このところ、バッハの『平均律クラヴィーア曲集T・U巻』ばかり聴いている。
幾人かの演奏家で。――演奏にはハープシコード、ピアノを用いたものの2種あり。
今日はリヒテルのピアノでT巻の最後の3曲を。
この巻を締めくくる第24番ロ短調は15分以上かけて弾いている。
昨日、一昨日と心的エネルギーを用いること少なくなかったということもあるのだろう。
正座して再生機へ向かいつつも、ウトウトとする。
曲、あるいは演奏がつまらないからというのでは毛頭ない。
このあたりの曲は、『フーガの技法』からの感銘に共通する、
と思いつつウトウトしている。
フーガという楽曲形式を私は、今更のように気に入っているようだ。
音の重なりでなく横への連なり。
どちらにしても音楽は、その“今”を表現しているに違いないのだが、
フーガは、その今がいつまでも終わらないということを、殊更印象付けてくれる。
リヒテルのディスクは終了した。
しかし、私は、この“今”を生きている。
そのことに意識の根を浸されつつ。 |