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みんなの広場「こころのパレット」

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〈“自由”をめざして〉 引用
池見隆雄 2025/5/1(木)14:40:10 No.20250501134132 削除
 今夏の、私のところ「(一財)日本心身医学協会」の催しものをご紹介します。

 @ 本山智敬氏(福岡大学人文学部 教育・心理学科教授)をゲストに招いてのワークショップ、
   『喜びへのプロセスとしての中動態』。 6月28〜29日(土・日)

 A 池見 陽氏(関西大学名誉教授)をゲストに招いての、
   初の“ダブル池見(池見陽+池見隆雄)”によるワークショップ、
   『自分の温かみ、他者(ひと)の温かみ』。 8月9〜10日(土・日)

 @、Aとも、エンカウンター・グループとのコラボでもあります。
 詳しくは、協会のHP(https://ikemitakao.net)をご参照ください。

 言語学でいうところの「中動態(曾て存在した能動・受動態の仲間)」の性格と
 スピノザの存在論とは少なからず重なり合い、
 また私個人としては、
 それらとフォーカシングの立脚点との間にも近しさを覚えています。

 何しろそこでは、私たちにとっての“自由”とは何かが
 知的・体験的両面からめざされていると思えます。

 「心にはカタチがない――
  つまり無限であり、無限であるから何でもあり得る」。

〈連繋のただ中に〉 引用
池見隆雄 2025/4/23(水)15:08:13 No.20250423145358 削除
 フランスの作曲家、エルネスト・ショーソンの代表作の一、
 ヴァイオリン独奏と管弦楽のための『詩曲』を聴いた。
 1930年代の古い音源のデジタル化(CD)によって、
 ジャネット・ヌヴォ―の独奏で。

 その演奏のスケールの大きさ、集中度の高さに舌を巻く。
 当時、将来を大いに嘱望される若手であった彼女は、
 アメリカへ演奏旅行へ向かう途次、乗機が太平洋上で墜落し、
 ピアニストの兄ともども亡くなった。

 『詩曲』は、作曲者が、ロシアの文豪、ツルゲーネフの作から霊感を得て着手されたものらしい。
 マックスブルッフ作の独奏チェロと管弦楽のための『コル・ニドライ』を想わされもする。
 こちらの曲を、曾て、チェロの大家、パブロ・カザルス他で初めて耳にしたときは
 胸が熱くなった。

 『詩曲』の方は数度目だけれど、
 なぜか今回が最も私の情感に交じり合い、
 そういうときの常として別の演奏・録音でも味わい直してみたくなる――
 現代フランスの俊英といわれる、オーギュスト・デュアメルの『詩曲:フランス・ヴァイオリン名曲集』を求めることに。
 尤も、私は、今日までこのヴァイオリニストについて全くの無知。
 マリア・ジョアン・ピレシュと組んでのヴァイオリン・ソナタのCDが何枚が出ており、
 ピレシェがパートナ−に選ぶくらいだから相当の実力者と見当をつけた次第。

 ポルトガル出身のこの女流ピアニストとは30年くらいの付き合いになるか。
 モーツアルトのピアノ・ソナタ集のテンポ(遅め)を気に入って以来だ。
 指の力が強いとも聞くが、打鍵の一つ一つに強弱の別なくある種の重みが乗っており、
 それが楽音の実在性を高めているように思えるのは私だけだろうか。
 あの曲この曲という以前の彼女の魅力――極論すれば、
 ピレシュは、ピアノの前に座ったとき、既に彼女の実在性を発散している。

 さて、今度、久し振りにヌヴォ―の『詩曲』を手に取ったことが、
 結局、デュアメルを介してピレシュの精神を遠望することになったわけだ。
 ヌヴォ―の録音はもう一曲、ラヴェルの『ツイガーヌ』が手元にある。
 こちらへは実は一度も耳を傾けていないのだが、この今の心境ではそうなる可能性もありそうだ。
 すると今度はそのことが、一体どこへ、あるいは誰へ私を導いて行くのだろう。

 私たちは、他の存在者たちと連携のただ中でしか息を吐(つ)けないのだ、恐らく。

〈コロヒラット〉 引用
池見隆雄 2025/4/17(木)15:34:09 No.20250417151334 削除
 昨日から、本当に久し振りに、位已光児(いいこうじ)さんの著された、
 『コロヒラットの世界』(因みに、「コロヒラット」は、心を開くの意に沿う位已さん自身による造語)
 を読み返している。

 驚いた、以前より遙かに心に沁みてくる
 ――そうはいっても理解出来るというのとは異質。
 そこに記されていることが、
 言語以前の次元で沁みてくるといおうか。

 改めて驚かされた、
 これは本当に本ものだ。
 我々の存在、生きとし生けるものの原理を解き明かしてくれている。
 少し引用してみたくなった、

 「…つまりコロヒラットの視点というのは、総合的複合的重層的と言えます。 
  それを宇宙から見るというわけです。
  そうしますと、自分の位置が、他と比較しなくてもはっきりと見えてきますから、
  在りのままで存在感が見出せます。
  それは理屈抜きの実感です。
  その実感が本来の限りない可能性を実現させます。」

 位已さんも、今年で91歳を迎えられる。
 先の唯一の著書の他に、講演録などの冊子類もかなりの嵩に上るので、
 この世の人々への贈り物として出版しなければと思う。
 その当てを現在、漠然とながら手探りしている。

 もう一つ書き加えるとすれば、スピノザ説くところの「実体」と、
 位已さんのカタチのない「こころ」・「いのち」の共通性だ。
 両者の核となる体験は同質で、
 それぞれの表現が相異するだけだといっても過言でなかろうと思う。

〈ラテン語の裏表〉 引用
池見 隆雄 2025/4/12(土)14:21:22 No.20250412141118 削除
 一昨日、『ラテン語入門』なる書籍を購入。
 表向きの動機は、
 いつの日かスピノザの『エチカ』に、原典(ラテン語)で親しみたい。

 では、裏側のそれはといえば、
 からきし語学不得手で今日まで来たが、今のうちもう一度挑戦してみたい。

 山下太郎著の入門書は、
 装丁も古き含蓄に富む言語を偲ばせる落ち着きを備え、
 初心者にとって学習しやすい構成とも見受けられる。

 有り体に言わば、掌の上に夢の泡を一つ乗せたかのような
 ――危ういが心弾む。

〈邂 逅〉 引用
池見 隆雄 2025/4/10(木)13:54:31 No.20250410133648 削除
 先月22〜23日(土・日)に、
 九州気功協会会長・古屋ネネさんをゲストとする2日研修会
 (会場:福岡市城南区在、民宿「木香庵」)を開く。

 ネネさん自身の体験も織り交ぜての味わい深い気功談義、
 そして気功、瞑想の実習。
 2日とも休み時間は些かのおやつタイムのみで、
 昼食も摂らず、午前10時から午後4時前後までぶっ通し。
 参加者の感想の表明や参加者同士の遣り取りも、
 協会の研修会にはなくてはならない要素。

 その研修会の終了間際、位已光児さんを知る参加者の一人が
 その存在、またその思想(世界)へ言及するや否や、ネネさんの両眼が強い光を宿し、
 「是非、位已さんをお招きして、お話を聞きたい」と。

 私が仲立ちをして、来月18日(日)に、小倉の「松柏園ホテル」関連の施設で、
 位已さんを囲む会が持たれることに決定。
 いつもながら、何かを思い立ったときのネネさんの行動力の俊敏なこと。

 私も、当日の参加を申し出る。
 「タカオさん、どうしたの? 」とネネさんからの問い返しを受ける。
 私が滅多に、新たな行動を起こさない人間と良くご存じなので。

 しかし、今回ばかりは、安閑としてはおれない。
 お二人の邂逅を見届けるべく、
 ファシリテーターの役割も担い旁、博多から出向いて行く。

〈Tさんへの返信〉 引用
池見隆雄 2025/3/13(木)14:35:36 No.20250313143012 削除
T さん

 メール、拝見。
 午前9時15分に来所のこと、了解。
 駐車場の利用、お構いなく。

 本当に、S先生は、゛自然の勢い”を如実に発散されておられます。
 それが、多くの人々を引き付け、動かす原動力でしょうか。
 ――スピノザの言う通りとすれば、
 私たちは実体の本質(存在すること、絶えざる活動、無目的、無条件の喜び・いつくしみ)から
 生じて来たわけですから。

 位已光児さん然り、
 恐らくロジャースやジェンドリンにおいても、
 その勢いは溢れるほどでしょう、きっと。

 私たちも、そういう方たちに遭遇するにつけ、
 益々、中動態、ひいてはスピノザの゛泥沼”へ引き込まれて行くのでしょう。
 お互い、覚悟を決めますか。

 〇日のグループ、楽しみにしています。

      〇月〇日            池見隆雄

〈Aさんへの手紙〉 引用
池見隆雄 2025/3/12(水)14:22:10 No.20250312141611 削除
A 様

 先日の木曜会で久しぶりに再会でき、
 短いひとときとはいえ対話・会話できたことを嬉しく思っています。
 Aさんとあたかも初対面であるかのように新鮮に、
 その一方、馴染み深く過ごさせていただいたと思い返されます。
 あたかも時が流れていないかのように。

 また、他の参加の方々へのAさんの反応に、
 持前の感性の発現をも感じ取らせていただきました。
 そこに、常に緊張感が混入していたとしても。
 感性と緊張のそういう同居に、今回も私は、共感させていただいたものです。

 お土産、美味しくいただき、週末のミニ・グループへも提供させていただきました。
 塚本猪一郎氏のオリジナルカレンダーは、協会の一画に掛けさせていただいています。
 過分な品を恐縮です。――協会を訪れられる方々は、
 その版画の醸し出す空気に、童心にも似た安らぎを覚えられることでしょう。

 では、またいつか。
 今後も、互いに自愛しつつ、自分として堂々と生きて行きましょう。


     〇月〇日            池見隆雄

〈フォーカシング〉 引用
池見隆雄 2025/2/17(月)15:27:30 No.20250217151723 削除
 昨今、協会の中庭の一隅に、水仙が咲き乱れている。
 私には、自惚れている彼らでなく、
 フォーカシング(内省・自己への沈潜)していると見て取れる。
 
 極めて不十分な理解、身勝手に基づくなら、
 スピノザの神(自然・実体)は、絶えずフォーカシングを継続している。
 それに伴うシフトなりが、この世の存在者に他ならないということ。

 といって、それらは神の手になる被創造でなく、
 シフトなのだから、神自身の“表現”というのが適当だろう。
 しかもその本質を神と分有している、
 ――神は、それら以上ではないといって過言でない。

 私たちは、その本質はそれぞれ互いに異なっても、
 出自において全く平等なのだ。

 水仙たちは、常にフォーカシングしつつ、
 互いに尊重し合っている。

〈手 間〉 引用
池見隆雄 2025/2/14(金)14:58:52 No.20250214144409 削除
 読書中に、とくに関心を引かれる、共感を覚える、感動する等の箇所を抜き書きするとか、
 翻訳書の訳注を検(あらた)めるということを今日までほとんど顧みずに来た。
 一冊を読み了える、その事実が最優先だったように思う。

 膨大な対象を読破すれば人生の何か真理のようなものが見えて来る、
 あるいは自分の進むべき方向が示唆されると頑なに思い込んで来た。
 それに加えて持ち前の面倒臭がり。

 ところが今頃になってその重要性に気付かされつつある。
 一方で、いわばそういう回路が欠如しているものだから、作業は難航。
 とはいえ、就眠前の、その日一日への悔いが、減じ始めたのも事実だ。

 生活の到るところで手間を惜しまない、
 "実体”の本質である絶えざる活動を分有している我々のことだから、
 その姿勢がそのまま、存在に適っているのだと思われる。

〈二月五日〉 引用
池見隆雄 2025/2/6(木)14:36:59 No.20250206141758 削除
 曇天です。
 ただ今、午前10時21分、室温14.7度です――起床時、6,8度。
 歩道に粉雪がうっすら張りついている中を散歩へ。
 今度の日曜日にも、是非、山歩きへ出かけよう、ふと思う。

 それにしても、散歩用の靴を新調しなくては。
 今朝、出かける前に靴底を確認してみると、
 ほとんど溝がないというありさま。

 『エチカ』第二部を開く。
 お茶は、長女の上司からの土産物の伊勢茶。
 起床時、軽いめまいあり。
 そのわりにはふらつかず、近頃の腰の痛みにも、さほど悩まされずに歩けたか。

 夜中、身体が冷えるので、肌布団を重ねる――
 曾ての協会会員Hさんのご親族から、香典返しとして頂いていたもの。
 つい、「Hさん、頼みます」と心中に念じてしまう。

 Hさんは口数のごく少ない、孤独な鬱情を秘めた方で、
 就床中に、定かでない原因のため人知れず亡くなられた。

 午前中に、チョコレートを二個。シリマリンを一錠。
 ほぼ更地となった隣家で、今日は、ブルドーザーが働いている。
 10日もすれば、コイン・パーキングが完成するという。

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