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午前2時半に今晩二度目のおしっこタイムに起き、
用を足して寝床に戻りふと「もし孫が産まれたならば」と
考えると、もう眠れなくなってしまった。
眠れぬ寝床でイライラするよりも、さっさと起きて投稿文を
書くことにした。
私に「もし孫が産まれたならば」
それが男子であっても女子であっても
『人から笑いものになる人生ではなく
人を笑わせる、人を笑顔にする人生』を歩んで欲しいと願う。
もう40年も近く前、女房と私とに子供たちが授かり子育て期に入って時、
私は自分の心に余裕が無いため、我が子らに充分に接し、
プライマリー・エディケーションを与えられなかったのではないか、と振り返っている。
何でも女房に任せて、自分は忙しい忙しいと言い訳を言い、
仕事とJC(青年会議所)、斯界の青年会活動に逃げていたのではないかと。
私に「もし孫が産まれたならば」もうその轍は踏まない。
孫たちが地域社会の中で、少しは上品なギャグを発し
地域の人達に笑顔を与え、信頼され、充実した人生を送るためには、何が必要か!?
➀国語と算数〜リテラシーを高め多くの言葉の意味を解し、
更には帰納法、演繹法と言った論理的思考を
身に着けさせるために爺は頑張りたい。
これが「気の利いたギャグ」への第一歩だ。
A感性を磨く〜人として生きるための「思いやりの心」を育むた
めに多くの人と接し、様々な価値観に触れる。
そして大自然に身を置き、陽に照らされ、雨風に
当たり雪に吹かれながらも、自然の織り成す美し
い光景に心を揺らされ、人知の及ばない世界を知
る。
その大自然に神を畏敬を見出すお手伝いを、
「七十にして矩をこえず」の爺が担当したい、
のだ。
私に「もし孫が産まれたならば」
もう少し元気で頑張って生きていなければならない。
もうすっかり夜が明けてしまった。
あと一時間くらい床について、眠れるかな。 |
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