みんなの広場「こころのパレット」

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〈研修へ向けて E〉 引用
池見 隆雄 2018/9/10(月)14:34:24 No.20180910132953 削除
   (あれっ、hikaruさん、〈一杯のコーヒーA〉削除したの?
    3日間停電の非日常を、課せられたわけだね。
    大阪に住んでいる三女は、「最悪」とメール寄越したよ。
    添付写真のカフェ・ラテがあまりに美味しそうだったから、
    一昨日、私は、最近は滅多に口にしないコーヒーをドリップして。)


 年毎に私が九重エンカウンター・グループ(EG)に参加しだして何度目か以降、
 参加者を全国から募られるようになり、
 それに伴って、1グループのみから3グループ同時進行へ拡大された
 ――グループの人数は7,8名から10名、そこへファシリテーター・スタッフ2名が入る。

 会場も、「九州地区国立大学共同研修所」から「九(州)大(学)山の家」へ変更されたものの、
 両者間は100メートルと隔たっておらず、
 食事、入浴は、従来通り前者の施設利用。

 「九大山の家」は大正年間に礎が置かれたというから、
 ログハウスといえば聞こえはよいが、目のあたりにすると全体に黒ずみ、
 朽ちかけているかの覚束なさに捕らえられなくもない。
 しかし、積雪に対してそれは妙に映りがよく、
 青春の息の痕(あと)といった趣さえ漂わす。

 暖房といって、各室に対流式の灯油ストーヴが据えられているばかり。
 就寝に当たっても、日中に数段優る厳寒下、火の気を絶やす勇気は誰にもないが、
 しかも不完全燃焼への懸念に煩わされもしない、
 窓といい戸口といい、ふんだんに隙間が設けられているのだから。

 村山先生はオーガナイザーでありつつ、グループ・ファシリテーターも務められたが、
 私が通っていた時期の後半は、
 尚子夫人とご夫婦で組まれる場合が多かったと思う。

 開始前、大広間にスタッフ・参加者全員が集まって、
 オリエンテーションのひと時が持たれるのを通例としたが、
 このとき、先生が、毎回必ず表明されるフレーズがあった。
 四半世紀を経て、うろ覚えながらに再現してみれば、

  「雪が積もれば車も通わず外界と隔絶されるこの場所で、
   日常の煩いから解放されて、他者・自然との関わりを満喫していただきたいと思います。
   それを言い換えれば、ここは、
   一端入り込んだなら脱け出せないアリ地獄のようなところです・・・」。

 そこでどっと笑いが起こる。
 私自身も、何度聞かされていても、腹の底から笑えてしまうのだ。

 “アリ地獄”という逆説的な言い表しから、
 先生ご自身からして、生活の枷から解き放たれて、
 恒例のこのグループを楽しんでおられる、伸びやかな気配が伝わってき、
 私の祝祭気分は一入(ひとしお)煽られるのだった。

 (ケータイの普及始め情報過多の今日では、
  村山先生のこのフレーズが参加者へ対して、嘗てのようなインパクトを及ぼすかどうか疑わしい、
  いや最早、成立しないのかもしれない。
  温暖化で、白銀の世界さえ望み薄になりつつある。)

 オリエンテーション後、参加者は、3つのグループに分かれ、各々のセッション・ルームに落ち着く。
 1日目は事実上、夜のセッションのみ。
 2〜4日目は、午前、午後、夜にそれぞれ1セッション。
 5日目、午前の短縮された1セッションが最終となる。

 各セッションの基本の長さは、途中10〜15分ほどの休憩を挟んで3時間。
 4日目夜のセッションは多少切り詰められて、その後に自由参加の懇親会が設けられた
 ――とはいえ、それ以前2日間の夜のセッション後も、懇親会と大同小異という有様。
 広間のそちこちに陣取って語り合い、飲めや歌へ。

 中には、むしろその時間帯にウェイトを置いているかの人々もおり、
 毎晩午前2時〜3時くらいまで。
 翌日中は、夜に備えて(?)居眠りを決め込む。

 休憩でなくともセッション中、手洗いや喫煙に立つことはおろか、
 居眠ったとて誰からも注意されず、起こされもしない。
 ご当人と切にコミュニケーションを望む他者がいない限り。

 姿勢にも規制は課されないので、
 肘枕や腕枕で過ごす者、やすんでいる者。

                    (続く)

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