みんなの広場「こころのパレット」

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井上悦子 2023/8/2(水)15:02:33 No.20230802144013 削除
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No.1
  夏休み 早朝 釣り人たちが集まる
古賀海岸が 朝焼けに染められて美しい。

今日の午後は 天候一転して 雷と雨になりました。

〈翅(つばさ)を得て〉 引用
池見隆雄 2023/7/27(木)15:12:58 No.20230727142324 削除
 先月中の休日に、「八龍神社」に沿う農道を歩いていたとき、
 家内が、社殿の背後を囲う風雨除けのトタン上に、異なものを見つけた
 ――そこに貼りついた葉っぱが蠢(うごめ)いている(?)。
 近寄ってみれば、かつて見たことのないスケールの毛虫、
 体長15センチに及ぼうとするか。

 (数日後、三女がラインを通じて、
  我が国最大級の蛾、クスサンの幼虫と教えてくれた、
  予め写真をアップしていたので。)

 毛虫というと、おどろおどろしい、
 あるいは毒々しい体毛を思い描きがちかもしれないが、
 クスサンの幼虫については、身体が若草色一色で、
 長めの白い毛を、疎林を想わせる具合に背に負うているという穏当さ。

 それを言い換えれば、この虫は、
 毒物を分泌するといった攻撃的な防御態勢とは無縁と見て取れ、
 私は、その背に、指先で何度か触れさえした
 ――カサカサとした枯葉めいた手応えから、更なる穏やかさが得心される。

 虫の行動に、触れられたからといって、変化は認められず、
 しずしずと登攀(とうはん)を継続している。
 
 界隈を廻って同じ位置へ戻ってくると、
 彼は、トタンの上方、風通し目的の金網部分に到り着いていた。
 そこに取り付き、蛹(さなぎ)を経て羽化への過程を辿ろうとするのだろう。

 その日の空模様はといえば、
 重たげな灰、及び灰黒色の雲たちが空一面を領しており、
 とても散歩日和とは言いかねたが、
 何かしら漠然たる期待を抱いて出掛けて来たのだった。

 この界隈でいつも通りかかる家の庭に放されている柴犬が、
 だいぶ時間が開いても私たちを覚えていてくれ、
 尾を振りながら近寄ってくるのと柵越しに暫し交流し、
 クスサンの幼虫とも際会でき、
 おまけに時折、思いの外カラリとした涼風が、稲の頭を撫で渡して来る。

 家内が、
 「出かけて来てよかったね」と微笑む。
 私に、異存のあろうはずがない。


 それからほぼひと月後の今週の日曜日、
 今度も曇天下を、私たちは、「八龍さん」へ出かけた。
 散策の前に参拝するのが習慣だが、
 その日は、家内が先立って、まずは社殿の裏手へ回る。

 「あれよ、きっと蛹は」と彼女が見上げるところ、例の金網に、
 円筒形を想わせる白っぽいものが横ざまに付着している。
 「あの幼虫の蛹にしては小さいんじゃない? 」
 「蛹になると縮むし、脱け殻は乾燥してもっとね」
 私にもそれが、クスサンの幼虫の跡形とほぼ確信された。

 「無事に羽化できたんだね」
 「安心した」

 そのとき、羽化したクスサンが、日暮れどき一杯に翅を広げ、
 生涯の最終―完成段階へ向けて正に飛び立とうするさまが、
 眼前に髣髴(ほうふつ)されるのだった。

〈個人的な期待〉 引用
池見隆雄 2023/7/24(月)14:52:40 No.20230724142944 削除
 随筆、『硝子戸の中』は、
 漱石の作品中でも控え目な位置を占めているのではないかと思うが、
 私は長年、これを愛好してきた。
 取り分け、
 漱石ファンでもある、精神的に瀬戸際の女性との数回にわたる対話の一節
 (女性の具体的情況には一切言及されないが)。

 女性は四度、漱石宅を訪れたのだったと思う。
 最後の機会、夜も更けたので、漱石は、女性を送って出る。
 何度も彼女は、「先生に送っていただいては、勿体のうございます」
 と恐縮と信頼のていなのだが、
 それへ対して、漱石が、最後に発する一言。
 この一言が、幾度読んでも、私の胸を、共鳴体同然に鳴り響かせてやまない。

 「フォーカシング」的にいうならば “シフト”、
 「中動態」的にいうならば “変状”の結果だということもできようが、
 それにしても、
 この漱石側の心境の、ある種の質的飛躍の程度は、ただごとではないと思う。

 仮に、人だれしもに共通の、
 だれしもが相互に支え合っている心的領域といったものが実在するとして、
 漱石は、そうした領域にふと踏み込んだとでもいう他ない。
 とすればそれは、読み手の私自身へのメッセージでもあるのだろう・
 別の表現に置き換え可能ならば、
 「生きていること自体が喜びだ」とでもなるだろうか?

 来月の吉良さんの研修会では、
 フォーカシングのオーソリティの吉良さんと、このあたりを語り合えれば幸いと思う。

〈ヨーガ教室〉 引用
池見隆雄 2023/7/21(金)14:44:42 No.20230721141426 削除
 毎月1回出掛けていた、「福岡聖恵病院」(福岡県古賀市)のヨーガ教室が、
 コロナが下火(?)になったところで、
 先月から3年4ヶ月ぶりに再開された。
 再開を待ってくれていた生徒さんたちに感謝。
 そして、新たに、4名の方が加わった。

 教室名は、“ゆっくりヨーガ”。
 できるだけゆっくりと優雅に身体を動かし、
 呼吸を調えていってもらうこと。

 新たに参加のある方が、
 毎回最後にひとりずつ疑問なり感想を述べてもらうときに、
 「完全弛緩のポーズが大好きです」と。

 完全弛緩とは、種々動的なポーズに取り組んだ後、
 10分間ほど、床に大の字になる。
 このひとときのために他のポーズはあると言って過言でないほど、
 ヨーガにおいては大切なポーズ。
 別名、“死体のポーズ”。

 このとき弛緩が深まれば、
 身体が、床から浮き上がったような感触を得ることもある。
 それは何とも心地良く、静かな喜びで満たされる。
 リラックスとは喜び、喜びとはリラックスに他ならないと私は思う。
 そして、リラックスは、病をも癒す。

 ヨーガ教室とはだから、
 皆で喜びを分かち合う機会といってもよい。
 そして更に、
 それぞれの方に、その喜びを家族や職場へ持ち帰ってもらう。

〇「福岡聖恵(めぐみ)病院」ヨーガ教室

 と き:(原則として)毎月第3火曜日 午後5時〜6時半
 ところ:病院「休憩室」(福岡県古賀市鹿部482番地)
 対 象:病院関係者に限らずどなたでも
 参加費:無料
 連絡先:092−942-6181(福岡聖恵病院) 
     psm_group_09@yahoo.co.jp(日本心身医学協会)

〈お 宝A〉 引用
池見隆雄 2023/7/19(水)15:29:32 No.20230719145028 削除
 私自身のために、冷水をコップに2杯あおり、
 キッチンに見出したバナナを1本。
 さて、籠の前に屈み込んでサスケと目を合わせ、
 「オカアさんが帰ってくるまで待っとくんだよ」と。

 20分余の行程を、協会へとって返す。
 心なしか、往きよりも、暑気が和らいでいる。
 午後5時前、家内から、ラインが入った、
 「サスケのために、エアコンのスイッチを入れに帰ってきてくれて、ありがとう」。

 私の想定より、早めの帰宅が可能だったらしい。
 始めは狐につままれながら、幾つかの兆候から、私の行動の結果と察知したのだ。
 「お宝お嬢ちゃんだからね」と返信する。

 それからまた10分ほどして、サスケの写真とともに、
 「お蔭で元気、ありがとうって言ってるよ」。
 サスケの目の表情がいかにもそれらしく判断されたところで、
 思いがけず熱いものがこみ上げて来そうになり、慌てて画面から目を逸らす。
 その熱いものはしかし、必ずしも、
 サスケの表情に根拠を置いているのではないように憶測される。

 やがて自ずと思い廻らされたのは、
 サスケ(文鳥)の形を取った“存在”そのものに、
 微かにであれ触れ得たのではなかったかと。

 エンカウンター・グループを続けて来られたのも、
 これからも能う限り続けようとしているのも、
 参加の方たちとの間で、そういう瞬間があればこそと思う。
 その触感を情調の側面から窺うとすれば、
 無条件の喜び、及び思い遣りであるだろう。

 “存在”そのものへの触知というお宝中のお宝を、
 サスケが返礼としてもたらしてくれたのだ、と思いなして、
 この小文の題名を〈お宝〉としたのだった。
                     (終わり)


〈お 宝@〉 引用
池見隆雄 2023/7/18(火)15:45:21 No.20230718153610 削除
 先週火曜日の午後2時過ぎ、協会事務局の温度計は、29.6度を示していた
 ――なるだけエアコンを入れたくないという、非現実的な私の拘りも奏効して。

 ふと、自宅のサスケ(手乗り文鳥)の、その日の境遇が思い浮かべられた。
 家内は、正午ごろから、「市民劇場」主催の観劇へ出かけていた。
 でなければ、協会の仕事を手伝ってくれた後、遅くとも午後4時過ぎには帰宅する。
 
 このシーズンに留守するとき、家内は、エアコンを27度に設定してリビングを冷やした後、
 他の部屋との境の板戸など閉め切って、
 扇風機の風が、軽くサスケを撫でるような按配を怠らない。

 その日も同様だろうと推測されたものの、
 友人たちと観劇へ出かけたとなると、帰宅は平生より大幅に遅れるのが常であったし、
 午後4時過ぎでさえリビングの室温は30度を超えている事実を、
 これまで既に何度か家内自身が確認していたから、まして・・・と私には、
 夕刻までのサスケの無事がとても危ぶまれた。

 観劇中と承知しながら、ラインで、「サスケ、大丈夫かな?」 と打診してみたが、
 それでこちらの心中の動揺が鎮まるわけでなし、
 どうせならと机の前から立ち上がる。

 日盛りのアスファルト道をバイクで走っていると、
 何かの焦げつくような臭気が鼻をついた。
 その刺激によって更に危機感が煽られ、ハンドルを握る手に力が入る。

 玄関からの廊下とリビングとを隔てている、6つに区画されたはめ殺しガラスのドアの手前から、
 サスケの鳴き立てるのが聞き取れてまずは安堵の吐息がもれる。

 籠の前面の餌箱の上へ来て、「出して」と求めてやまない彼女に敢えて取り合わず 
 (一旦、放してやると、直ぐには元へ戻るのを肯じないので)、
 視線を走らせた温度計の数値は、29.6度と協会のそれに等しい。

 扇風機の律儀な首振りの送風には休んでもらい、エアコンを入れる。
                        (続く)

〈身勝手な広報〉 引用
池見隆雄 2023/7/10(月)14:27:57 No.20230710135920 削除
 (フォーカシングインスティテュート認定コーディネーター・九州大学名誉教授)吉良安之さんとは、
 43年前の夏、4泊5日のエンカウンター・グループで、メンバー同士として知り合いました。
 そのとき、吉良さんはまだ、ギターを抱えた学部の3年生。
 私はともかくも社会人でしたので、「吉良君」と「池見さん」とが相互の呼称で、
 その習わしが、つい今でも出てしまいます。
 
 彼とはその後、数度、顔を合わせる機会があったとはいえ、一言、二言、言葉を交わす程度。
 そして、気が付けば、立派な仕事をして、大学を退官。
 それを機に、当協会の研修会へゲストとして来て貰うことを打診。
 打診から1年後の今年の8月下旬、それが実現することになりました。

 吉良さんの専門に触れられる、私にとっての最初の機会であり、経緯は省略しますが、
 私の大好きな漱石の随筆、『硝子戸の中』を廻って彼と対話をするというひと時もプログラムに含まれる、
 この研修会がとても楽しみであり、「掲示板」上でも広報したくなったわけです。

            記

 会 名:「日々の生活と相談活動に活かすフォーカシング」 

 ゲスト:吉良 安之(きら やすゆき)

 ファシリテーター:池見隆雄(日本心身医学協会)

 と き:令和5年8月26・27日(土・日)―26日は午前10時〜午後5時、27日は午前10時〜午後3時半

 ところ:日本心身医学協会事務局(福岡市南区塩原3‐13‐23)

 参加費:14,000円(食費含まず)
 
 定 員:10名

 問い合わせ・申し込み先:psm_group_09@yahoo.co.jp (日本心身医学協会)

〈海 よ〉 引用
池見隆雄 2023/7/6(木)14:24:18 No.20230706141527 削除
 「海よ 海よ ふるさとの 海の青さよ」
 という山頭火の句を、空に当たるあたりに配置し、
 頂に灯台を望める島か岬を彫(え)り出した
 モノトーンの版画(カレンダー上の複製)に目を取られていた。

 ほぼ空白で、一見、少しもそれらしくない海の、
 途方もない存在感が膨れ上がってくるにつれ、
 山頭火なる俳号は、
 「島(山)の頂き(頭)の灯台(火)」に由来するか、
 とふと納得が行った。
 
 実際を調べてはいないが、
 私の納得のほどは、海より深い。

〈多 忙〉 引用
池見隆雄 2023/7/5(水)15:34:44 No.20230705153023 削除
 この数ヶ月というもの

 歌を忘れた カナリア ならぬ、

 歌を忘れた 古びたハモニカ というところだったな。

〈山 道〉 引用
池見隆雄 2023/7/4(火)15:20:28 No.20230704151841 削除
 汗だくで 山道を登り、

 軽やかな心で 山道を戻ってきた。

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