今日午後、仕事の合間に、
ラヴェルのピアノ独奏曲『夜のガスパール』へ耳(心)を傾けた(演奏はもちろんメイエ)。
今日で7度目くらいになるか?
凄い曲とは思いつつ、
この取り止めのなさ、複雑怪奇な(というふうに思える)構造を遠巻きにしているのがやっと。
(メイエのほかにもモニク・アースやアルゲリッチのディスクを手に取ってみたが。)
しかし、今日は、何かが閃いた。
確かな存在感というか、曲の構造の窺える瞬間瞬間も得られた
――前のフレーズと後のこのフレーズが相関している、あるいは響き合っているなど。
ラヴェルの作品の中でも、私は今のところ、
『クープランの墓』(ピアノ独奏曲)を最も好むけれど、
『夜のガスパール』はそれと兄弟姉妹、陰陽の位置を成しているのではないかと。
こうも言えるか、
前者は陽の当たる推進力を体験している、
後者は月光の青白さの推進力。
見た目の感覚では前者のエネルギーの方が圧倒的だが、
後者のそれはしたたかとでも形容するか。
これら推進力の源を私にもとても特定できないが、同じ一つものであるだろうと想う。
取っ付き難かった『夜のガスパール』からもそれを感得でき、
私自身もまた、日々生きて、なにがしか活動していることの必然を喜ばしく思う。
今日は、多少ピアノに触れられる家内ともども聴いたわけだが、
初めてこの曲へ対し彼女は、難解なテクニックの苛烈なほどの要請や推進力に驚嘆。
「いつかこの曲の楽譜を見てみたい。細やかな音符でさぞかし真っ黒でしょう」と言う。
それを聞いて、音大のピアノ科に学んだ知人から聞いたエピソードが思い浮かんだ、
「ラヴェルは、『全てを楽譜に書き込んだから、(演奏に際して)誰も何もそれを変えないでくれ』
と常々漏らしていた」 と。
今月が家内の誕生月だから、ラヴェルの楽譜をプレゼントするかな。 |