本居宣長は、『古事記』の記述を全て事実(この言葉一つ取っても一筋縄ではいきませんが)
と受け止めていました――そういう認識に到達していました。
そのへんを廻って、『雨月物語』の作者・上田秋成と一風変わった論争をしたことがあります。
秋成の長文の反論へ目を通すと、
現代の私たちには至極ごもっとも、論理明晰と肩を持ちたくなります。
ところが宣長は、
「『古事記』をよく見べし」 としか応えないのです。
秋成は当然(?)ひどく立腹したと伝えられています。
宣長は、『古事記傳』という大著を著しています。
私は7年8ヶ月と15日を掛けてそれを読み終えたわけです。
そうしても、なぜ宣長が『古事記』=事実と見なしたかということが理解できませんでした。
ただ、その決して読みやすいとはいえない書物へ対していると、
心が躍り身体が熱くなるのを自覚せざるを得なかったのです。
それが何故なのか、いまだに不明です――言葉になりません。
しかし、我が国に宣長という人物が存在し、
その主著作の隅々にまで接しられたということは、
今日でも私の誇りであり、拠って立つ人生の柱の大なるものです。 |