フランスの作曲家、エルネスト・ショーソンの代表作の一、
ヴァイオリン独奏と管弦楽のための『詩曲』を聴いた。
1930年代の古い音源のデジタル化(CD)によって、
ジャネット・ヌヴォ―の独奏で。
その演奏のスケールの大きさ、集中度の高さに舌を巻く。
当時、将来を大いに嘱望される若手であった彼女は、
アメリカへ演奏旅行へ向かう途次、乗機が太平洋上で墜落し、
ピアニストの兄ともども亡くなった。
『詩曲』は、作曲者が、ロシアの文豪、ツルゲーネフの作から霊感を得て着手されたものらしい。
マックスブルッフ作の独奏チェロと管弦楽のための『コル・ニドライ』を想わされもする。
こちらの曲を、曾て、チェロの大家、パブロ・カザルス他で初めて耳にしたときは
胸が熱くなった。
『詩曲』の方は数度目だけれど、
なぜか今回が最も私の情感に交じり合い、
そういうときの常として別の演奏・録音でも味わい直してみたくなる――
現代フランスの俊英といわれる、オーギュスト・デュアメルの『詩曲:フランス・ヴァイオリン名曲集』を求めることに。
尤も、私は、今日までこのヴァイオリニストについて全くの無知。
マリア・ジョアン・ピレシュと組んでのヴァイオリン・ソナタのCDが何枚が出ており、
ピレシェがパートナ−に選ぶくらいだから相当の実力者と見当をつけた次第。
ポルトガル出身のこの女流ピアニストとは30年くらいの付き合いになるか。
モーツアルトのピアノ・ソナタ集のテンポ(遅め)を気に入って以来だ。
指の力が強いとも聞くが、打鍵の一つ一つに強弱の別なくある種の重みが乗っており、
それが楽音の実在性を高めているように思えるのは私だけだろうか。
あの曲この曲という以前の彼女の魅力――極論すれば、
ピレシュは、ピアノの前に座ったとき、既に彼女の実在性を発散している。
さて、今度、久し振りにヌヴォ―の『詩曲』を手に取ったことが、
結局、デュアメルを介してピレシュの精神を遠望することになったわけだ。
ヌヴォ―の録音はもう一曲、ラヴェルの『ツイガーヌ』が手元にある。
こちらへは実は一度も耳を傾けていないのだが、この今の心境ではそうなる可能性もありそうだ。
すると今度はそのことが、一体どこへ、あるいは誰へ私を導いて行くのだろう。
私たちは、他の存在者たちと連携のただ中でしか息を吐(つ)けないのだ、恐らく。
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