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心 の パ レ ッ ト

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〈日 常〉 引用
池見隆雄 2020/11/27(金)13:41:09 No.20201127134021 削除
 三泊グループから協会へ帰り着くと、
 黒猫のイチに出迎えられた。
 留守中の餌などの世話は、お手伝いのIさんに引き受けて貰っていたので、
 空腹というのではないのだろうが、
 付きまとって一瞬も離れない。

 なんとも煩わしいが、
 なんとも愛らしい。

 協会の(猫との)日常が、再開されるのだ。
返信(2)を読む 最新返信日:2020/12/3(木)14:21:03

〈同 朋〉 引用
池見隆雄 2020/11/30(月)13:53:46 No.20201130134340 削除
 昨夜は、モーツァルトの晩年(といっても30そこそこなわけだが)の弦楽四重奏曲を、
 彼の全作品を網羅したCDのセットの内から聴いた。

 演奏団体は、ウィーンの「フランツ・シューベルト弦楽四重奏団」。
 この団体を知ったのはこのセットによってだが、
 録音の優秀さと相俟って、
 透明感溢れる伸びやかさが、まずは、何とも心地良い。

 しかし、それだけではない、
 その底に、しみじみとした何かが通っている。
 月並みな表現だが、作曲者への深い愛着と共感(?)

 彼らの演奏によって、私は、
 モーツァルトに、相まみえているようなものだ。

 心地良く、しみじみとさせられ、
 やがて、作曲者を介して同朋愛に包まれるのだ。

〈歴 史〉 引用
池見 隆雄 2020/11/27(金)13:39:08 No.20201127133155 削除
 修道院付属の研修・宿泊施設「黙想の家」(福岡県宗像市)を会場とする、
 最後の3泊エンカウンター・グループ、昨日終了。
 使用させてもらうようになって、15,6年か。

 あの広大な敷地(2万坪)を擁する施設を、
 二度と訪れることがないというのが、いまだとても実感されない。

 事務担当の方と暫し名残を惜しみ、
 キリスト像の前で、Mさんとともに写真を撮っていただく。

 明春の3泊グループは、
 福岡県宮若市の脇田温泉「湯原(ゆばる)荘」に於いて。
 新たな歴史が始まる。

〈手 際〉 引用
池見 隆雄 2020/8/31(月)15:04:28 No.20200831143334 削除
 新聞紙上に何度も広告が掲載されたから
   (近年、新聞の購読者数が減少しているとしても)、
 「掲示板」を閲覧される方たちもご承知かと思うけれど、
 “はがきの名文コンクール”(テーマ「一言の願い」)という企画が、
 毎年、この時節に催されている。
 確か今年で6回目。

 私は以前に一度か二度、応募したことがあり、
 今年も、賞金を、コロナのため研修会などの実施不可な協会の運営に充当しようとの、
 およそ現実離れの魂胆もまじえつつ、
 そういう気持ちに誘われた。

 今年5月25日(土)、私の帰宅直前に、
 手乗り文鳥(愛称サジ)が逃げ出した出来事を、題材に選んでいた。
 妻からその報せを受けたとき、私は文字通り、絶句したものだ。

 その出来事を「掲示板」へは投稿せず、
 却ってコンクールに応募することにした。
 20字以上200字以内というごく限られた字数に収める方が、
 自分の感情を制御するのに役立つように思えたのかもしれない。

 昨夏にはチビ(猫)の死について投稿したが、
 意に任せた文は、悲しみを蘇らせずにおかなかった。

 私の家へ迎え入れて間もない、およそ5年前のサジは、
 粟玉など幼鳥用の食物へ対して少しも欲求を表さず、
 途方に暮れかける私を尻目に、
 妻は、片手にサジを鷲掴みにし、我が胸にしっかりと固定させるや、
 親指と人差し指両の先で彼の嘴をこじ開けておき、
 もう一方の手の給餌器から食物を挿入するという芸当をやってのけた
 ――サジが嫌がってもがこうと、
   喉の直下に位置する胃袋を視認しつつ、それが一杯になるまで継続。

 そうして彼は、自分のことを人間と思いなしているとしか見て取れないほど、
 私たちに近しく、愛らしい存在に成長した。

 応募作の主部は、
 サジ喪失後、数日目、職場の私に応答した、妻のメールからなる。
 彼女は私以上に悲しいはずだが、
 その文面から窺える心のバランス維持の手際は、
 サジ養育に当たっての彼女を髣髴(ほうふつ)させた。

 コンクール落選の暁(あかつき)には、
 拙作をここへ投稿のつもりなので、乞うご期待(?)
返信(2)を読む 最新返信日:2020/11/26(木)19:10:10

〈翔んで埼玉〉 引用
池見隆雄 2020/10/30(金)14:19:21 No.20201030133203 削除
 通い形式による、ある土、日2日間エンカウンター・グループの2日目朝、
 前日同様、開始に当たって、全参加者間で、各々に、
 偶々その時心に思い浮かぶ何らかを、表明し合って貰う。
 但し、とくに何も思い浮かばない、
 思い浮かんだとしても言葉にし辛い、
 あるいは敢えてそうしたくないというのであればパスも可。

 女性メンバーの若い一人が、昨夜、1日目を終えて(1日目は午後5時終了)帰宅後、
 炬燵に温もりつつ、テレビ放映の『翔んで埼玉』を視聴していたが、
 中途で眠気を覚え、あとは録画に切り替えたという。

 「途中で眠たくなるような映画じゃないと思うけど・・・」
 誰かが茶々を入れると、
 当人と私を除くメンバーほぼ全員が同調の笑い声を立てるので、
 初耳の私にも、劇場公開中から観客(視聴者)を倦ませず、
 評判になった作と推測がつく。

 さて、2日目は午後3時半をもって終了となるが、
 その数分前、私はその女性メンバーへ、
 次のような提案めく、自(おの)ずからな表明を試みている、
 「あなた自身に、もう少し、心を動かすことを許していいんじゃない」 と。

 その人は年少時から武道を続けて来ており、稽古中に大怪我を負いさえしたらしいが、
 まるで化粧気のない見た目からして、
 またグループという話題の流れに棹(さお)差しての折々の発言を通して、
 感じる心の働き―心の動揺を、極力、抑える習慣を身につけているのが窺われた。

 しかし、彼女は、近い将来、
 他者を心理的に援助する立場に身を置くことを希望している。

 つまりは、他者とともに心を動かすこと、
 しかも相手に巻き込まれてしまわず、
 そういう形のない自分の心の運動の中へ、相手への反応を探る、
 更なる高次の温かな心をも合わせ持たなくてはならないわけだ。

 しれにしても、自己内面の発動を抑制し過ぎては、
 援助的心構えへの一歩が踏み出せないのではとの老婆心から、
 私は、前述の提案めいた発言に及ぶ。

 彼女自身、初経験のグループ内での、
 ファシリテーターと参加メンバー同士の会話を目の当たりするにつけ、
 心を動かすということの積極面を、木洩れ陽の微かなきらめきさながら、
 彼女の内なるスクリーンに反映させていると見受けられなくもなかったが。

 私の表明は相手に素直に受容されたか、打てば響くように、
 「これまで、心を動かさないということにしか関心がありませんでしたが、
  動かすことにもチャレンジしてみたいと思います」 と。

 今度は、他ならない、その朝の彼女の一言が、私の意識野へ浮上してきての響き返し。

 「『翔んで埼玉』なんか観て(心を動かす練習をしてみて)ね」

 彼女を始めグループの皆から哄笑が湧き起こる。
 ――彼らと私自身が感受しているおかしさの根と茎を、
   瑞瑞しく描き出す表現力を持ち合わせないのが歯痒いが。

 少なくともそれは、温かな笑い――温かな高次の心の共有であり、
 「この人たちと、2日間のグループを一緒できて幸い」
 と感謝できるものだった。

〈形がない〉 引用
池見隆雄 2020/10/23(金)13:24:31 No.20201023131535 削除
 週に数回、通勤時、職場に程近い公園に立ち寄り一巡り。
 およそ500歩。
 その間、必ず、最も広く空を望まれる一角に足を止める。
 そこへ、

 「心には形がない、形がないから何でもある」
 「心には形がない、形がないから境もない」
 「心には形がない、形がないから始まりも終わりもない」

 などのある人の発言が思い浮かべられる。
 その人は、それらを、事実として認められているのだという。

 空にも形がない。
 形がないから全宇宙を包含している、
 これはあくまで私の思考であって、事実認識ではない。

 だから、こんなにも空が懐かしい。

〈山 犬〉 引用
池見隆雄 2020/10/21(水)13:59:30 No.20201021134846 削除
 今日は晴天。
 暑からず寒からず、湿度低く、
 山歩きには恰好の時候。
 先日の日曜日も晴天に恵まれ、
 妻、次女とともに、なじみの大野城市郊外の山を歩く。

 次女は、トイプードルの愛犬連れ。
 山で出会う人たちの中にときどき、
 その犬種を山中で見かけることに意外を表明されることがある。

 確かにその種は、猟犬から室内(愛玩)用に作出されたに違いないわけだが、
 次女は山好きで、愛犬も常にそのお供をさせられ、
 小型ながら筋骨逞しくなった。

 今回、遭遇した、自家にもトイプードルを飼っているという人へ、
 妻はすかさず、
 「(これは)山犬です」 と言い放ったものだ。

〈木洩れ日〉 引用
池見 隆雄 2020/9/17(木)14:35:46 No.20200917135956 削除
 今日は朝方から、ウキウキした気分
 ――種々のわりあい軽やかな感情の共存、合奏が察知されていた。
 とはいえ、浮足立つというほど顕著でなく、
 一筋の流れが滞ることなく、止むことなくという風趣にて。

 仕事などの合間、自ずとそれへ意識が向くと、
 まるで他者へ対するかのように、
 「君は何者だろう?」 と問い掛けてみる・・・・・
 昼食を摂っていたときだったか、
 断片的、一面的と断って彼が応答してくれるには、
 「昨晩、ごく短時間ではあるけれど、ピアノの独奏曲を聴けたこと」 と。

 9年以前、クラシック音楽へ耳傾けない夜は、まずなかったといってよい、
 出張で留守にでもしていない限り。
 LPとCDのコレクションも相当な嵩を成していた。

 しかし、この短くはない年月の間にそれは次第に細り、
 のみならず、音楽を求める心そのものさえ、
 それを植物に譬えるなら、根元から萎えて行くかのようだった。

 私の住居は、マンションの高層階に当たるが、
 ある夜以来、機械音――モーターの回転音と覚しき重低音が、階下から耳につき、
 また、壁伝いにその振動が這い上ってくるという事態が昼夜を分かたなくなった。

 私にとっての音楽は、
 そのような機械音と振動の額縁に、どうにも収まらないのだった。
 まして、表現者の、濃やかな心のこもるピアニッシモ。

 睡眠さえままならないので、
 私は市販の耳栓を両耳に当てがい、睡眠薬を服用して最低限度を確保。
 その他、心理的生理的ストレスについては、
 書き出せば止め度なくなりそうなので割愛する。

 もちろん、思い付く限りの対策を講じたが、
 埒(らち)が開かない。

 音楽に話を戻せば、
 切実に聴きたくてもそれが不可という遣り切れない苦しみを回避するため、
 その欲求があたかも生じていないかのように、
 知らず識らず我が心を操作してきたように、振り返って憶測される。
 ――心の階層は、いったい幾重にわたっているのやら?

 ある欲求がないかのように振舞う、
 あるいは内心にそのときどき、どういう質の感情がどの程度に動いているか
 感受できないという人と、
 私は、エンカウンター・グループで折々知り合っている。

 その人たちに共通しているのは、
 戸惑い、焦燥、時に卑下、静観・・・・・
 そして、大抵、それを回復させたい願い。

 尤も、そう願われる以前、物心つく頃からの長い年月、
 その心の布置のお陰でその人たちは、
 ぎりぎり精神の平衡を保つことができてきたに違いなく、
 恐らく私自身にもそれは、多少とも当てはまるのだろう。
                          (続く)

  (明日から21日へかけ、神戸のグループへ出かけるなどのため、
   この続きの投稿は、少し先になりそうです。)

〈吐 息〉 引用
池見 隆雄 2020/9/11(金)15:54:36 No.20200911144245 削除
 私の妻が、協会猫のイチのために、
 頼みもしないのに毛梳き用のブラシを買ってきた
 ――しばしば余計な食物(おやつの類)であるとか道具をもたらして、
   私の手間を増させるのだ。

 4,5回もブラシを掛けて貰ったイチには、
 その心地良さが既にしっかりとインプットされているらしく、
 昨夕、定時の餌を食べ終えて、協会の出入り口前の木陰に憩って(?)いる彼に、
 「ゴシゴシしてやろうか」と声を掛けると、
 暫しの間の後、何かを望むとき特有の細い高い声を発しながら、
 私の傍らへ来てゴロンと横倒しになる。
 頭から尻尾、喉元、手足の先端まで・・・・。

 今年の1月半ば以降、イチの生活環境は変転を重ね、
 恐らくそのストレスから、食物の摂取をほぼ拒否する具合で痩せ細ってしまい、
 私は心配するやら、悩むやら。

 ようやくこのひと月ばかり食欲が安定してき、
 そこへブラッシングまで加えられて、
 イチの黒い体毛が、今日は、清々とした光沢さえ放って見て取れる。

 私はつい、「ホーッ」と長い息を吐いた。

 協会猫――半野良の彼と、これからどこまで、付き合って行けるやら。

〈だれ彼へ〉 引用
池見 隆雄 2020/7/15(水)14:05:07 No.20200715135725 削除
 九州は連日、豪雨に見舞われたものの、
 幸い福岡市内に大過はありません。
 春のグループは中止となり、
 〇〇さんにもだいぶご無沙汰しているので、思い立って。

 協会の月例会は、6月から再開していますが、
 2月以来、エンカウンター・グループからは遠ざかっているので、
 何やら心持ちが釈然としません。

 あの場での遣り取りは表現であり発見であり、
 また共感であり、
 それらは、そこに居合わせる人たちに、
 知らず識らず生き甲斐や生きる意味の感受となって
 働いているのではないかと思われるわけです。

 秋の3泊グループなどで、またともに出来るとよいですね。
 自愛されつつ、コロナと暑気とを乗りきって下さい。
返信(7)を読む 最新返信日:2020/8/27(木)14:00:19

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