多分、昨秋あたりから、
朝倉友海さんの『スピノザ研究 概念と個別性』を折あるごとに繙(ひもと)いてき、
ようやっとあと僅かを残すのみになった。
その総括の内に、
「そもそもスピノザは、至上の喜びと至高の幸福を手に入れようとする企てとして“哲学”を理解している」
とある。
また、スピノザ本人が、『知性改善論』の冒頭に、その趣旨あるいは決意を表明している。
私はそこへ大いに共鳴し、スピノザ自身の著作や彼の哲学に的を絞った書物から、
常にその真意を汲み取ろうとしてきた。
当然、至上の喜びや至高の幸福は理性的認識のみならず、
取り分け人間関係における実践なしには、そのものとして理解・体得するわけにはいかないだろう。
――スピノザの哲学が、ときに“実践の哲学”と称されるゆえんでもある。
そしてもちろん、私は、そういう場としてエンカウンター・グループを捉えている。
己(おのれ)の喜びを追求することが、全体のそれへと連結する。
そういう瞬間を至上の喜び、至高の幸福といっても過言でないと思っている。
朝倉さんの著作を読み進めるのは並大抵でなかったが、
『エチカ』の最後は、
「たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」
と締め括られている。
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