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[狡猾なロシアの外交] 義和団の乱を鎮圧した列強は北京から部隊を撤兵したのにロシアは満州に出兵し続け
た。(義和団の乱とは1900年に起こった清朝末期の動乱で北清事変ともいう。宗教的秘密結社の団体が排外
主義運動を展開した。清の西太后が叛乱を支持し欧米列国に宣戦を布告した。8ケ国連合軍が北京に進出し日本
は最大兵力8000人を投入した)日本は、もし満州におけるロシアの野望が満たされれば、ロシアは韓国での
日本の優位を認めるに違いないと希望的観測をしていた。明治34年11月に伊藤博文と元外務大臣西徳二郎は
ロシアを訪問した。この時伊藤はロシア皇帝から勲章を授与され温かくもてなされた。シベリア横断鉄道で日本
に帰るようにも勧められた。大蔵大臣セルゲイ・ウイッテ伯爵に至っては、ロシアが韓国に何の利権も求めてい
ないと伊藤に断言し、日本が韓国に自由に管理することを容認する度量を示した。しかし事実は、ロシアは韓国
の利権について譲歩したと見せかけておいて、引き換えに満洲で自由に行動できるようにしようとしていた。
それまでは、ロシアとの協調を期待していた伊藤は失望し日英同盟の推進を決めた。
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