みんなの広場「こころのパレット」

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〈翔んで埼玉〉 引用
池見隆雄 2020/10/30(金)14:19:21 No.20201030133203 削除
 通い形式による、ある土、日2日間エンカウンター・グループの2日目朝、
 前日同様、開始に当たって、全参加者間で、各々に、
 偶々その時心に思い浮かぶ何らかを、表明し合って貰う。
 但し、とくに何も思い浮かばない、
 思い浮かんだとしても言葉にし辛い、
 あるいは敢えてそうしたくないというのであればパスも可。

 女性メンバーの若い一人が、昨夜、1日目を終えて(1日目は午後5時終了)帰宅後、
 炬燵に温もりつつ、テレビ放映の『翔んで埼玉』を視聴していたが、
 中途で眠気を覚え、あとは録画に切り替えたという。

 「途中で眠たくなるような映画じゃないと思うけど・・・」
 誰かが茶々を入れると、
 当人と私を除くメンバーほぼ全員が同調の笑い声を立てるので、
 初耳の私にも、劇場公開中から観客(視聴者)を倦ませず、
 評判になった作と推測がつく。

 さて、2日目は午後3時半をもって終了となるが、
 その数分前、私はその女性メンバーへ、
 次のような提案めく、自(おの)ずからな表明を試みている、
 「あなた自身に、もう少し、心を動かすことを許していいんじゃない」 と。

 その人は年少時から武道を続けて来ており、稽古中に大怪我を負いさえしたらしいが、
 まるで化粧気のない見た目からして、
 またグループという話題の流れに棹(さお)差しての折々の発言を通して、
 感じる心の働き―心の動揺を、極力、抑える習慣を身につけているのが窺われた。

 しかし、彼女は、近い将来、
 他者を心理的に援助する立場に身を置くことを希望している。

 つまりは、他者とともに心を動かすこと、
 しかも相手に巻き込まれてしまわず、
 そういう形のない自分の心の運動の中へ、相手への反応を探る、
 更なる高次の温かな心をも合わせ持たなくてはならないわけだ。

 しれにしても、自己内面の発動を抑制し過ぎては、
 援助的心構えへの一歩が踏み出せないのではとの老婆心から、
 私は、前述の提案めいた発言に及ぶ。

 彼女自身、初経験のグループ内での、
 ファシリテーターと参加メンバー同士の会話を目の当たりするにつけ、
 心を動かすということの積極面を、木洩れ陽の微かなきらめきさながら、
 彼女の内なるスクリーンに反映させていると見受けられなくもなかったが。

 私の表明は相手に素直に受容されたか、打てば響くように、
 「これまで、心を動かさないということにしか関心がありませんでしたが、
  動かすことにもチャレンジしてみたいと思います」 と。

 今度は、他ならない、その朝の彼女の一言が、私の意識野へ浮上してきての響き返し。

 「『翔んで埼玉』なんか観て(心を動かす練習をしてみて)ね」

 彼女を始めグループの皆から哄笑が湧き起こる。
 ――彼らと私自身が感受しているおかしさの根と茎を、
   瑞瑞しく描き出す表現力を持ち合わせないのが歯痒いが。

 少なくともそれは、温かな笑い――温かな高次の心の共有であり、
 「この人たちと、2日間のグループを一緒できて幸い」
 と感謝できるものだった。

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