音なら、ほぼ完全に廊下に吸い込まれてしまう。

 殊更にそういう前触れがあったわけでもなく、
 私の心中に、感覚的に表現するならば、
 豊かな温かさが、どこからともなく舞い降りて来た。
 それが、歩を進めるごとに私の胸に満ちて行く。
 一般的に通用する語を借用するなら、「帰属感」ともいえそうだった。

 敷地、校舎、教職員、生徒などの要素から成る“学校”という総体。
 それとの関係を具体的足場として、
 私は、社会における自分の存在というものを確認できている、
 もちろん、家庭その他との関係もそれに劣らないと見るべきだろうが、
 私の場合、学校へ、それらより遙かに比重が掛かっていたかと思う。

 学業成績へ目を遣れば、私は少しも良い生徒ではなかったが、
 友人には恵まれていると思っていたし、
 進路はじめ生徒の個人感情に干渉しない校風が、
 稀な恩恵と身に沁みていた。
                             (続く)

〈不可思議〉 引用
池見隆雄 2023/9/23(土)12:23:54 No.20230923121924 削除
 近頃、心理・身体両面で、
 綱渡りを想わせられる危なっかしい日も少なくないが、
 なお曾てなく自分の足で立てている。

 そのことが、自ずと、
 反発のみ持ち続けた、亡きふた親への感謝に連繫する
 不可思議。

〈〇〇さんへの葉書〉 引用
池見隆雄 2023/9/22(金)14:23:00 No.20230922141123 削除
 私の誕生日には、メールありがとう。
 どうやら元気。

 △△へ再び旅行するとか。
 いつだったか、前の旅行の途次で求めたという絵葉書の便りを貰ったが、
 海の描き方が特異で、今も目の前に思い浮かべられる。
 良い旅であるように。

 こちらの3泊エンカウンター・グループ(10月6〜9日)も、
 いわば良い旅になるのではと期待している。
 一つは、新人3名を含む顔触れが面白い。

 写メールの、中学生が面談中に作ったという粘土細工、
 私には、龍に見えるんだけど。
 もう一つの写真の◇◇の滝と龍と、何となく、お似合いのカップルのようだ、
 後者はしばしば水の守り神とも見なされるから。

 こんな作品生み出せる子だったら、将来、空を飛べるかもしれないな、
 とふと思う。

 では、また。

        9月21日          池見隆雄

〈渇きについて〉 引用
池見隆雄 2023/9/14(木)14:42:00 No.20230914141340 削除
 数カ月前のこと、
 応接間から庭へ出ようと硝子戸を開けたところ、
 直ぐ足元のコンクリートの叩きの上に、虫の死骸と想われるものが転がっている。
 埃まみれめいて断定しがたかったが、虫だとすれば体長3,4センチ。

 屈み込みつつ手を伸ばしてつまみ上げようとすると、
 そのものが、思い掛けなく機敏に反応。
 ブドウ虫が、仰向けにひっくり返っていたのだ。

 彼は、「死んではいないぞ」と言わんばかりの勢いで這い出し、
 叩きの突っ先から地表へと滑り降りる。
 と思うと、なんだかヤケクソめいた慌ただしさで、鼻先をそこらの地中へ突き入れ始める。

 その動作の意味を解しかねて、しばし呆然と見守っていた私は、
 ふと、彼は、乾ききった地表の下に、水気を求めているのではと思い付いた。
 しかし、生きるため必須な目的物に尋ね当たらず、
 それこそヤケクソになって、もう死んでもいいつもりになって、
 いやが上にも居心地の悪いコンクリートの上に身を投げ出していたのでは、
 との想像さえたくましくされる。

 推測の域を出ないまでも私は、撒水用の蛇口へ駈け寄らずにはいられなかった。
 その下に据えられているバケツに溜まっているのから柄杓半分ほどを汲み取り、
 水が虫自体を脅かさないよう、
 彼の現在地を中心とする半径30センチ付近に、柄杓を静かに傾けていく。

 うまい具合に水は、虫の間近まで、地表をおもむろに辿って行く。
 それは、彼の視覚にとって、どのような光景に映じただろうか?
 乾ききった大地の彼方が、
 スコールにでも見舞われたかのように黒ずむのを見て取ることができただろうか?
 気が付けばその気象の変化、あるいは豊饒な黒ずみは、彼の目前へ迫っていた。

 岸辺に両手を当てがい、直かに流水へ口を付ける人さながら、
 虫は、それへ向かってガバと上体を伏せる。
 いつまでも、いつまでも、微動だにしない。

 私自身が、例えば互いに内省しつつの会話に恵まれたときにも似て、
 確実に渇きから癒されて行く。

〈日々の邂逅〉 引用
池見隆雄 2023/9/9(土)14:43:37 No.20230909142115 削除
 とある開業の整形外科で、「頸椎変形」との診断を下されて、
 現在、三種の器具と湿布との治療に通っている。

 それらに当たって、担当の看護師さんと大てい私語を交わす。
 通院し始めて今月で2年を経過するから、皆さんと顔なじみ。
 半数が、ほぼ私の孫といってよい若手だ。

 今日は、
 「だいぶ涼しくなりましたね」と私から。
 若手の一人の担当者が、
 「そうですね・・・ワクワクします」
 ワクワクという反応は意想外だったので、
 「ワクワクしますか」とリフレクトする。
 「とても食欲があって・・・」
 「食欲のあるのは良いですね」
 「あり過ぎて困ります・・・(私へ)分けて上げたいくらい。」
 そこで、大仰ではないが、互いに声を上げて笑う。
 「秋は、おいしいものが沢山ありますから」

 何が好きなのが尋ねてみようと思わなくもなかったが、
 会話が、私の両肩への湿布貼付に要する間をオーバーするのは避ける方を選択
 ――だいたい、患者さんが多めと見ると、湿布は遠慮することにしている。

 看護師さんが「ワクワク」なる副詞を用いたのは、
 気候の凌ぎやすさに加え、おいしい食物へ対してということも推察できたし、
 この日のこの看護師さんとの邂逅は、
 「(貼付)終わりました」
 「ありがとうございます」
 と自(おの)ずから儀礼的に結ばれた。

〈初体験〉 引用
池見隆雄 2023/9/7(木)14:23:14 No.20230907141449 削除
 このところ、書物を通じて、偉大な先達たちとの出会いが身に沁みる喜びを、
 恐らく今日までの私の人生において初めて味わっている
 ――書物の叙述自体に感心、感動したということなら幾らもあったけれど。

 そのお陰(?)で、あと20年ばかし
 今の仕事を続けたいとの欲が頭を擡(もた)げ出している。
 90歳過ぎまでというわけだ。

 先達の作と私の仕事との間に
 何かしら、微かでも共通項があるとするならば、
 あくなき人間存在への関心だろうか。

〈時の恵み〉 引用
池見隆雄 2023/8/28(月)14:39:41 No.20230828142607 削除
 半野良のサブと私とが理解(許容)し合うのに、
 少なくも2年以上を要した。
 昨今は、寝姿を目にしても、ふと心和みさえする。

 そして、けっこうお利口さんだ。
 たった今も、少量を食べ、
 外へ行きたがる様子なので戸口を開けてやると、
 ついそこで小用を足した
 ――今日まで室内で、阻喪をやらかし、何度私を激昂させたことか。

 これから数時間は、彼女の縄張りを経巡って来るのだろう。
 戻って来たなら、フロントラインをさしてやらなくては。

 彼女の5匹の子供たちには、おおむね、感心させられることが多かったので、
 父親似なのだろうと推察してきたが、
 必ずしもそうばかりではないのやもしれない。

〈幸 い〉 引用
池見隆雄 2023/8/25(金)15:04:44 No.20230825145533 削除
 アランの著した『デカルト』――この書も40数年前に購入、を、
 著者の精神の熱量に圧倒されつつ読み進めて来た。
 アラン、デカルトに限らず、
 私は、今日まで、
 偉大な、高邁な人々(精神)について無知に過ぎた。

 悔いているのではなく、
 高齢に達してからであれ、
 その事実に直面させられたのを幸いに思う。

 非常に多くはない残る日々を、
 いかに送り迎えるか。

〈追憶から事実へ B〉 引用
池見隆雄 2023/8/22(火)15:21:25 No.20230822150833 削除
 ご両人(当家の女主人と母)の会話にはなかなか閉じ目が見つけ難い様子で、
 私は一人、外へ出てみました。
 表の通りの直ぐ向こうが幅の広いクリークであり、その割に水量は少なく、
 真ん中へんを細々と流れていました。
 両側の黒々と盛り上がった泥土に、和船が、底を上にして干されていたり。
 私にとっては非日常――見慣れない光景を日常として生きている人たちがいるのだ、
 人それぞれの世界があるのだとでもいった感慨を覚えたでしょうか?

 この情景につき、今度いただいたお手紙から推測されるのは、
 このお宅がH家であり、昭和24(1949)年生まれの私が4,5歳のときとすれば、
 ご当主が亡くなられた頃でしょうか? 
 何となく家内がガランとしているというような印象も残っているのです。

A後になりましたが、こちらの記憶の方が、@を1年ほど遡っているのではと思われます。
 これには前段と後段があり、
 前段の方は、
 広くはない座敷に床が延べられ、どなたかが臥せっておられます。
 但し、枕頭には丈の低い屏風が立て回されており、私の位置からはお顔が窺えないのです。
 母が前屈みになりつつ、その方と低い声で会話。
 盆の上に吸い飲みなどが見て取れ、その方が病んでおられると腑に落ちます。
 昼間であるはずなのに室内は薄暗く、私は、予兆めいたある種の重苦しさに捉われています。
 その方の病は軽からぬ性格のもののようです。

 後段は、
 前段とは一転して、私は、母屋に建て増されたかと思われる、床が一,二段低い、
 しかし明るい部屋へ連れられて来、
 母ではない女性から、「これが女の子の部屋というものよ、よく見ておきなさい」
 といった意味のことを告げられたと思います。

 前から後へのこの移行は、私の心の重苦しさへ対する、当家の方の配慮ででもあったかもしれません。
 窓辺に沿って二、三の勉強机が横に連ねられ、
 カーテンの絵柄などは、いかにも当時の娘らしさが反映されていたのでしょうが、
 私にそういう判断ができるはずもなく唯だポカンとしていたのでは? 
 それぞれの机の上には文具や、教科書、ノートの類が乱れもみせず配置されてもおり。

 これもH家とすれば、臥せっておられた方はご療養中のご当主であり、
 後段のお部屋は、Nさん(「様」とすべきところ、堅苦しさを避けて「さん」で失礼します)方
 ご姉妹の居室であったのかもしれません。

 あたかも、前後段は、
 亡くなろうとする方と、これから花開いて行こうとする方々との両極に比せられるかのようです。
 もしかすると、人生における生と死の対比を、幼児ながら切実に身につまされたが故に、
 これら@、Aの記憶はいまだ、かくも鮮明であるのかもしれません。

 以上、想念任せに書き散らしましたので、失礼な点もあるかと思われますが、
 その節はご容赦下さい。
 時節柄、益々のご自愛を祈りつつ。
 
     令和5年〇月〇日             池見隆雄



 N・Hさんからの第2信を、
 私自身の存在の薄暗がりに光の当たるのを待つかの思いで待ちわびている
 ――私は、何しに、この世へ生を享けたのやら?
                             (終わり)

〈発 見〉 引用
池見隆雄 2023/8/16(水)14:59:28 No.20230816145440 削除
 付帯条件の全てが排除された、

 赤裸な“存在”を掌中にすれば、

 たちまち、

 至善、至福の道が照明される。

 必然であるがゆえに。

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