みんなの広場「こころのパレット」

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〈Sの観点に倣いつつ――映画青年さんへの返信〉 引用
池見隆雄 2026/2/21(土)15:42:49 No.20260221145832 削除
 指揮者の誕生日に当たっての大曲の演奏会とは幸運だったね。
 私のコレクションの内にも『千人の交響曲』は含まれるが、
 種々の理由から今日まで選び出すことはなかった。

 映画青年さんの投稿へ目を通して、敢えてその曲を聴いてみようかとの気運が生じている。
 しかし、リヒテルの『平均律』を鳴らしてみると、これがまた良いんだ。
 ピアノの響きの何と柔らかなこと。
 リヒテルの音ってこんなだったかな、いや、こんなふうにも弾けるんだきっと、曲目次第で。
 
 再演の方も、大いに楽しめたことだろうと想う。

 また、映画青年さんが、演奏会体験を語るときは普段に似ず熱っぽくなるのが楽しい、
 本性の一端が窺えるようでね。

 17世紀の哲学Sは、
 「我々の本性、単にそれ自体で見られた我々の本性、の必然性に由来する活動をなすこと」
 が、「理性に従って働くこと」だと述べる。

 また、理性の導きに従って生活する人間とは、
 「一切が神の本性の必然性から起こり、自然の永遠なる諸法則、諸規則に従って生ずることを正しく知る人」と。
 
 すると、理性に従って働くこと、あるいは理性の導きに従って生活するとは、
 一切が神の本性の必然性から起こり、自然の永遠なる諸法則、諸規則に従って生ずることを正しく知ること。
 それはまた、我々の本性の必然性に由来する活動そのものだ。

 以上の論の流れからすると、神の本性の必然性=我々の本性の必然性、
 更には我々の本性は神の本性に他ならないことになるだろう。

 そういえば、位已光児さんが『Sとの対話』という冊子に、
 「人間を超えた神ではないのですから、人間は最高の存在ということになります。
 お互いを尊重しながら、それぞれが堂々と生きられるのです。」
 と記しておられた。
 
 私たちが理性に従って働くこと、言い換えればそのときに限っての欲望は、
 私たち=神の本性に由来する。

 この『千人の交響曲』という作品が、――作曲者マーラーのこの行為が、
 彼の本性に由来することは紛れもないだろうが、
 インバルの指揮もまた彼の本性に由来しているだろう。
 作曲者と指揮者の間に“一致”ということも想定されるか?

 そして、映画青年さんがこの機会を欲し、上京したという行動、
 そこに種々他の動機が絡んでいたとしても、主なところは映画青年さんの本性に由来すると思う。
 結果として感動、盛り沢山の喜びを多数の人たちと共にしたわけだ。
 
 本性由来の欲求や行動をSは「能動」というが、
 「能動」には必ず喜びの感情が随伴し、その感情がまた「能動」をさらに強化する。

 私は、映画青年さんが今後も、
 演奏会出席に限らない本性由来の行動、あるいは理性に導かれた生活を送ってくれることを望みたい。
 Sは「能動」を「自由」とも言い換えているので、映画青年さんが益々自由であるように。
 そして、その「自由」を一人でも多くの人たちと分かち合えるように。

 

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