みんなの広場「こころのパレット」

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〈木洩れ日〉 引用
池見 隆雄 2020/9/17(木)14:35:46 No.20200917135956 削除
 今日は朝方から、ウキウキした気分
 ――種々のわりあい軽やかな感情の共存、合奏が察知されていた。
 とはいえ、浮足立つというほど顕著でなく、
 一筋の流れが滞ることなく、止むことなくという風趣にて。

 仕事などの合間、自ずとそれへ意識が向くと、
 まるで他者へ対するかのように、
 「君は何者だろう?」 と問い掛けてみる・・・・・
 昼食を摂っていたときだったか、
 断片的、一面的と断って彼が応答してくれるには、
 「昨晩、ごく短時間ではあるけれど、ピアノの独奏曲を聴けたこと」 と。

 9年以前、クラシック音楽へ耳傾けない夜は、まずなかったといってよい、
 出張で留守にでもしていない限り。
 LPとCDのコレクションも相当な嵩を成していた。

 しかし、この短くはない年月の間にそれは次第に細り、
 のみならず、音楽を求める心そのものさえ、
 それを植物に譬えるなら、根元から萎えて行くかのようだった。

 私の住居は、マンションの高層階に当たるが、
 ある夜以来、機械音――モーターの回転音と覚しき重低音が、階下から耳につき、
 また、壁伝いにその振動が這い上ってくるという事態が昼夜を分かたなくなった。

 私にとっての音楽は、
 そのような機械音と振動の額縁に、どうにも収まらないのだった。
 まして、表現者の、濃やかな心のこもるピアニッシモ。

 睡眠さえままならないので、
 私は市販の耳栓を両耳に当てがい、睡眠薬を服用して最低限度を確保。
 その他、心理的生理的ストレスについては、
 書き出せば止め度なくなりそうなので割愛する。

 もちろん、思い付く限りの対策を講じたが、
 埒(らち)が開かない。

 音楽に話を戻せば、
 切実に聴きたくてもそれが不可という遣り切れない苦しみを回避するため、
 その欲求があたかも生じていないかのように、
 知らず識らず我が心を操作してきたように、振り返って憶測される。
 ――心の階層は、いったい幾重にわたっているのやら?

 ある欲求がないかのように振舞う、
 あるいは内心にそのときどき、どういう質の感情がどの程度に動いているか
 感受できないという人と、
 私は、エンカウンター・グループで折々知り合っている。

 その人たちに共通しているのは、
 戸惑い、焦燥、時に卑下、静観・・・・・
 そして、大抵、それを回復させたい願い。

 尤も、そう願われる以前、物心つく頃からの長い年月、
 その心の布置のお陰でその人たちは、
 ぎりぎり精神の平衡を保つことができてきたに違いなく、
 恐らく私自身にもそれは、多少とも当てはまるのだろう。
                          (続く)

  (明日から21日へかけ、神戸のグループへ出かけるなどのため、
   この続きの投稿は、少し先になりそうです。)

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