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心 の パ レ ッ ト

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ページ 1 (1〜10)     ホームページ
〈研修会へ向けて A〉 引用
池見 隆雄 2018/8/17(金)21:03:49 No.20180817202448 削除
 母はF氏と同年齢であり、夫の知人という以上に、
 同じ軍国の空気を吸い、肯定的にそれへ身を挺していた者同士として親近感を抱いていたし、
 人を避けてばかりの私の意想外の申し出を、ほとんど小躍りせんばかりに受け止めた。

 母を通しての私の申し出にF氏もまた乗り気で、
 一週間も経ないうちに、当方を訪ねて下さるという。
 玄関へ迎えに出た母と応接間へ入ってこられたF氏は、
 ソファーに掛けている私へ旧知のごとく親し気に、そして快活に、
 「隆雄さん」と。

 F氏は頭髪こそ薄くなっておられたけれど、
 その年頃の方にしては上背があり、
 恐らく曾てのパイロット時そのままに引き締まった身体つき。
 姿勢が正しかった。

 能弁なF氏は、ほとんど問わず語りに、
 戦時の体験、
 あるいは共に戦った、その多くは亡くなった友への色あせぬ追慕を披瀝される。

 特攻隊には17,18歳の実戦経験皆無の少年兵も少なからず交じっていたが、
 F氏は終戦当時20歳、敏腕の戦闘機乗りだったらしい。
 終戦が一週間も遅延していたなら、特攻死を免れなかったという。

 一方の耳が不自由でいらっしゃったが、
 あるときグラマン(米国の主力戦闘機)に追尾され、
 それから逃れるため一気に数千メートル急降下せざるを得なかったとき、
 「鼓膜をやられた」とのこと。

 無論私は、何十年かを隔てた過去の出来事それ自体が、
 精力的に口を開くかのようなF氏の語り口に耳を澄ませていたが、
 予(かね)ての翹望(ぎょうぼう)の一端が潤うその一方、
 種々の機会に反復された結果であろうか、
 話柄はともかくそれを支持する想念に私との接触の正にその機会に発動されたという、
 初々しさのダイナミクスが欠けているようなのを憾(うら)みとした。

 といって、F氏とのひと時は、
 対人緊張から解放されはしないものの、
 他者と時と場所とを共にしつつ尚心地良い、私には久し振りの機会に違いなかった。

 母はF氏へ、私の暮らしの実状を訴えもしたのであろう、
 戦時の体験が尽きたところで、それとなく、
 自分に力になれることがあればと、私へ水を向けられた。

                       (続く)

〈研修へ向けて(仮題)〉 引用
池見 隆雄 2018/8/13(月)14:46:17 No.20180813135846 削除
 村山正治先生(現 九州大学名誉教授・東亜大学教授)に、
 初めて対面したのは、49年乃至50年前。
 それから16〜17年後、先生に、
 創設間もない当協会の「企画専門委員」に名を連ねていただいたのを機縁として、
 構成的エンカウンター・グループ(一泊研修会)を担当してくだっさたとき、
 協会の職員であった私も、メンバーの一人に加えさせていただいた。

 また、その翌年、毎年夏、北九州門司の「めかり山荘」で開かれていた、
 「福岡人間関係研究会(代表 村山先生)」主催の、
 4泊5日の非構成(ベーシック)エンカウンター・グループへ誘っていただいた。

 これら二つ、取り分け後者の経験
 ――日常会話に比べれば遥かに率直で自由な気持ちの表明、
   そしてそれを可能にする、
   スタッフ(ファシリテーター)始めグループ参加者たち相互の共感的受容、
 は、私をして今日までの主たる活動の一つへと指し向けた。

 村山先生との初対面は、
 当時、〇〇カウンセラー協会の枢要な地位におられたF氏の仲介によるもので、
 私自身は、先生の何一つ存じ上げていなかった。
 F氏は先生とも、私の父ともカウンセリングを縁として親しく、
 わが家をしばしば訪れられていたようだ。

 あるとき私は、母から、F氏が特攻隊の生き残りでいらっしゃると伝え聞いた。
 少青年期の私は、かの隊員たちに直かに接したい思いを抑えかね、
 戦後生まれであることを嘆きさえしていたものだ。

 戦時中のそういう事実を知ったのは、
 小学4年のとき祖母に連れられて行った、『あゝ江田島』という映画によってであった。
 広島に属する瀬戸内の島の一つ、江田島には、
 日本が近代化に歩み出した、明治時代以降、
 海軍士官養成機関、「海軍兵学校」が終戦まで存続していた。

 映画はその学校生活を(理想化して)描いたもので、
 私は学生らの勇猛さや友情にいたく胸を打たれ、
 その卒業生の一人が、
 ”人間魚雷”と通称された小型潜水艦で敵艦船に体当たりするラスト近いシーンに到っては、
 呼吸の止まる有様に衝撃を受けた。

 その心理を成人後の表明に移し変えれば、
 ――他者、あるいは母国のために、意図的に我が身を殺せるのか?!
 とでもなるだろうか。
 私にとって最も恐ろしいのは、小学生時においても、
 「死」によって自分が消滅するという事態だった。
 (この後、少なくも30年以上は継続した、「特攻隊」員の真情を求めての遍歴については、
  煩雑になるので割愛。)

 F氏を知る前年あたりから、「対人恐怖」的妄想に支配され始めていた私は、
 極度に外出を控えており、当然、他の場合なら未知の年配者に対面することなど
 苦痛と不快以外の何ものでもなかったのだが、
 このときばかりは、母へ、
 「Fさんにお会いして、戦時の話を聴きたい」と、その取計いを要請した。

                      (続く)


〈リベンジ B〉 引用
池見 隆雄 2018/8/8(水)14:44:47 No.20180808135009 削除
 3匹の仔猫が姿を現したとき、なぜ私が、
 仕事も手に付き難いくらい困惑したかを振り返ってみると、

 まず、サブの胎内に仔が、それも複数宿っているらしいと看て取れても、
 食物を加増してやることはなかったに拘わらず、
 どの子も逞しいと形容できるほど活発という事実。
 ――半野生の生命力の旺盛さに気圧(けお)されるというか。

 第2には、その仔らの中にメスが交じっているに違いなく、
 彼女または彼女らまで仔を成すとすると、際限がなくなるという不安。
 ――これも、気圧されるに通ずるか?

 第3には、協会の事務局が1階を占める亡父の元の自宅2階と、
 その奥に所在する亡父の新たな自宅双方にかけて、
 母と生活している私の妹が、清潔ということへ完璧性で、
 元来は動物好きであったけれども、その傾向が高じた現在では、
 半ノラ猫2匹が敷地内と協会の一角を徘徊しているさえ、
 辛うじて我慢のバランスを取っているという有様なのだから、
 5匹となればそれが崩壊しかねないのではという危惧、
 それに伴って、ガンを担いながらも壮健な日常生活ぶりとはいえ、
 今年9月には95歳の私の母の、妹への対応が、手詰まりにもなりかねまいと。

 それに加えて、猫の頭数が従来の2倍以上となれば、
 彼らに巣喰うノミが、室内にまで出没しないという保証はないだろう。
 研修会の折などに、それによって、参加される方に不快・迷惑を掛けることになっては、
 本末転倒というか、その責任者として私は面目を保てないではないか。

 近隣の住人からの苦情もあり得る。
 その敷地内に入り込んで悪戯するとか、排泄するとか。

 私は嘗て妹に、猫が居着くようになったのは、
 「タカちゃん(私)が餌をやったからやろ」と詰(なじ)られたことがある。
 そのときは、猫の1匹や2匹とほぼ無視出来たけれど、
 今回は以上のような懸念に直面せざるを得ず、
 困惑と共に、妹の言が自責となって蘇ってくる。

 そして、この事態をともかくも一応は全部引き受けよう
 ――出来れば肯定的に一つのチャンスとして、 と着想されたとき、
 前述の諸懸念を解消させて行く主体は、私自身以外には決してないと、
 それでも尚逡巡しつつ、ようやっと具体的行動へと半歩ないし一歩を踏み出せたのだった。

 それら行動の先がけとなるのが、母親のサブの不妊手術。
 幸いこれは、病院へ連れて行くまでの一週間足らずの間、
 毎朝、キャリーバッグの中で、キャットフードに上質のカツオ節をまぶしたのを
 皿に盛って与えることを条件づけることによって、
 前日までには、私が抱き上げなくても、自ら入るというところまで漕ぎつけ、
 当日は容易に、捕獲という意味のリベンジは、果たされたわけだった。

 当面の仕事や楽しみにのみかまけがちな己のエゴの拘束から、
 微かでも超脱するチャンス、
 あるいは、今日までの生活姿勢へ対するリベンジの一つとしても、
 5匹の猫として現れた「いのち」と、恐らく彼らの肉体の寿命まで、
 人として現れた私は、生活の一端を共有して行く。

 追々、3匹の仔猫たちにも、必要な施術を受けさせる所存であり、
 半ノラでも養ってみようという奇特な申し出へは、
 譲渡でお応えできると思います。
  
                      (終わり)

〈リベンジ A〉 引用
池見 隆雄 2018/7/25(水)13:59:15 No.20180725132740 削除
 サブを素手で捕らえる無謀さを肝に銘じているので、
 チャックを開いた大きめの洗濯ネットの縁に針金を通した、
 いわば柄を欠いた捕虫網もどきの作製を、家人に手掛けて貰った。

 餌なりに夢中のサブの背後からそれを被せて取り押さえる。
 その後、針金を抜き取って、チャックも閉じてしまう。
 更に、ネットごとキャリーバッグに入れ病院へ、という算段。

 その時には、私の方の怪我に備えて、長袖のシャツを着用し、軍手もはめる。
 しかし、さて、サブの野生へ抗しきれるものか、十分な自信はない。

 (その後、「半野良猫の捕え方」でネット検索すると、種々の事例が掲載されており、
  サブの私への馴れ具合からして、彼女へのショックのより軽微な手立てもあり得ると、
  その方向へ転換しつつある。
  例えば、カツオ節など猫の好物をキャリーバック内に仕込んでおき、
  当の猫をソフトタッチで抱き入れてやるなど――
  蓋こそしなかったが、今朝一度施行したところ、思いの外スムーズに運んで安堵感を覚える。)

 前回と今回で表裏ほど大きく異なっているのは、私の心持。
 今回は、サブへ対する後ろめたさは、皆無に等しい。
 これ以上、彼女が仔を産めばどうなるか?
 それこそ、保健所へでも持ち込む他なくなってしまう。
 それ以前に、この猫たちは、室内飼いには耐えられないと思うから。

 通常より遥かに安価で野良猫に手術を施して貰える、
 福岡市の「あすなろ猫」制度の枠を、先日取り付けたところだ。

 3匹の仔猫たちを目の当たりにしたときには、
 正直言って私は、仕事も手に付かなくなるくらい困惑した。
 当初、サブ、チビを合わせて5匹を飼育することは不可能に思えた
 ――最も恐れていた事態になったと。
 打開策として反射的に、遺棄や保健所への誘惑に駆られなかったわけでない。

 それをどうにか押し止めたのは、
 彼らをそのような目に遭わせておきながら、
 何事もなかったかのようにその後の生活を営んで行けないと、
 痛感されたから。
                (続く)
返信(2)を読む 最新返信日:2018/7/26(木)13:23:49

〈リベンジ〉 引用
池見 隆雄 2018/7/23(月)14:17:12 No.20180723134658 削除
 サブの孕(はら)んだのを視認しつつ、少しも餌を増量しなかったに拘わらず、
 どこか他所(多分、隣の空家内)で育っていたのが、
 今月9日(月)、不意に我が方の庭に姿を現した。
 生後2ケ月のが3匹も。

 まっ黒2、
 それと、彼らの祖母に当たるシロの毛並みを受け継いだグレーと白のが1.
 彼らはチビの弟妹というわけ。

 2年半前、サブが生後7ヶ月のとき、不妊手術を受けさせようとしたが、
 彼女の華奢(きゃしゃ)な骨格、普段の従順さからは想像もつかない激しい
 ――死に物狂いの抵抗に遭い、
 腕に傷まで負って、捕獲を諦めたのだった。

 長い目で見れば、その方がサブのためにもなると理性では十分承知しているのだが、
 私の甘さ、というか、日頃穏やかに接してきた相手へ、一時的にもせよ、
 手荒な振る舞いに及ぶことの後ろめたさを抱えつつ強いて実行したが故に、
 結果的に逃走されてしまったときの打ち砕かれ方は、
 我ながらここまでと呆れるほどだった。

 そういう気持ちを、
 何らか別の不妊の対策もあると、自分へ言い聞かせることによって、
 なんとかなだめはしたが。

 しかし、オス猫の動向に目を光らせるなど幾ら気を付けていても、
 彼らの本能的行動を阻止することなど出来る筈もない。

 昨春チビが生まれ――彼は幸い一人っ子であり、
 丁度その時期に、母親のサブの兄弟サラが別の領分を求めて協会の庭から去って行ったので、
 彼の替わりにと生育を容認することができた。

 しかし、今度は3匹。
 その事態に直面して、私はまず、サブの不妊手術の断行を決めた。
 それを果たせないことには、子供らへの対処法も思い浮かばない。
 いやはっきりしているのは、
 彼らを捨てたり、保健所へ持ち込む(つまり殺処分)ことは最早不可なので、
 サブに続いて、彼らが半年以上になれば、不妊なり去勢の手術を受けさせるという一点。

 (2年前に掲示板へ書き込んだように、
  私はチビの前の、やはり一人っ子で生まれたのを、
  朝夕の人通りの見込める道路傍の野っ原に置き去りにしたという前科を有している。)

                           (続く)

〈 展 望 〉 引用
池見 隆雄 2018/7/13(金)13:43:26 No.20180713131509 削除
 3泊エンカウンター・グループ中の
 あるセッション(自由な語り合いの単位。大体3時間で、10〜15分休憩を挟む場合が多い)で、
 男性参加者の一人が、
 グループ参加前多忙だったせいもあり、身体的に辛いとの理由で、1セッションを自室で休まれ、
 その直後のセッションで、
 ここに加わっていると他者へばかり目と気持ちが向きがちなのだけれど、
 休んでいる間、自分自身へ、ゆっくり対することが出来たと。

 そして、参加の動機の一つは、
 近頃自分を労(いた)わっていないと何となく感じ、
 「私へのいたわりとしてのグループ」という会名へも引かれて参加。
 といって、自分を労わるとは、どういうことなのか判然としなかったわけだけれど、
 セッションへ戻って来てみると、皆んなの中でも自分でそうでき、
 それが贅沢のようにありがたく、これが労わるということの一つなのかもしれない、と。

 休まれる前に、
 自分の年齢ではぼつぼつと友人の死目にも遭うことになり、
 「死」へと意識が向かいがち。
 心身ともに衰弱して亡くなって行く者たちが、悲惨というか、孤独の極みと映る
 と、沈痛な面持ちで語られていた。

 その方の復帰後の発言以降、グループを暫し沈黙が領していたが、
 その間、私の内面は、意図的とは裏腹に活発に働いており、
 その成果というか、その方の休まれる前後の発言が対照されて、
 ある示唆を得られたのだった。

 私はそれを、その方の心持を主に念頭に置きつつではあるが、
 グループ全体へ向けて表してみた。

 「皆んなの中で独りで、死ぬ作業を体験できるというのは、
  贅沢なことですね」。

 その方からの反応はなかったが、
 私の思いは届いたのではないかと思っている、
 また、私自身にとってそれは、
 示唆の段階から、新たな展望へと変貌していた。

〈猫の手も借りたい〉 引用
池見 隆雄 2018/7/11(水)14:22:10 No.20180711134920 削除
 一昨日午前、降って湧いたような困惑事に直面し、仕事もろくに手につかない。
 息抜きに横になっても、
 心身就中(なかんずく)後頭部あたりに、混濁した緊張が漲っている
 ――過度の不安と対応している生理的反応か?

 それから僅かでも解放される術(すべ)として、
 最後の頼みの綱は、毎夕のヨーガ。
 仕事机を片寄せて、立位や座位のポーズを半時間ばかり継続しているうち、
 心理・生理両面に、一息吐ける間合いが生じてきたかのようだった。

 その間、猫のチビは、エアコンの冷気を吸収しやすいためだろう、
 私の机の上に丸くなっている。

 ヨーガの仕上げは、完全弛緩(死体)のポーズ。
 両手・両足を十分広げて、いわゆる大の字になり、
 身体の隅々まで、また呼吸へ意識を廻らして行く。

 ところが、そのときに当たってチビが、
 机から降りて私の左腕の付け根と胸との隙間に、
 はまり込むように身を寄せてきた。

 チビに限らずひとに聞いた話でも、
 猫はしばしばそういう位置・接触を好む――安堵感を覚えるらしい。

 私の方はと言えば、どちらかといえば窮屈。
 気持ちにゆとりを持てているときはまだいい、
 しかしそのときは、心身の弛緩を切に求めていたわけだから、
 その感は募る一方で、ほとんど居立たまれないところへまで来ていた。

 一旦身体を起こして、猫を他へ移し替えようとした刹那、ふと、 
 ――いや、これは、チビ本位の行動じゃないのかもしれない、
   猫と人という関係であれ、我々は友なのかもしれない、 と。
 ――すると、この情況下、私の方が彼から
   生気や慰撫を受け取っていいのかもしれない、 と。

 そうして、完全弛緩の10分間を持ち堪えられ、
 帰途、バイクを、常よりも迅速に走らせることさえできた。

 困惑事に、何ら解決の目途は立っていないが、
 ともかくもその日、パニックに陥らず踏み止まれたのは、
 ヨーガに加えて、チビの友情のお陰だと思える。

 文字通り、“猫の手を借り”たのだ。

〈暴挙とチャレンジ〉 引用
池見 隆雄 2018/7/6(金)13:07:20 No.20180706121006 削除
 3日前、福岡は、台風の直撃こそ免れたけれど、
 午後から深夜へ掛け、相当の煽りを蒙った。

 私の帰宅時には真正の暴風雨へ半歩というほどの気象状況。
 待機すれば、多少とも弱まるのか、逆に募るのか、
 マスコミの報道も、局によってまちまちの感。
 日は暮れてくるし、
 「(バイクで)行ける所まで行ってみよう」と決断する。

 大通りに出るまではまだしも、
 それ以降は、右方(南側)からの断続的な風勢のため、
 度々バランスを崩されそうになる。

 転倒、あるいはそれのみならず、
 隣の車線なり後続の車に撥ねられるといったイメージが、
 脳裏に明滅し手足がすくむ。
 といって、片側3車線の道路上に停止し、
 手押しで後戻りしようとでもすれば、それも危険極まりない。

 新幹線の高架下の2車線へようやっと右折すると、
 風雨は、待ってましたとばかり真っ向から押し寄せる。
 できるだけ身体を丸め、重心を低く保って、ハンドルを握りしめ、
 アクセルを常より吹かし気味にする。

 そういえば気が付くと、
 私の他に、走行しているバイクは見当たらない。
 私が断念した積雪の日には、意外な多さで見かけられたというのに。
 心細さは更に募る。

 一方で、前方の車を風除けに利用させてもらうなどの対策にも恵まれるもので、
 片道6キロ、時間にして20分余の道程の半ばほどに差し掛かる
 ――勿論、そのときは、普段より低速ゆえに、1,5倍ほどの時間を要したわけだが。

 事故処理の警察のワゴン車が停止している四つ角に差し掛かったとき、
 それに従事している警官の一人が、一瞬、私を阻止――警告しようとするかの素振りを見せたが、
 それを尻目に行き過ぎると、
 自宅まで坂道を登って左折、そして右折、また左折の約300〜400メートル。

 坂上からひときわ強力に吹き下ろしてきて、
 それと傾斜のために前進は困難の度を加えたが、
 そこまで抗ってきた私は、恐怖も忘れて、
 「絶対に行き着いてやる」と意地の塊に化していた。

 マンションのポーチ内の所定位置にバイクを駐輪させたとき、
 消耗どころか、ほぼ達成感ばかりが自覚されていた
 ――古めかしい譬えだが、
   至難な敵地への攻撃から生還した戦闘機の搭乗員さながら。

 5階の自宅玄関へ踏み込んでも、
 そこからの廊下と居間との境をなすドアが、エアコンの冷気を逃がさない用心に閉じられているためか、
 家人の反応がない。
 「オーイ」と声を立てても同様なので、
 濡れネズミのまま上がり込んで、ドアの取っ手を引き掛ける。
 その気配で、「あっ」と不意を突かれて妻が顔を出し、
 「よかった〜、心配で何も手につかなかったのよ」と安堵の微笑に顔を輝かす。
 文鳥のサジも、傍らへ飛来。
 それら歓待に釣り込まれて、私は、止せばいいのに、道中の難儀を一くさり述べ立てる。

 夕食を済ませたところへ、
 ある遠方の、“グループ”を愛してやまない年長の友人から、
 台風見舞いのメールをいただく。
 「直撃ではないので、風雨は相当強いですが大丈夫です。
  とはいえ、バイクで、死に物狂いで帰宅しました」と返信。
 “死に物狂い”という表現が、すらりと出て来てしまった。

 年齢からしても、これが最後の死に物狂い――暴挙となるかと、感慨深い。
 しかし一方で、近頃眠り込みがちだったチャレンジ精神が、
 幾らか甦ってきたようでもある。 
 

〈 法 語 〉 引用
池見 隆雄 2018/7/4(水)14:00:13 No.20180704133025 削除
 毎月最初の月曜日に、協会事務局内で、「仏教の会(略称)」を開き、
 何らか仏教関連の書物を読みながら、私を含む参会者間で、
 疑問点を考え合わせたり、感想を述べ合ったりと。
 熱が入れば、2時間余の時間が、短く感じられる。

 この数ヶ月は、盤珪禅師(622〜693)の『法語集』が、会話の種。
 一昨夜、開いた数ページの内に、言い回しの面白い一節があった。
 この人の法語を聴きに集まった大衆に交じっていた、
 ある僧侶との質疑応答。

 僧侶が、
 自分は修行なしに悟ることはできないと思うが、と問うと、
 盤珪さんは、
 「迷いあってこその悟りである。
  人は皆、仏に異ならないのであって、一点も迷いなどない。
  となれば、何を悟り出そうとするのか」。

 それへ対して僧が、
 「何も修行しなければ、あほう同然です。
  昔、達磨(だるま)大師始め、多くの禅の先達は、
  悟ることによって仏法の奥義を極められました」 と。

 盤珪さん応える、
 「如来は、あほうのままで、迷いの淵から人を救済する。
  あれやこれや修行することもなく、
  生れ付きのまま(の仏心)を曇らさないのを如来という。
  達磨大師以来、歴代の禅仏教の継承者は、皆、その通りなのである」。

 盤珪さんの法話を聴聞しようと、
 この時代に、毎回1500〜1600人もの、種々の階層の人たちが集結し、
 その中に、
 自己の心とは仏心に他ならない と、目覚めた人が少なくなかったという。

 自力で人生の道を切り開いて行ける人は幸いだと思う。
 自力に行き詰まり、あるいは自力の儚(はかな)さを思い知らされ、
 仏心に目を開かれる人も幸いだと思う。

〈 中 心 〉 引用
池見 隆雄 2018/6/29(金)13:42:46 No.20180629134030 削除
 この世界に、
 無用な者など、
 ただの一人もなく、
 それどころか、
 誰もが、
 世界の中心だ。

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