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《9847》糟屋屯倉論争 引用
地域密着投稿 吉住長敏 2025/12/24(水)16:27:11 No.20251224162509 削除
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◆◆◆阿恵官衙遺跡講話を受講◆◆◆
「多々良川、須恵側、宇美川が合流して入江のようになって」「そこには港を備えるた
めの良い条件がそろっていた」(注1)として「粕屋町周辺に糟屋屯倉があった可能性」
を説く粕屋町。

方や「鹿部田渕遺跡の大型建物建物の柱列群跡から糟屋屯倉の可能性」を掲げる(注2)
古賀市。旧糟屋郡の同士ががっぷり四つに組んだ格好。

決着がつかない邪馬台国の近畿、九州説論争の二の舞の様相の感。20日は田中康裕氏
の識見にふれました。

(注1)粕屋町の歴史(2022)42P
(注2)甦る鹿部田渕伊遺跡の時代(2010)3P

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