昨年11月の初め、
中学時の盲腸切除以来、医師にも私にもそれより遥かに困難な手術を受けた
――5時間ほどを要した。
幾つもの原因あるいは経路から術中に死亡する可能性も否定できないのだから、
それへ臨むに当たって不安がなかったわけではない。
しかし、それより、
ほぼ初の体験であることで、多少誇張するならばワクワクの方が優っていた。
ストレッチャーに移されて手術室からICUに向かうまぎわ、
担当医が、「池見さん、無事終わりました」と耳元で大声に告げてくれた。
意識が戻り、安堵感はもとより、何か幸せな気分に包まれていた。
さて、このカタチを備えた私は、いつか必ず消滅する
――それを「死ぬ」とも「往く」とも言ってよいかと思うが。
ともかく、カタチを備えた私の意識としてそれは
空前絶後、あるいは未知の体験であるわけだ。
手術を受けるのとは異次元のワクワクが、そこに待っているように思えてならない。
誰しもが、いやすべての個物がみな、その最期をワクワクで締め括れるのであれば、
私にとってそれ以上の至福はない。
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