読書中に、とくに関心を引かれる、共感を覚える、感動する等の箇所を抜き書きするとか、
翻訳書の訳注を検(あらた)めるということを今日までほとんど顧みずに来た。
一冊を読み了える、その事実が最優先だったように思う。
膨大な対象を読破すれば人生の何か真理のようなものが見えて来る、
あるいは自分の進むべき方向が示唆されると頑なに思い込んで来た。
それに加えて持ち前の面倒臭がり。
ところが今頃になってその重要性に気付かされつつある。
一方で、いわばそういう回路が欠如しているものだから、作業は難航。
とはいえ、就眠前の、その日一日への悔いが、減じ始めたのも事実だ。
生活の到るところで手間を惜しまない、
"実体”の本質である絶えざる活動を分有している我々のことだから、
その姿勢がそのまま、存在に適っているのだと思われる。 |