◆◆◆別名「銀杏城」の熊本城◆◆◆ JR古賀鉄橋傍の大イチョウを見ながら非常時の食料で頭がよぎりました。たまたま読 んでいる本(注)に関ケ原合戦以後の15年間は築城ブームの時代築造された熊本城の ことが高く評価されていました。 別名、銀杏城ともいわれ城内には銀杏の木がいっぱい植えられていた。それは銀杏 の実を保存して籠城の際の食料に備えるためだったとか。 さらに城の畳は藺草(いぐさ)の代わりに肥後の芋茎とか瓢箪を織り込んでいた。 これも同じ理由。 (注)『堂々日本史』NHK取材班 209P