みんなの広場「こころのパレット」

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〈リベンジ B〉 引用
池見 隆雄 2018/8/8(水)14:44:47 No.20180808135009 削除
 3匹の仔猫が姿を現したとき、なぜ私が、
 仕事も手に付き難いくらい困惑したかを振り返ってみると、

 まず、サブの胎内に仔が、それも複数宿っているらしいと看て取れても、
 食物を加増してやることはなかったに拘わらず、
 どの子も逞しいと形容できるほど活発という事実。
 ――半野生の生命力の旺盛さに気圧(けお)されるというか。

 第2には、その仔らの中にメスが交じっているに違いなく、
 彼女または彼女らまで仔を成すとすると、際限がなくなるという不安。
 ――これも、気圧されるに通ずるか?

 第3には、協会の事務局が1階を占める亡父の元の自宅2階と、
 その奥に所在する亡父の新たな自宅双方にかけて、
 母と生活している私の妹が、清潔ということへ完璧性で、
 元来は動物好きであったけれども、その傾向が高じた現在では、
 半ノラ猫2匹が敷地内と協会の一角を徘徊しているさえ、
 辛うじて我慢のバランスを取っているという有様なのだから、
 5匹となればそれが崩壊しかねないのではという危惧、
 それに伴って、ガンを担いながらも壮健な日常生活ぶりとはいえ、
 今年9月には95歳の私の母の、妹への対応が、手詰まりにもなりかねまいと。

 それに加えて、猫の頭数が従来の2倍以上となれば、
 彼らに巣喰うノミが、室内にまで出没しないという保証はないだろう。
 研修会の折などに、それによって、参加される方に不快・迷惑を掛けることになっては、
 本末転倒というか、その責任者として私は面目を保てないではないか。

 近隣の住人からの苦情もあり得る。
 その敷地内に入り込んで悪戯するとか、排泄するとか。

 私は嘗て妹に、猫が居着くようになったのは、
 「タカちゃん(私)が餌をやったからやろ」と詰(なじ)られたことがある。
 そのときは、猫の1匹や2匹とほぼ無視出来たけれど、
 今回は以上のような懸念に直面せざるを得ず、
 困惑と共に、妹の言が自責となって蘇ってくる。

 そして、この事態をともかくも一応は全部引き受けよう
 ――出来れば肯定的に一つのチャンスとして、 と着想されたとき、
 前述の諸懸念を解消させて行く主体は、私自身以外には決してないと、
 それでも尚逡巡しつつ、ようやっと具体的行動へと半歩ないし一歩を踏み出せたのだった。

 それら行動の先がけとなるのが、母親のサブの不妊手術。
 幸いこれは、病院へ連れて行くまでの一週間足らずの間、
 毎朝、キャリーバッグの中で、キャットフードに上質のカツオ節をまぶしたのを
 皿に盛って与えることを条件づけることによって、
 前日までには、私が抱き上げなくても、自ら入るというところまで漕ぎつけ、
 当日は容易に、捕獲という意味のリベンジは、果たされたわけだった。

 当面の仕事や楽しみにのみかまけがちな己のエゴの拘束から、
 微かでも超脱するチャンス、
 あるいは、今日までの生活姿勢へ対するリベンジの一つとしても、
 5匹の猫として現れた「いのち」と、恐らく彼らの肉体の寿命まで、
 人として現れた私は、生活の一端を共有して行く。

 追々、3匹の仔猫たちにも、必要な施術を受けさせる所存であり、
 半ノラでも養ってみようという奇特な申し出へは、
 譲渡でお応えできると思います。
  
                      (終わり)

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