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ゴルフカートを巡る裁判劇の争点は結局、何だったんだろうか。表面上は公平さを巡る議論だった。PGAとゴル
フ界の大御所たちはマーティンにカートの使用を許可すれば、彼を不公平に優遇することになると主張した。そ
れに対してマーティンは自分の障害を考慮すれば、カートの使用によって競技の条件が等しくなるに過ぎないと
応じた。だが公平さだけが問題だとすれば簡単で明快な解決法がある。試合中のすべてのゴルファーにカートを
使用させればいい。全員がカートに乗れるなら公平さを欠くという意義がなくなる。この議論は公平さより名誉
と承認に関わっていたからだ。一流ゴルファーに相応しい名誉と承認はゴルフが体力を要するスポーツ競技と見
なされて初めて得られる。ケイシー・マーティンのカートを巡る裁判にはアリストテレスの正議論が鮮やかに投
影されている。正義は個別の集団の道徳と習慣には関与しないとする。従って、ゴルフのルールは法廷で判断するものではない。さらに正義は
名誉に関わっている。サンデル教授が名誉の問題を強調したのは、それがまさにマーティンがPGAツアーへ出場を懇請した理由だからだ。PGA
ツアーで勝利することこそ、プロゴルファー最高の栄誉とされているのである。「カートが使えるツアーで優勝できればそれでいいじゃないの」
とは思えないのだ。パラリンピックの水泳で認められている足ひれをオリンピックでも許可しようとか、陸上競技で鋼鉄製の義足を許可しようと
いう話になると、みな賛同しない。多くの人が「ゴルフの本質は歩くことは含まれないよね」と思っていてもPGAツアーにカートの使用を認めよ
うとはしないのだろう。なにが正義かを決めるのは不可能かもしれない。
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