夕暮れどきの読書が、
位已光児さんの解説付き、『清沢満之語録』に取って代わることもある。
余談だが、最近、とある文献を通じて、
漱石作の『こころ』のキーパーソンの一人、Kは、清沢満之をモデルにしていると知らされた。
大学において、満之は、漱石の6,7年先輩に当たる
――満之は、明治期を代表する、真宗大谷派の宗教哲学者。
満之とスピノザとの表現が似通っている場合が結構ある。
例えば満之は、著作の中で、
「絶対無限者に立脚すべし」と言明しているが、
スピノザも、『エチカ』第二部の冒頭で、
「・・・今度は、神、言い換えれば永遠かつ無限の存在者の・・・」と表明している。
“無限”という事象の性質を、今さら思い巡らしてみれば、
@ 始めもなく終わりもない、A 境がない、
B 形の取りようがないので目に見えない(私たちの感覚で捉えられない)、など。
そこで、位已さんによれば、「カタチのない実体」となる。
朝・夕食前、サブに食物を与えるのも、忘れてならない日課だ
――何度も請求してくるから、忘れようがないが。
数ヶ月前から、口内炎を患っているので、
抗生物質と痛み止めの薬を食物に混入してもやらねばならず手が掛かる。
通院せねば根本治療は叶わないのだが、
半ノラのサブに、キャリーバックに納まって貰うのは限りなく不可能に近い。
かつて別件でそれを試みたが、手強い抵抗に直面して、傷を負ってしまった。
夕食後、位已さんへ電話を入れる。
この3年ほどは取り分け、それが頻回だったといえる。
1日5回に達する日を含めて。
「神の観念から始めて、観念を然るべき順序で辿って行くことが出来れば、
“存在している”という事実に到達できるんでしょうか? 」
と スピノザの洞察(観念思想)について、國分功一郎さん著『スピノザの方法』に拠りつつ問うてみる。
「そうです」 位已さんのあまりの即答ぶりに、つい、
「位已さんもそう思われるんですね」と念を押したくなった。
「“思う”のでなくて、それが道理ですから」
位已さんのハラには、とうに道理が納まっている。
一昨日、4日間通いグループ、言い換えれば、
二人の共演者ともの、(ファシリテーションの)リサイタル 終了。
自由自在感まで飛翔できる場合もあるが、
今回は共演者のお陰もあって、無難にまとめられたというところ。
(ひとまず、終わり) |