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みんなの広場「こころのパレット」

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〈奏でる者の一日 @〉 引用
池見隆雄 2024/4/24(水)16:01:00 No.20240424153025 削除
 “独り”を奏でる者としての私の一日は、机へ向かうことから始まる。
 机へ向かっての初めの行為は、もうずっと、スピノザの『エチカ』を開くこと。
 昨日、その第一節を終了――何回目の終了になるのか覚えていない。
 といって何十回という単位まではないが。

 その他、夕方までに、三、四種の書物を開く。
 『エチカ』に次いでは、國分功一郎さん著、
 『スピノザ――読む人の肖像』・『スピノザの方法』・『中動態の世界』のいずれか。

 昼食後には、最近、ある方から進呈された、『滝沢克己・朝のことば』へ一項のみ目を通す。
 曾て、毎日新聞に連載されたコラムの集成。
 1回目は、『論語』から以下の一節を取り上げられてある、
 ――疏食(そし)を食(くら)い、水を飲み、肱(ひじ)を曲げて之を枕とす。
   楽しみまたその中に在り。
   不義にして富み且(かつ)貴きは、我に於(おい)て浮雲の如し。

 夕暮れ頃には、上野修他編の『スピノザと十九世紀フランス』を。
 高価であったけれど、少なくも私にとってこれは良書であり、
 読み始めて間もないが、目から鱗という瞬間に何度も遭遇している。
 例えば、アランの、高等学校(リセ)の「哲学級」の恩師、ラニョーが、
 なぜプラトンとスピノザのみをテキストに用いたのかという思想史的背景など。

 読書の合間に、連絡のためのメールや、会報の原稿・小文を記す。
 短時間だが、アルトゥール・シュナーベルの独奏(ピアノ)や、ヒルデガルト作品のCDに、
 半ば呆然と耳傾ける。

 その場にサブ(猫)が居合わせると、
 寝入っていても頭を上げ、ピアノ、声楽の音に目を細める。
 いつか、曲の中途でプレーヤーを止めたところ、
 「フニャ」というような不満気な口吻を漏らしたものだ。
                         (続く)

〈演奏家〉 引用
池見隆雄 2024/4/23(火)13:59:18 No.20240423135331 削除
 ピアニストと呼ばれるほどの人は、
 日々、7,8時間は、ピアノへ向かうという。
 私は、それに倍する時間、ほぼ独りで過ごす。

 “独り”を奏でる演奏家 という発想に、
 昨日たまたま思い当たる。

 折々催すワークのファシリテーションは
 共演者ともどものリサイタルだ。

〈相応の愉楽〉 引用
池見隆雄 2024/4/22(月)14:32:22 No.20240422134002 削除
 モンテヴェルディ(1567〜1643)作、『聖母マリアの夕べの祈り』という曲目への初認識は、
 20歳前後、レコード雑誌の推薦盤の一つとして挙げられていたことによって(当時はまだLPレコードの全盛期)。

 その曲自体を味わいたいというのがもちろん第一だが、
 その他いくつかの動機から、私は、カートンボックス入りLP3枚組の入手を猛烈に望んだのだが、
 自らの稼ぎもない若造にとって、当時の6600円の価は重きに過ぎた。
 それから長い長い時を経て、今から10年ほど前、ようやく2枚組のCDで購入したものの、
 曾ての情熱が伴っていず、ヒルデガルトの曲に触発されるまで未聴のまま放置していたわけだ。

 LP、CDそれぞれの指揮者は別人だが、ともに、宗教曲の権威として世界的に名を知れた存在。
 生憎、今、前者の名前を思い出せないが、ともかくそのスイス在の大物を、
 どういう手蔓を得られたのやら、私の友人がチェロ群の一翼を担う、東京のアマチュアオーケストラが招聘することに成功した。
 演奏曲目はメンデルスゾーンの宗教曲(これもCDに収録すれば2枚分の大曲)『エリア(救世主)』。

 リハーサルはもちろん、演奏会さえ私は見聞したわけではないが、
 その指揮者との初対面から、団員たちが胸躍らせたであろうことは、友人からの伝聞をまつまでもなく容易に想像できた。
 我が国内外のローカルな指揮者を見下すつもりは毛頭ないが、
 “世界的”という以上、指揮法のみならず、教養全般の幅・奥行き、
 そして人格、というか人としての存在感・魅力において一頭他に抜きんでているわけで――。
 一挙手一投足が団員を魅了し、さては高揚させたであろうと思われる。
 そしてそれは、演奏会へ向けて白熱の度合いを増し、そこにおいて最高潮に達するのは自然の成り行きというものだろう。

 演奏会後の打ち上げにおいて、友人の言にれば、
 すべての団員が実力以上の性向に酔い痴(し)れ、
 そこへと導いてくれた指揮者の技量を人格の大きさとを賛美してやまなかったと。

 こうした華々しい経験は、更にも団員たちを、その後の演奏活動へと打ち込ませるようではないか。
 ところが、演奏会から半年と経たぬ内、オーケストラは解散してしまった。
 団員の誰もが、二度とあのような演奏の高みに達することの不可能を痛感するに至ったのだ。
 練習に励むどころでない。
 別様の表現をすれば、彼らは“燃え尽き”たのだ。

 チェロ弾きの友人は、独身を通し、現在、年齢相応の持病を抱えつつ、
 専ら聴く側としてクラシック音楽を伴侶としつつ、静かに暮らしている
 ――彼にとっての音楽は、本来、そういう質のものだと思う。

 モンテヴェルディの作品と、私との相性はあまり良好とはいえない。
 オーケストラの伴奏つき、4名の声楽のソリストが混声合唱団、少年合唱団を先導するという規模の大きな陣容は、
 当然ながら華麗な装いをまとって展開される。
 それより私は、宗教曲ならば今後も、ア・カペラ(無伴奏)の独唱・重唱からなるヒルデガルトのアルバムや、
 〈ドイツ音楽の父〉と呼ばれる、やはりア・カペラのハインリッヒ・シュッツ(1585〜1672)の合唱曲やオラトリオ、
 また、バッハ(1685〜1750)の諸作へより多く手を伸ばすだろう。

〈私は存在する〉 引用
池見隆雄 2024/4/15(月)12:15:12 No.20240415120757 削除
K 様

 思い掛けない長文の返信を嬉しく読みました。
 日々、一人で生き抜く方向で、注意深く頑張っておられる様子に触発されます。
 そんな中で、位已さんへ電話されるのは大変有益ではないでしょうか?
 電話番号は、次の通りです。 〇〇〇〇〇・・・

 私は、この3年ほどの間に、位已さんへ、1000回以上も電話を入れて、
 ようやくいくらか、位已さんの洞察を我が身のこととしても感じられ始めているところです。
 例えば、私が殊更行き詰っているときに、「生きている事実」といわれます、
 もちろん初めは何のことやら取り付く島もないという有様でしたが、
 次第にその“事実”の重大さ、広大さが身に沁みて来ています。

 ――私を含め全ての存在者の各々は、全体自然を構成している無限の要素の一つに過ぎないとも見なし得るわけですが、
 それら要素のどれか一つでも欠ければ、全体の秩序が失われるという意味では、
 各々は掛け替えのない存在です。
 そして、私たち存在者(要素)は、
 常に全体の秩序に依拠しつつ、またそれを尊重しつつ、生活して行くのが必然であり、
 Kさんの、注意深く頑張るという姿勢は、立派にそれに該当すると思われます。

 あくまで入り口は己のためであるかのようで、それが自(おの)ずと全体に関わって行くのだと思います。
 17世紀の哲学者、デカルトやスピノザにとっても、
 「私は存在する(存在するという事実認識)」が彼らの哲学の出発点です。
 
 以上、余計なことを書き付けてしまったかも知れません、悪しからず。

〈春たけなわ〉 引用
池見隆雄 2024/4/12(金)15:03:42 No.20240412150208 削除
 空を渡る ジェット機の

 爆音さえ 春めいて

〈ヒルデガルト熱〉 引用
池見隆雄 2024/4/10(水)15:07:28 No.20240410143417 削除
 ヒルデガルト・フォン・ビンケンはハーブティーの始祖でもある。
 八百種以上のレシピを残したという。
 それに基づいた有機栽培のティーを、オーストリアの生産者から取り寄せてみた――。
 「女性のための」、「温まる」、「力の出る」などと銘打った5種のティーバックアソート。
 市販のそれらより格段に味わい深く、その分、効能も期待できそうだ。

 紙の容器に、机へ向かって書き物をしている、修道服姿のヒルデガルトの絵が添えられているが、
 それを眺めているうち、もう何十年も前、どこかのエンカウンター・グループに参加したとき、
 主催者が参加者向けに調える茶菓子のひとつに見掛けていたことが、おぼろに思い出された。
 当時はハーブへ無関心、勿論ヒルデガルトとは無縁で、
 にも拘らずその絵姿が印象付けられていたのは不思議な気もされる。

 私は青年期から、グレゴリオ聖歌を始め宗教曲へも、クラシックの他のジャンルに劣らす親しんできており、
 そういう経緯も手伝ってヒルデガルトの作曲へ強く惹かれたわけだが、
 それに加えるに、青年期以前から修道、清貧、孤独といった処し方へこれという必然もなく憧憬の念を抱いており、
 ヒルデガルトの修道服姿がその念へ反映されでもしたろうか?

 ヒルデガルトの曲を聴いていると、健常とは言い兼ねる左耳の聴力が、
 前のスレッドの表現を採用すれば、宇宙の秩序に感応して復元されるようでもある。

 また、彼女のお陰で、改めて宗教曲への馴染みが深まり出し、
 例えば、購入していながら長らく未聴のままに放置していた、16世紀イタリアの作曲家、モンテヴェルディの大作、
 『聖母マリアの夕べの祈り』などへ手を伸ばしかけている昨今から推して、
 何かと頑固な私も、ハーブと音楽とを同時に味わうという新たな習慣へ導かれないとは限るまい。

〈コナトゥス〉 引用
池見隆雄 2024/4/8(月)13:53:41 No.20240408133913 削除
 『スピノザと十九世紀フランス』という論考を購入し、
 それによってフローベルが、スピノザの汎神論の影響下で
 晩年の未完の大作『ブラヴァルとぺキッシュ』へ向かっていたと知り、
 中断していた、ドキュメント風の小説、『フローベルの鸚鵡』を再び開く。

 偶々、アレクサンドル・デュマ(『三銃士』の作者)が、
 プロイセン帝皇后付きの料理長に指南されたという、
 モスクワ風の熊の手の料理法が引用されていた。

 大変な手間だ。
 これは、フローベルが“熊”を自称していたことからの 
 作者、ジュリアン・バーンズの連想。

 熊の手は、昔から中国でも珍重されてきており、
 私も中国古代史か何かで「熊掌(ゆうしょう)」という単語を見掛けた覚えがある。

 スピノザは殊更美食家というのではなかったが、
 おいしい料理やよい音楽・演劇など、
 こころ・身体を喜ばせる要素を広く推奨している。
 人間の現実的本質(コナトゥス――自分の存在に固執しようとする努力)の働きを
 促進するからだという。

〈ヒルデガルトとの遭遇〉 引用
池見隆雄 2024/4/4(木)14:37:32 No.20240404142221 削除
 12世紀ドイツの女性、ヒルデガルト・フォン・ビンケンの作品を収録したCDを入手する。
 最近、ある書物によってこの女性の存在を知り、
 驚かされ、
 その音楽作品に強く惹かれた結果だ。

 彼女は8歳で修道院に入り(正式に修道女となるのは15歳)、
 よき師の導きを得て、神学のみならず43歳ごろから神の啓示に従って、
 神学に限らない多方面の著作を物し始める。

 そして預言、作曲。
 ――彼女をドイツ最初の作曲家と見なしてもよく、 
 大部分は典礼用だけれども、オペラの起源というべき大作さえ含まれる。

 序でに述べれば、彼女の聖職者督励のための説法は舌鋒鋭く、
 イエズスその人を想わしめるほどだった――その筆録も今日まで伝えられている。
 また、彼女を慕ってくる多数の人々のために、
 皇帝の援助も得られて二つの修道院を建立したという。

 最初にそのCDをかけたとき、私は心身両面で状態が思わしくなく、
 しかし、「こんなときこそこの人の曲を」と思い立ったのだったが、
 あたかも宇宙の秩序が身内に沁み込んでくるかのような蘇りを満喫したのだった。

〈有限・無限〉 引用
池見隆雄 2024/3/13(水)14:16:41 No.20240313141320 削除
 綻(ほころ)んだ二輪の海棠(カイドウ)が、
 春先の風に、震えるように揺れていた。
 感動を覚える。

 ――有限の外部に無限あり。

〈通じ合い A〉 引用
池見隆雄 2024/2/7(水)15:35:37 No.20240207152927 削除
 今日午前、仕事の合間に、
 シュナーベルの演奏(ベートーヴェンのピアノソナタ第27番)を聞きかじり、 
 ――つまり適当なところでプレーヤーを止めたところ、
 傍らに坐っていたサブが、
 私を振り仰いで不満げに一声鳴いた。
 目線にもそういう色が漂う。

 クラシック音楽も趣向に合うんだ、サブは。

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