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江別神社「宮司の独りよがり」

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ページ 1 (1〜10)   ホームページ
第一町内 引用
江別神社宮司 2024/5/8(水)15:41:00 No.20240508154005 削除
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No.1
  昨日は我が誇り高き「第一町内自治会」の総会でした。

一人を除いてあと全員が高齢者の出席でしたが、
みんな元気で助け合って生きていこうと確認し合いました。

江別で最も伝統ある自治会のひとつですので、お互い小さい頃から
知っている方が多く、そのため相互理解が深く、とても良い地域と
改めて感じ入りました。

夢 枕 引用
江別神社宮司 2024/5/1(水)08:34:46 No.20240501083244 削除
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No.1
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No.2
  ちょっと肌寒く、風が強いですが
今日から5月です。

 大好きな木瓜が石垣の間から顔を出して、ちゃんと季節を
知らせてくれます。


 私は不眠症で眠りが浅いせいか、毎晩夢を見ます。

昨日は二年前に亡くなったS幌・S訪神社のM田先輩が登場して
下さいました。

この先輩は本当に怖くて、神主になりたてのころは正面から
顔を見て話し出来ませんでした。

三十台も半ばになり、神社の青年会の役職をM田先輩から
依頼を受けたのですが、私は既にJC(青年会議所)の役職を
受けていましたので、お断りしました。

するとM田先輩は「神社の青年会とJCとどっちが大事なんだ」と
凄みました。

その時は一緒にお酒を飲んでいたのですが、飲んだ勢いで
「もう殴られてもいいや」と思って

「江別神社の祭りを守るためには、地元のJCが大切です」と
応えました。

そのことがあって以来、何かあると「内田!内田!」と
声をかけて下さるようになり随分と可愛がって頂きました。



 もうお一人の登場人物は元責任役員で江神會元会長のS旗さんです。

このお方は私の小中高の二年先輩で、
江別神社みこし會「江神會」を隆盛させた大功労者です。

江神會の黎明期にはほとんど毎日社務所へ来て、神輿會の
将来のことについて、時を忘れて語り合いました。

何度一緒にお酒を酌み交わしたか知れません。



 そんなお二方が別々の場面で、私の夢枕に立っていらっしゃいました。

人気を感じて振り向くと、斜め後方から私をじいっと見つめて
いるのです。

目が覚めて「もう早私を迎えに来ているのかな」と思いましたが、
その考えは直ぐに打ち消しました。

そんなことがある筈がないからです。

このお二人は「ちゃんと見守っているから、もっとそっちの世界で頑張れ」と
私を励ますために夢枕に立ったのだと、確信します。



 多分、来月には「肺癌か否か」の判定が下されると思いますが
「ちゃんと受け入れて」その後を考えようと思います。

桜&辛夷 引用
江別神社宮司 2024/4/28(日)12:30:41 No.20240428123000 削除
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No.1
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No.2
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No.3
  境内の桜と辛夷が満開です。

今日は風もなく、気持ちの良い穏やかな日です。

夕方からは1週間ぶりに風呂に入ろうかと思います。

NIKEのスニーカー 引用
江別神社宮司 2024/4/25(木)10:55:46 No.20240425105402 削除
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No.1
  昨日は23歳で夭逝した従妹甥の祥月命日でした。

 彼の形見にNIKEのスニーカーを頂きましたが、何だかもったいなくて
殆どはいておりませんでしたが、

三年祭が終わったのを機に普段履きしようと思います。


 彼は大学二年の時にパワーリフティングの全日本学生選手権で
優勝者と僅差で二位になったことがあります。

その時に優勝したA山学院の4年生はその後の世界選手権でも
優勝しています。

もしあの忌々しい武漢ウイルスが蔓延しなければ、
彼は翌年の世界選手権で優勝したかも知れません。

まったく残念でなりませんが、仕方ありません。


 両親は深い悲しみに打ちひしがれておりますが、そろそろ
悲しみを乗り越える作業に取り掛かる必要があります。

それは「悲しみを希望に変える作業」です。

 『生あるものいつか必ず朽ちる時が来る、

今生きている自分達も必ず死を迎える、

だからそのうちに私達もそっちの世界に行くからね、

それまでちゃんと見守っていてね、

永遠の別れじゃないよ、暫しの別れなんだよ』


息子を失ったことへの悲しみや、どうしてこんな目に合わなければ
ならないのかという怒り、悔しさ、辛さの中から何とか希望を見出し、
日々の生活を取り戻さなければなりません。

猫と鹿 引用
江別神社宮司 2024/4/24(水)07:23:20 No.20240424072202 削除
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No.1
  おはよう御座います、

 社務所の改修工事で行き先を失っていた鹿ちゃんでしたが、
従妹宅へ貰われていきました。

当初、先住猫の(Tan)²ちゃんがビビってパニックになるのではないか?と
心配されておりましたが、それはまったく杞憂で、もうべったりです。

(Tan)²ちゃんは仲間が出来て、とても喜んでいる様で、
鹿ちゃんの親元の私も嬉しいかぎりです。


 連休前は会合が続きますが、しっかりと務めを果たしたいと思います。

総代会総会終了 引用
江別神社宮司 2024/4/20(土)09:06:11 No.20240420090459 削除
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No.1
  ここのところ冬が戻ったかのような肌寒い日が続いておりますが、
境内の草木は春らしい姿を見せ始めました。

そして昨夜は令和6年度江別神社総代会総会が無事に終わりました。

 今年は江別神社鎮座140年の記念の年で、その記念事業として

➀境内整備・例祭用提灯新調(昨年実施)

A社務所改修 

B氏子用行事の開催などの実施を決議頂きました。

 役員・総代の皆さんは江別神社の様々なことに対し、
本当に理解を示して下さって有難いかぎりです。

今後も鎮守としての役割を果たすべく、努力を重ねて参ります。


 さて、ご神水の復活については、けっこう手こずっております。
今暫くお待ちくださいますようお願いいたします。

タイからのお客人 引用
江別神社宮司 2024/4/8(月)08:19:42 No.20240408081822 削除
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No.1
  昨日はタイからのお客人をお迎えいたしました。

 このCHACHAI夫妻はタイでレストランや輸入雑貨などの仕事を
手掛けており、今回も北海道に魚介類などの買い付けにお見えになりました。

 また、タイで常連のお客さんにプレゼントすると大変喜ばれるとのことで、
江別神社の商売繁盛の木札や熊手、金運守や勝守を大人買いされました。

特に金運守など、現在あるもの全てをお求めになりましたので、在庫がなくなって
しまいました。

 どういう訳か江別を大変気に入ったようで、タイのショッピングモールで
「えべつフェア」を開催し、江別の特産品を扱いたい、と申しておりました。

 陶器や焼き物、乳製品や小麦粉製品、日本酒などを紹介いたしましたが、
現地の方に充分喜ばれるのではないでしょうか。

私も出来得る限りの協力をさせて頂こうと思います。


 6月には肺癌の再々検査で余命宣告されるかも知れない身なのに、
自分の行動範囲を広げてしまって、全く困った性格です。

 タイには40年ほど以前に旅行したことがありますが、
今の体調を考えるともう行けないなぁ。

神前結婚式 引用
江別神社宮司 2024/4/6(土)18:19:10 No.20240406181756 削除
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No.1
  今日は公私ともに大変お世話になっている方の、お孫さんの
神前結婚式がありました。

 巫女さんの都合がつくかな?と心配だったのですが、
友人のお孫さんが引き受けてくれて助かりました。

 もし巫女さんの手配がつかなかったら、女房に無理やり
振ろうかと思っておりましたが、本当に良かったです。

 新郎新婦の末長いご多幸を心よりお祈り申し上げます。

台湾リポート 引用
江別神社宮司 2024/2/23(金)17:42:28 No.20240223173620 削除
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No.1
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No.2
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No.3
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No.4
  台湾リポート

3泊4日の日程で台湾へ旅行した。

初日と最終日は移動のみなので、実質二日間の自由行動。

初日:仙台経由で台北へ。

ここでまずドジ踏んで「入国カード」を持たずに入国審査を受けて、
もちろん戻されて30分も順番待ちで並んだのに、また更に30分並んでようやく入国。

 1時間以上も立ちっぱなしなので、もうこの時点で持病の椎間板ヘルニアが悲鳴をあげ始める。

 今まで18の国と地域へ100日以上も海外旅行しているのに、
こんな初歩的なミスを犯して、もう情けなくて忸怩たる思いでいっぱいだった。


 空港からMRTという地下鉄で移動し滞在ホテルへ向かう。

このホテルは地下鉄駅と直結で便利なのだが、地下街が想像もつかないほど広くて出口を探すのに苦労しながら午後10時に
チェックイン。

腹は減るし、腰は怠いし、夜店に行く元気は湧いてこず、コンビニの酎ハイで晩酌し、さっさと寝る。


:2日目

朝食を近くの屋台風の店で摂る。

婆さんが一人で切り盛りしている小さくて汚くて臭い店だが、黒飯の中にごちゃごちゃ混ぜてある
おにぎりと豆乳の味はまあまあだった。

帰国日は早朝にホテルを出て地下鉄に乗るのだが、
地下鉄駅の端から端まで1q位あるので、
ここで迷ってはまたドジを踏むと感じ、復路の予行演習を行った。

ほとんど迷わずに空港まで行き、コーヒーを飲んで台北まで戻り、
地下鉄を乗り換えて台北101というタワーへ行ってみる。

 ビジネス街なのか、ちっとも面白くないので、この辺りでの昼食は中止して
台北駅まで戻る。

ここで今旅行一番のドジを踏んでしまう。

何と地下街で迷子になりホテルへの出口を見つけられず、1時間半も徘徊してしまった。

さっさと地上へ出ていればいいものを、意地になって歩き続け深い闇へ葬られた。

きっと私は登山で遭難するタイプの人間らしい、
加えて老人性の意地っぱりに思い込みの激しさ、ボケが重なり、こういう事態を招いた。

黙って一緒に歩き続けてくれた女房には、本当に申し訳なく思う。

「いったい自分は何をやっているのだ」身も心もボロボロになりながら
夕方からは今回最も楽しみにしている「九份」へのオプショナルツアーに参加だ。

 「九份」は凄い。

日本が台湾総督府を置き統治していた頃に石炭や金を発見し、
その山をインフラ整備して産業を興し小学校まで作って、開発し発展させた。

要するに山肌に町を作ってしまったのだ。

 ガイドの台湾人も「日本のお陰だ」「日本人に感謝している」と感慨深げだった。

映画「千と千尋の神隠し」の舞台にもなり、現在は観光地として
有名で、この日も多くの人で溢れていた。

山肌の町は石で出来た150段ほどの階段で行き来する。

道幅は2〜3mでかなり急だ。

我々が登り始めたころはまだそれ程混んでいなかったが、暗くなると狭い道幅
いっぱいの人出となり、中には結構強引に人を押しのけてでも前へ進もうとする輩もいる。

「もし、こんな急階段で誰か転んだら大事故になる」
韓国・梨泰院の圧死事故を思い出し、頂上までは登らずに引き返した。

 午後9時ころにホテルに帰ったが、近辺の夜市はほとんど終了していて、
結局この日もコンビニのおでんと酎ハイ、日本酒の晩酌となった。

:3日目

 半日で台北市内を回るオプショナルツアーに参加した。

台湾一のパワースポットと言われる「龍山寺」を台湾流でお参りし、おみくじをひいた。

女房も私も「上上」でガイドによると日本の「大吉」に当たり最高の運勢と言われた。

そして「何を祈ったか」というと、私如きが「世界平和」を
祈るのは何だかおこがましい感じがして、とりあえず
「私の知っている人たちが平穏に暮らせますように」と
手を合わせた。

 オプショナルツアーは永康街という繁華街で解散し、ガイドが教えてくれた
「小籠包」の超有名店に行くも、既に100人位並んでいたので観光客が押し寄せないような
ローカルな店を選んだ。

ワンタンのスープも麺も甘しょっぱいひき肉がのったご飯も、全部美味しかった。

漸く台湾らしい食事にありついた。

 一度ホテルに戻って昼寝して、晩御飯は士林の夜市に決めた。

加齢と共に「昼寝が旅行に欠かせない日課のひとつ」になってきた。

夕方からもうひと踏ん張りして士林を歩き回り、お寺があればお参りし、
晩酌へとたどり着くために「昼寝」は大事な行事だ。


:4日目

 午前4時起床、6時にホテルをチェックアウト、空港へ向かう。

最も心配だった心の臓も頑張ってくれて、ずっと行きたかった台湾旅行を
無事に終えることが出来た。

女房の歩数計によると二日目には20,000歩以上歩き、とにかく
歩き回った旅行だったが「思うところ」もたくさんあった。


➀大陸(中国)から「化外の民」と馬鹿にされ「蛮族、土人」と相手にされなかった
台湾人にとって、功罪はあろうが日本が
台湾総督府を置き近代国家として発展を遂げることが出来た。


A当時東洋一の規模を誇った「烏山頭ダム」を作った
「八田與一」はその功績が称えられて銅像が建立されている。

しかもその銅像を作ったのは彼を尊敬し、感謝する「地元の農民たち」だったという。

「八田與一は日本人の誇りだ」と改めて思う。


B「私は台湾人です」という言葉を何回か耳にした。

私はこの言葉に彼らの矜持を感じる。
「自分たちは決して中国人ではない、台湾人だ」と。

李登輝も金美鈴も同じことを言っていた。


 ガイドが「台湾もウクライナみたいになるのかな」と漏らした。

現在、台湾人が最も恐れている事態だろう。

だが我々も「台湾有事は日本有事」と認識すべきだろう。

何故なら与那国島と台湾とはたったの110qしか離れていない。

中国から見れば日本も台湾もひとつのライン上の国だ。

どうすれば良いのか私如きに分かる筈もないが、台湾をクワッドに加えるべきと思う、
どんなに中国から反発されようとも。

C乞食(浮浪者)に出会うと「施し癖」が浮き上がってくる。

地下鉄の駅で男か女なのかも分からない乞食に小銭を渡してきた。

この癖をつけさせたのは昨年逝去した我が師である。

「海外でとりあえず目の前に困っていそうな人がいたら金を渡せ」と。

お元気なころは毎年のように海外旅行されていた我が師、
帰国時には両替した有り金全部を人に渡したり、
寄付箱に入れていた。


自己満足でも危険行為でも何でもいい、私は師の教えに従う。

桜木紫乃さん 引用
江別神社宮司 2024/2/8(木)07:56:04 No.20240208075422 削除
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No.1
  昨日ひとりの女性が厄祓にお見えになりました。

 全身から「上品オーラが漂いまくっていて」
いわゆる普通の人とは全然雰囲気が番っていて、

祝詞を奏上しながら「どなただったかなぁ?」と考えておりました。

 お参りが終わって「桜木紫乃さんですか?」と尋ねると
にっこり笑って「そうです」と仰いました。

 私は彼女の作品はけっこう読んでいて、どれもこれも面白いのですが、
特に「光まで五分」の歯科医と売春婦とやくざとホモ青年との世界観が
最高に面白いと感想を申しました。

すると彼女は「あの作品は苦労して書き上げたが、評価してくれる人は少なかった」と
仰いました。

皆さんもどうか読んでみてください。(自分で買って)

そして「桜木紫乃ワールド」に足を踏み入れてください、
きっと埋没しますから。

 この天才直木賞作家が地元江別在住で、しかも、ことある毎に
江別神社にお参りに来てくださっているって、

 この日は肺癌の検査の日で、朝から憂鬱でしたが
病魔に立ち向かう勇気を頂いたように思います。

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