みんなの広場「こころのパレット」

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〈研修へ向けて L〉 引用
池見 隆雄 2018/10/31(水)14:28:34 No.20181031132736 削除
(hikaruさんへ
  ある意味とても人間臭いHさんの存在が、
  苦しんでいる人にとって、
  慰安になる場合が多かったと思う。)

 
 11年前と12年前の1月中旬、
 村山先生に、協会の2日研修へゲストとして来ていただいて、
 「語り手エンカウンター・グループ(EG)」を開いた。

 この研修形態は協会固有で、
 村山先生に来ていただく更に10年程前から手掛けたものだけれど、
 先生が、その通称を発案された。
 適確で便利なので、今日も、協会で使用させていただいている。

 どういう形態か簡略に述べるならば、
 ゲストに何らかのテーマでスピーチ願う一方、
 受講(参加)者は、質疑に止まらず、感想や意見をも述べることができ、
 そのテーマに限定されない、ゲストを含めた参加者同士の会話もあり得る。

 それらの兼ね合いが錯雑せず、
 参会者が心理的に安心、安全であるべく、司会者ならぬファシリテーター1名を置く。
 あくまで基底がEGである以上、
 個人のナイーヴな心の襞(ひだ)の吐露されることもあり得るのだから。

 11年前は私がファシを担当し、
 1日目は、参会者からの自由で自発的な発言も幸い多彩に得られ、
 村山先生のスピーチの、巧まざるユーモアを交えた柔軟さと相俟って、
 生気横溢裡に終えることができた。

 2日目、開始前に、1日目を振り返って参会者の各々へ、
 先生からフィードバックされるという方式を提案されたけれど、
 私が1日目同様のあり方に固執したため、
 先生は心理的に不自由になられたようで、
 とともに当然、会全体の言葉(心)の流通も滞りがちとなった。

 2日間というグループとしては短期間に、
 スタッフ、メンバーともども、標準以上の収穫と充足とを得られるようにと、
 長年、先生が培われてきたであろう目算を、
 私が阻害したというべきだろう。

 にも拘らず、翌年の同じ時期に当たって、先生は、
 協会の同形態の研修のゲストを約束して下さった。
 その折にも私自身、ファシを務めるつもりでいたが、
 会期の10日前(また、協会主催の、淡路島で継続的に開かれていた3泊グループの前日)、
 思い掛けず入院する羽目に陥り、断念せざるを得なくなる。



 本筋から逸れるかもしれないが、入院の顛末もここに、書き付けておきたい。

 夕食の最中(寒さ凌ぎの鍋物だったと記憶する)、
 何らの予兆なく、脳の深部から両眼の奥へ、
 間断なく石塊(いしくれ)がぶつけられるかのような異様な感触・痛みが生じてきた。
 当初私は、緑内障の急な悪化かと見当を付けたが、
 やがて嘔気が加わり、断続的に、果てしなく反復される。

 安静にしておれば、ともかく一応は落ち着くのではと、その状態を数時間持ち堪えた末、
 「大病と無縁できた私がまさか」という半信半疑と、プライドの拘束からようやく脱して、
 家内に、救急車を呼んで貰う。

 駆けつけた救急隊員は、私の病像を把握しようと、次々、質問を仕掛けてくる。
 「どこが痛いですか? 」「手足は動きますか? 」等々。
 彼らの遣り取りを通して私は、
 眼病どころかどうやら脳そのものの異変らしいと認めざるを得ない。
 心中に、あてどない荒野が広がり出す。

 と共に、翌日からの3泊グループ始めその他の要件に支障を来しては困るとの執着も、
 自(おの)ずから手放される。

 私の搬送先は、「福岡日赤病院」と定まる。
 そこまで通常の車で、半時間余だろうか。
 疾走する車内での検温は37度台だけれども、血圧は、上が180越えだったのを覚えている。
 
 目的地の救急外来の通路上で、担架の私へ、早くも今度は、複数の医師たちから、
 「大丈夫ですか? 」に始まる質問攻め。
 痛みや嘔気に苦しんではいても、私の意識に一点の曇りもなく、
 それらに淀みなく、適確に対応できる。

 「案外、大したことではないのでは? 」と、
 はかないオアシスの心持が浮かび出る。
 挙句、CTスキャンの造影によって、脳内が試される段となる。

                       (続く)

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