蝉の脱皮に立ち会えたのは只の一度。
幼虫の背が割れて、極めて緩慢に、
成虫への移行は運ばれる。
宝石の比でない澄みきった両眼の輝き、
しぼんでいた翅が羽搏くに足る張力を帯び始める頼もしさ・・・
そのときの感銘の残り――さざ波が、
今日も、私の内在の岸辺へ、漂い寄るかに想われる。
私は思わず、ジロとイチへ、
「これは(弄んでは)いけないよ」と念を押していた。
そして、幼虫を指の間に挿んだまま、戸外へ。
〈土の下〉に登場させた銀木犀に通じて、
他でこれに優る同種の大樹を目にしたことはなく、
木犀も見下す泰山木の根方へ向かう。
私は精一杯、高みへ腕を伸ばし、
ザラつく木肌に幼虫の肢を触れさす。
彼は直ぐさま、ゆったりとした歩度で、
更なる高みへと登り始める。
その歩みは覚束なげに見て取れなくもないが、
身に負うた彼自身の生のプロセスを、完遂せんとの本能に裏打ちされた、
確かさをも秘めているようだ。
私は、彼の脱皮の全(まった)からんことを願い、
また、その余命が精々2週間ほどであると想起されつつ、
帰路に就く。
チビは、持病のため、2年と2ヶ月余でこの世を後にしたが、
残る4匹の猫たちには、どれほどの寿命が与えられているのだろう、
イチとジロとはチビより1歳年下だから、
不慮の病や事故に阻まれなければ、あと10年前後が残されているだろうか?
10年後の自分自身を思い描いてみて、
猫たちの世話が可能な健康状態を保てているか、
保障の限りではない。
(イチ、ジロにはもう1匹、山口へ貰われて行った女の子の同胞があるが、
彼女は幸いにも、手厚く家内のみで飼われているから、
恙無(つつがな)く寿命に達することだろう。)
猫たちとの間柄のみに絞ってみても、
その日、その日を共に行けるまで―――
出来得れば、
朝ごとに、脱皮したての蝉の眼をして目覚めつつ。
(終わり)
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