『エチカ』第五部の最後(定理四二)に、スピノザは、
「至福は徳の報酬ではなくて、徳それ自身である。
そして我々は快楽を抑制するがゆえに至福を享受するのではなくて、
反対に、至福を享受するゆえに快楽を抑制しうるのである。」
と記している。
この「至福」がどういう事態を指すかは今はおいて、
私はこの記述を体現されている方に出会っている。
従って、このことは私自身には縁遠いけれども、
事実と認めざるを得ない。
――強いていえば、認めざるを得ないということが、
現在の私のささやかな至福だと言えようか。
スピノザは、私のような者を思い遣って、こうも記してくれている、
「さてこれに到達するものとして私の示した道は
きわめて峻険であるように見えるけれども、
なお発見されることはできる。
また実際、このように稀にしか見つからないものは
困難なものであるに違いない・・・・」 と。
今朝、私は、『エチカ』を、ほぼ読み了えた。
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