[太政官政府への不満] 諸隊の反乱がおこった長州藩は幕末から戊辰にかけて、奇兵隊その他の徴募軍を散々使っておきながら、新政府は
これに対して十分の身分保障や褒賞を行わなかった。明治2年の諸隊反乱の時期と前原の帰郷がたまたま重なったため、太政官は一旦許可し
ていた前原の帰郷を差し止めた。前原が帰郷すれば諸隊が前原を擁して立ち上がるという懸念があった。諸隊の乱は木戸孝允が直接山口に
乗り込んで鎮圧した。しかし、この反乱の後、長州人の不満は潜在化していった。明治3年10月前原は念願かない萩に帰った。
攘夷という言葉からみても、外敵を打ち払うこと、強烈な排外的民族主義によって幕府は倒れ太政官政権が樹立されたが、生粋の
排外的民族主義者にとって新政府は旧幕府と似たようなものだった。我々は利用されたという思いが濃い。
(このところを読んできて前原の太政官の現状に対する不満を理解できるよう気がした。著者が前原について詳しく書いているのは
前原に対する思いが強かったからだと思った)
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