みんなの広場「こころのパレット」

||| ホームページ | タイトル一覧 |||

〈研修へ向けて D〉 引用
池見 隆雄 2018/9/5(水)15:57:33 No.20180905141155 削除
 研修所から車道の斜面を半時間足らず辿ると、
 右手奥に「一目山(ひとめやま、俗にいちもくさん)」という標高数百メートルの小山があり、
 私は、冬のEGに参加の都度、2日目か3日目、あるいは双方の昼休みに、
 その頂上を目指すのを怠らない。

 360度に亘って雄大な眺望が開ける。
 雲に接している九重の頂き、
 寝仏とも称される、仏が仰臥しているかに看て取れる、阿蘇の五岳の連なり等々。

 私は、それらを見遙かし、見下したときに、
 必ずといってよいほど、何か叫び出さずにはおられなかった。

 禅宗の方では、祖師の語録などに、「山が歩く」、「橋が流れる」などの、
 常識的には不条理な言い回しを、多々見かけることがある。
 山であれ、何であれ、対象を、
 例えば「山」という言葉、またそこから想起されるイメージの枠組みに込めない
 ということかもしれない。

 ただ山と称されるものらが、私の視界一杯を限って、そこに在る。
 私も、「私」・「人」という枠組みから外れそうになる、
 それどころか、「山」と「私」との区別さえ解消されかけるのかもしれなかった。

 その不慣れな感覚に捉えられ、なお私は「私」たろうと抵抗する
 ――何でもいい、何か大声に叫びたくなる?

 初参加の冬のEG終了後、2日目の12月30日、次女が誕生。
 その翌々年の6月に三女が。
 長女は、次女よりも2年と1ㇳ月前に。
 彼女らが中学、高校生に成長するまで、私はクリスマスに在宅していたことがないわけだ。
 子供らへのプレゼントなどの算段は、家内一人に任せきり。
 家内は、「クリスマス・ウィドウ」と自任していたっけ。

 冬のEGの5日間は、知らず識らずの内に、
 私にとって、年に一度の祝祭期間の様相を呈していた
 ――子供らに、クリスマスがそうであるかのように。
 極論すれば、その期間ある故に、日々の生活を持ち堪えられていたといおうか。

 当然、、各セッション(EGの基幹を成す、自由な語り合いの一コマ)の合間にも、
 己の心身の状態を最良に整えようとの意識が働き、
 身体面で静的なセッションへ対して、一目山登頂を始めひたすら山道を歩き通した
 ――心身の疲労が回復されるのみならず、
   セッション中の誰彼の発言で了解不充分だったところが分明になるなり、
   私の胸中に引きずっている模糊とした思いが適切と思われる表現を得たりするのだった。

 日常の関係には求められないそうした内面の働きに目覚めさせられ、
 そこからの他者との遣り取りが可能になる、
 それこそ、私がEGを、祝祭と見なすゆえの要(かなめ)といってよいだろう。

 歩み寄りの困難さ、不快な経験も皆無では決してないが、
 それらも包含しつつ、私はそこで日を追うごとに、
 己が人間精神として精錬されて行くのを、認識せざるを得なかった。

 JR「博多」駅から、久大線経由、「大分」行きの急行「由布」に乗車し、
 「豊後中村」にて下車。
 グループ参加者と思われる出で立ちの人たちが、降車客の内に目に付く。

 駅前のバス停から、「筋湯温泉」まで約50分。
 更にそこから、温泉街を抜け、多くの場合雪を被った山道を徒歩で経ること20〜30分で、
 研修所に行き着く。

 「豊後中村」に降り立つと早や、
 同じ冬季でも、博多とは体感温度のみならず、大気の透明度が異なる故だろう、
 駅周辺の事物の何もかもが、恐ろしく冴えざえとした輪郭を帯して目に映じてくる。

 身も心も引き締まり、
 寒気に優るとも劣らない澄明な喜びの泉が、秘やかに、胸中を潤して行く。
 ――いよいよ、今冬の祝祭の幕が上がる。

                         (続く)

パスワード  (ヘルプ)


    << 戻る