今年の誕生プレゼントに、家内から、
サムソン・フランスヮ―弾く『ドビュッシー ピアノ作品選集』を贈って貰った。
長年私はクラシック音楽に親しんできたが、
ドビュッシーやラヴェルといったフランス系の作品へもあまり近づけなかった
――最初の幾ばくかの体験がむしろ違和感に傾いていたのだろう。
それなのになぜ今更ドビュッシーを?
――自分の心を微かでもより広く開きたいからか?
だんだんそのことが、私の生活上の最重要と思えて来て。
今日は、『子供の領分』を選び出してみた。
ずっと昔、ハンガリーのあるピアニストのリサイタルへ出かけたが、
プログラムの一つがその曲。
演奏中、私の内面には何らの変状も生じない。
ふと斜め前の座席の青年が涙を抑えかねているのに気付いたが、
どうしてこんな曲でと不思議に思えたのが、本当に不思議に今日も記憶に刻まれている。
だが今日、時空を超えて、その青年が好ましく思われるのだ。
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