みんなの広場「こころのパレット」

全 1480 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 .. 148 | 一覧 ]  

ページ 5 (41〜50)     ホームページ
〈お 宝@〉 引用
池見隆雄 2023/7/18(火)15:45:21 No.20230718153610 削除
 先週火曜日の午後2時過ぎ、協会事務局の温度計は、29.6度を示していた
 ――なるだけエアコンを入れたくないという、非現実的な私の拘りも奏効して。

 ふと、自宅のサスケ(手乗り文鳥)の、その日の境遇が思い浮かべられた。
 家内は、正午ごろから、「市民劇場」主催の観劇へ出かけていた。
 でなければ、協会の仕事を手伝ってくれた後、遅くとも午後4時過ぎには帰宅する。
 
 このシーズンに留守するとき、家内は、エアコンを27度に設定してリビングを冷やした後、
 他の部屋との境の板戸など閉め切って、
 扇風機の風が、軽くサスケを撫でるような按配を怠らない。

 その日も同様だろうと推測されたものの、
 友人たちと観劇へ出かけたとなると、帰宅は平生より大幅に遅れるのが常であったし、
 午後4時過ぎでさえリビングの室温は30度を超えている事実を、
 これまで既に何度か家内自身が確認していたから、まして・・・と私には、
 夕刻までのサスケの無事がとても危ぶまれた。

 観劇中と承知しながら、ラインで、「サスケ、大丈夫かな?」 と打診してみたが、
 それでこちらの心中の動揺が鎮まるわけでなし、
 どうせならと机の前から立ち上がる。

 日盛りのアスファルト道をバイクで走っていると、
 何かの焦げつくような臭気が鼻をついた。
 その刺激によって更に危機感が煽られ、ハンドルを握る手に力が入る。

 玄関からの廊下とリビングとを隔てている、6つに区画されたはめ殺しガラスのドアの手前から、
 サスケの鳴き立てるのが聞き取れてまずは安堵の吐息がもれる。

 籠の前面の餌箱の上へ来て、「出して」と求めてやまない彼女に敢えて取り合わず 
 (一旦、放してやると、直ぐには元へ戻るのを肯じないので)、
 視線を走らせた温度計の数値は、29.6度と協会のそれに等しい。

 扇風機の律儀な首振りの送風には休んでもらい、エアコンを入れる。
                        (続く)

〈身勝手な広報〉 引用
池見隆雄 2023/7/10(月)14:27:57 No.20230710135920 削除
 (フォーカシングインスティテュート認定コーディネーター・九州大学名誉教授)吉良安之さんとは、
 43年前の夏、4泊5日のエンカウンター・グループで、メンバー同士として知り合いました。
 そのとき、吉良さんはまだ、ギターを抱えた学部の3年生。
 私はともかくも社会人でしたので、「吉良君」と「池見さん」とが相互の呼称で、
 その習わしが、つい今でも出てしまいます。
 
 彼とはその後、数度、顔を合わせる機会があったとはいえ、一言、二言、言葉を交わす程度。
 そして、気が付けば、立派な仕事をして、大学を退官。
 それを機に、当協会の研修会へゲストとして来て貰うことを打診。
 打診から1年後の今年の8月下旬、それが実現することになりました。

 吉良さんの専門に触れられる、私にとっての最初の機会であり、経緯は省略しますが、
 私の大好きな漱石の随筆、『硝子戸の中』を廻って彼と対話をするというひと時もプログラムに含まれる、
 この研修会がとても楽しみであり、「掲示板」上でも広報したくなったわけです。

            記

 会 名:「日々の生活と相談活動に活かすフォーカシング」 

 ゲスト:吉良 安之(きら やすゆき)

 ファシリテーター:池見隆雄(日本心身医学協会)

 と き:令和5年8月26・27日(土・日)―26日は午前10時〜午後5時、27日は午前10時〜午後3時半

 ところ:日本心身医学協会事務局(福岡市南区塩原3‐13‐23)

 参加費:14,000円(食費含まず)
 
 定 員:10名

 問い合わせ・申し込み先:psm_group_09@yahoo.co.jp (日本心身医学協会)

〈海 よ〉 引用
池見隆雄 2023/7/6(木)14:24:18 No.20230706141527 削除
 「海よ 海よ ふるさとの 海の青さよ」
 という山頭火の句を、空に当たるあたりに配置し、
 頂に灯台を望める島か岬を彫(え)り出した
 モノトーンの版画(カレンダー上の複製)に目を取られていた。

 ほぼ空白で、一見、少しもそれらしくない海の、
 途方もない存在感が膨れ上がってくるにつれ、
 山頭火なる俳号は、
 「島(山)の頂き(頭)の灯台(火)」に由来するか、
 とふと納得が行った。
 
 実際を調べてはいないが、
 私の納得のほどは、海より深い。

〈多 忙〉 引用
池見隆雄 2023/7/5(水)15:34:44 No.20230705153023 削除
 この数ヶ月というもの

 歌を忘れた カナリア ならぬ、

 歌を忘れた 古びたハモニカ というところだったな。

〈山 道〉 引用
池見隆雄 2023/7/4(火)15:20:28 No.20230704151841 削除
 汗だくで 山道を登り、

 軽やかな心で 山道を戻ってきた。

〈”青空”つながり〉 引用
池見隆雄 2023/6/6(火)14:45:10 No.20230606134006 削除
 40年以上の長年月、所蔵者から見捨てられたも同然であった書物が、
 些細なきっかけから陽の目を見ることになった。
 これ以前の投稿でも触れた、フランスの哲学者アランの手に掛かる『ラニョーの思い出』。
 ラニョーは、アランの高校時の哲学の教授。
 彼はこの書物の冒頭において、自分の知る唯一の偉人、と恩師を讃えている。

 しかし、それより、今度、私がこの書物から受けた通読への強い追い風は、
 僅か4項目からなる目次の一つが、「スピノザ」であり、
 ラニョーが授業で取り上げる哲学者と言えば、プラトンと彼のみであったという事実。
 この数年、私はスピノザに捕らえられていたところに、
 全くそれとは無縁のつもりの書物にその名を見出したのは、意外を通り越して感動でさえあった。

 しかし、『ラニョーの思い出』は、
 その題名から想像されるような追慕に彩られた抒情的な作ではまるでなく、
 論理的というのとは一線を画するが、
 比喩、隠喩などの修辞法を駆使して綴られた、極めて難解な文章への対峙に倦(う)んで、
 私は、「スピノザ」の章に入る手前――全体の半ばほどのところで一息入れざるを得なくなった。

 そして、たまたま、ネットで見掛けていた『NHK100分de名著 アラン幸福論』を取り寄せることにした。
 難解ながらに、アランに魅かれる所以(ゆえん)を微かであれ確かめておきたい欲求を無視できなかったからだ。
 NHKのその本には、想定通り、アランの人となりやおおよその生涯への言及も盛られており、
 アランへ対する近しさと畏敬の両面が芽生えるとともに、
 『幸福論』からの引用に心揺さぶられた。
  (『100分de名著』に続いて、岩波文庫版の『幸福論』全訳を購入。
   この著作名は、言語からの直訳であれば『幸福のプロポ』となる。
  「プロポ」とは我が国でいう「語録」といった意味で、『幸福論』は、数ページ程度の語録(小品)93篇から成っている。)

 また、『100分de名著』の著者、合田正人の自註に、小林秀雄の評論『アランの事』からの引用も見出せる――
 小林は、アランの愛読者であり、『精神と情熱に関する八十一章』と題した彼の訳書も出している。
 ここにその引用から孫引きすれば、
  「アランの文章は難解です(…)アランの豊かな模糊とした文体を楽しんだ後には、
   まことに透明、一点の雲もなく澄み渡った空の様なものを僕は感じます」と。

 これを目にして、私は、理解できないながら、
 『ラニョーの思い出』に自分が魅かれるのが腑に落ちたようで嬉しくなったものだ。
 確かにそうした空を頭上一杯に見上げる清々しさ、解放感めいているのだ。
 そして、その青空は、スピノザが見出した世界――実体にどこかで繋がっているのではなかろうか。

 アランは、『幸福論』のところどころで、スピノザを取り上げる、
 「よろこびの達人スピノザ」であるとか、あるいは、
 「スピノザがこう言っている。情念をもたない人間などはいないだろうが、
  ただ賢人の場合、その魂のなかで、幸福な思惟が厖大な拡がりをもっているので、
  情念はみんな、まったく片隅に追いやられて小さくなっている」など。

 スピノザの文体は徹頭徹尾ロジカルだが、アランのそれは、
 スピノザの文を文学の鋳型に入れて、その立脚地を損なうことなく焼き直したかのような彼一流の芳香を放つ。
 それらに慰撫され、鼓舞されて、改めて『ラニョーの思い出』のページを繰り、
 少なくも、その第三章に当たる「スピノザ」を読み切ろうと思う。

〈「継続会費納入のお願い」より〉 引用
池見隆雄 2023/6/1(木)14:03:19 No.20230601134350 削除
 今日から6月。どんよりとした空模様。
 遅くとも午後から、雨が降り出すでしょう――一昨日の梅雨入り宣言の証でしょうか。
 10年も以前でしたら、こんな天候のとき、協会に居てもすぐ外で雨蛙が盛んに鳴きました。
 前の公園へ、幼稚園児たちが連れられてきているので、それよりもにぎやかです。

 会報「夏」号をお手元へお届けします。
 本誌の〈事務局日常〉に最近の協会活動や記事につき種々記しましたので、
 こちらへは何を?と戸惑っています。

 今月から、コロナのために数年間閉鎖されていた、
 福岡聖恵(めぐみ)病院の「ヨーガ教室」が再開されることになり、
 協会から指導に出向きます。
 生徒の皆さん、辛抱強く待って下さっていたのです。

 絆はできるだけ途切らせないが良いと思います。
 恐らくそれがこの世に生を享けていることの重要な部分です。

〈よろこびの達人〉 引用
池見隆雄 2023/5/24(水)15:08:51 No.20230524145332 削除
 スピノザの影響も強く受けているフランスの哲学者アラン(1868〜1951)が、
 その著作中に、スピノザの提言として、以下のようなことを書き付けている、

  「情念をもたない人間などはいないだろうが、
   ただ賢人の場合、その魂のなかで、幸福な思惟が厖大な拡がりをもっているので、
   情念はみんな、まったく片隅に追いやられて小さくなっている。」と。

 これはスピノザの意向をアラン自身の表現に直したものだけれど、
 私はとても気に入っている。
 位已光児さんも、このような位置におられる。

 アランはまた別の個所で、スピノザの実践と思索を、「よろこびの達人」と形容する。
 世界の平和は、私たちひとりひとりがこの達人を心掛けてこそ、
 初めて可能になるのだろうと思う。

 最後にもう一つ、アラン流のスピノザを、

  「からだが暖まったからよろこぶのではなく、
   私がよろこんでいるからからだが暖まるのだ」。
                   (引用は岩波文庫より。神谷幹夫訳)

〈心が開けば〉 引用
池見隆雄 2023/5/10(水)14:54:26 No.20230510145039 削除
 鎧戸をいっぱいに開けば
 満天の星が
 目に飛び込んでくる

 心か開けば開くほど
 至福の雲がたなびく

 何があっても大丈夫
 無条件で大丈夫

〈龍をめぐって A?〉 引用
池見隆雄 2023/5/8(月)15:22:34 No.20230508144313 削除
 (「龍をめぐって」を書き了えようと思い立てなくなっている。
  書き出しの動機が希薄であったのかも知れない。
  いやそれより、もしかすると、近頃、
  スピノザ―位已さん―スピノザの影響も受けているフランスの哲学者アラン
  という系列に触発されがちな中で、
  「幸せ」への積極性が増し、というより自らの生へ対して、原因、結果としてでないそれを、
  ほのかながら持続的に味わえているという成り行きのせいの方が優っているのではないか。

  原因、結果としてでない「幸せ」とは、一過性でなく、
  常なるその流れの中に、身を浸しているかのごとき有様をいう。
  ――一般に「脳天気」と形容される状態かもしれないが。

  「龍をめぐって」の続きをいくばくか記してみたので、未練がましいが、以下に、そのまま投稿しようと思う。
  近い休日にまた、八龍神社へ出かけ、あの絵の前に暫し佇むだろう。
  あの龍は、何となく幸せそうだ。)


 原田直次郎作の観音と龍の背後には、
 大火炎に伴う黒煙のごとき凄まじい様相の暗色の雲が立て込めている。
 画面左上隅のみが、現実世界へ通ずるかのように開け、雲へ薄陽が射しかけている
 ――その一隅を欠いているとしたなら、
 この作へ対する私の印象は、畏怖というより恐怖へ傾いていたかもしれない。
 龍の巨大な体躯を支えるがごとく、紅蓮の炎さえ燃え盛っている。

 『絵画の領分』を拾い読みしたところでは、
 原田はドイツへ留学し、彼の地で森鴎外と懇意の中になった。
 その間柄は、原田が36歳で夭折するまで続く。
 帰国後、鴎外の出版物の扉絵や挿絵も描いている。

 しかし、彼の畢生(ひっせい)の作ということになれば、
 当時としては破格の寸法、縦3メートル、横2メートルという『騎龍観音』。
 第3回内国勧業博覧会(「明治23年)に出展されて大評判を取ったという。

 原田作と神社の素人画家のそれと、
 技術や寸法、その他において比ぶべくもないが・・・   (未完)

パスワード  

ホームページ | 携帯アクセス | 一括削除

全 1480 件 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 .. 148 | 一覧 ] 29%使用        検索 文字列(1単語)を含むメッセージを検索します

レンタル掲示板 | 利用規約 | 管理者へ連絡 | 障害情報 | 違反発見報告 | 管理パネル