みんなの広場「こころのパレット」

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〈共に行けるまで A〉 引用
池見 隆雄 2019/8/21(水)14:40:26 No.20190821140254 削除
 蝉の脱皮に立ち会えたのは只の一度。
 幼虫の背が割れて、極めて緩慢に、
 成虫への移行は運ばれる。

 宝石の比でない澄みきった両眼の輝き、
 しぼんでいた翅が羽搏くに足る張力を帯び始める頼もしさ・・・
 そのときの感銘の残り――さざ波が、
 今日も、私の内在の岸辺へ、漂い寄るかに想われる。

 私は思わず、ジロとイチへ、
 「これは(弄んでは)いけないよ」と念を押していた。
 そして、幼虫を指の間に挿んだまま、戸外へ。

 〈土の下〉に登場させた銀木犀に通じて、
 他でこれに優る同種の大樹を目にしたことはなく、
 木犀も見下す泰山木の根方へ向かう。

 私は精一杯、高みへ腕を伸ばし、
 ザラつく木肌に幼虫の肢を触れさす。
 彼は直ぐさま、ゆったりとした歩度で、
 更なる高みへと登り始める。

 その歩みは覚束なげに見て取れなくもないが、
 身に負うた彼自身の生のプロセスを、完遂せんとの本能に裏打ちされた、
 確かさをも秘めているようだ。

 私は、彼の脱皮の全(まった)からんことを願い、
 また、その余命が精々2週間ほどであると想起されつつ、
 帰路に就く。

 チビは、持病のため、2年と2ヶ月余でこの世を後にしたが、
 残る4匹の猫たちには、どれほどの寿命が与えられているのだろう、
 イチとジロとはチビより1歳年下だから、
 不慮の病や事故に阻まれなければ、あと10年前後が残されているだろうか?

 10年後の自分自身を思い描いてみて、
 猫たちの世話が可能な健康状態を保てているか、
 保障の限りではない。

 (イチ、ジロにはもう1匹、山口へ貰われて行った女の子の同胞があるが、
  彼女は幸いにも、手厚く家内のみで飼われているから、
  恙無(つつがな)く寿命に達することだろう。)

 猫たちとの間柄のみに絞ってみても、
 その日、その日を共に行けるまで―――
 出来得れば、
 朝ごとに、脱皮したての蝉の眼をして目覚めつつ。
                  (終わり)
 

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