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翠嵐6期生憩いの広場

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母校は遠くなりにけり
by かおる at 2020/6/17(水) 13:01:22 No.20200617111158 コメント】  削除 引用

先日、BS7CHで「THE名門校.横浜翠嵐」を見損なったところ友人がDVDを送ってくれた。どんなことが映っているのだろうか心弾ませて視聴

した。母校が公立名門校として評価されていると誇らしく思う反面こそばゆく感じてしまう。我々の時分は小学区制で無試験で入学できた。

6・3制野球ばかりが強くなりと揶揄されていた◆東大合格者数が今年26人で全国公立高校の4位、昨年は21人で5位、一昨年は14人で10位と

20年前の一人から「奇跡のV字回復をした公立校の逆襲」とタイトルにあるように目覚ましい成績である。名門校とは優れた実績と伝統だ

と説明されて合点した◆卒業生の大学進学状況の伝統を翠嵐時報縮刷版で調べてみた。高校1年の昭和26年4月30日発行第15号には卒業生進学

状況の記事見出しに「依然多い早稲田40人 東大6人」翌年の昭和27年4月28日第23号には旧制二中、二高、翠嵐と5年間在校した卒業生の

進学状況は「例年になく狭き門 東大7人(現役3人)」と厳しい。昭和28年5月8日第32号では新制高校最初の卒業生進学状況を「東大たった

三人 (現役一人) 低調の六三族進学状況」と報じている。6期の卒業生進学状況は昭和29年5月11日第40号で今年度大学合格者発表と題字

も小さくして「東大に6人{現役1人}早、市、国大はほぼ同数]と付け加えてている。記事に東大=寺原晋作があった。卒業した翌年昭和30

年5月14日第47号には「本年度大学合格者 例年になく低調 他校の実力向上す」と控えめに縦3段見出しで書かれている。記事に東大=

柳沢公彦 石川清雷があった◆BSテレビ東京にインタビューされた卒業生からは母校は遠くに行ってしまった気がした。変わらないのは

校名の翠嵐だけになってしまった。

 データ復旧′官公庁′ino    緊急=データ復旧=ino

『逆説の日本史』を読む(7)
by かおる at 2020/6/4(木) 16:14:40 No.20200604152501 コメント】  削除 引用

[初めの倒幕計画] 後醍醐天皇の倒幕に対する不屈の闘志は凄い。普通の天皇なら一度で懲りるのだが彼は三度企て、三度目にようやく成功

した。後醍醐は非常に武家政権を嫌ったなぜかと言うと「穢れ」を忌避する気持ちが強く影響していると逆説の日本史は説明している。つま

り後醍醐は、神聖な国土を武士のような殺生を職業にしている者共が支配することを許さないという意識を強く持っていた。一回目の倒幕

運動である正中の変は1324年に天皇の皇位継承の争いから起きた。本来なら次男で後を継ぐ資格の無い後醍醐が天皇になることが出来たのは

兄の後二条天皇が早死したからだった。父の後宇多は後二条の子の邦良がまだ幼いので、止むを得ず後醍醐を後継者とした。しかし、あくま

で「つなぎ」としてであった。邦良が成長した暁には位を譲るようにと後醍醐の息子を差し置いて邦良を皇太子に指名してしまった。邦良は

祖父の後宇多がいてこそ天皇になれるのだった。ところがその後、祖父後宇多が死んでしまった。皇太子の邦良は幕府を動かして後醍醐を

退位させ一刻も早く天皇になってしまおうと目論んだ。後醍醐は「穢れ」た武士たちに強制され、実権の無い上皇にまつり上げられるなどと

んでもないと考えていた。後醍醐は倒幕の計画を練った。後宇多が死んで間もない京の北野祭りの日に多治見国長らが六波羅を襲い北条

範貞を殺害し、興福寺の僧兵に呼び掛け畿内の武士の参加を求め畿内を制圧し鎌倉に対抗しようとした。ところがこの計画が漏れてしまった。

名門校 翠嵐
by みつよ at 2020/6/1(月) 09:23:35 No.20200601091743 コメント】  削除 引用

 上記について同期の大近さん 山下さん バレーボール部の後輩で 旧姓中川春江さん 等に知らせておきました。皆さん見たと思います。 有難うございました。

今夜のテレビ、7チャンの「THE名門校、翠嵐」
by どか at 2020/5/31(日) 09:03:09 No.20200531085355 コメント】  削除 引用

コロナな時代、いかがお過ごしでしょう。

BS7、テレビ東京で、夜9時から「THE名門校」に翠嵐が取り上げられております。

ポンチャンから知らせてもらいました。

どんな番組か見てみてはいかが。

『逆説の日本史』を読む(6)
by かおる at 2020/5/27(水) 10:26:06 No.20200527093023 コメント】  削除 引用
1600 x 1200 x 358,121バイト <この画像は大きいので別画面で表示します>
No.1

[後醍醐天皇の即位]鎌倉幕府の政治が行き詰まってきた時、幕府を倒して新しい政治を始めようとした強い意志

を持った後醍醐天皇が出てきた。この天皇はどうして幕府を倒そうとしたのか、どうして南北朝時代となったの

かを後醍醐天皇をテーマに読み進んでみたい。後醍醐天皇は後宇多天皇の次男であった。当時皇室は大覚寺統と

持明院統に分かれていて、幕府の裁定により二つの派閥が交代で天皇に即位することになっていた。(写真の系

統図を参照)兄の後二条天皇が在位7年で崩御したため、持明院統の花園天皇が後を継いだ。この時僅か12歳

であったから前半は父の伏見上皇と後半は兄の後伏見上皇が院政を行っていた。この花園天皇が在位11年経った

時、後二条天皇の子の邦良親王が成人するまでの中継ぎとして後二条天皇の弟、後醍醐天皇に即位が回ってきた。本来の皇統から見れば

正に傍流であるはずのこの人物に、両統でたらい回しにされていた皇位が転がり込んできた。後醍醐天皇が即位したしたのは異例の31歳の

高齢であった。不満もあった。後醍醐にはすでに多くの息子がいたが、皇太子には幕府の意向もあって兄の後二条天皇の遺児邦良を立てなけ

ればならなかった。しかも天皇の任期は10年と決められていた。

『逆説の日本史』を読む(5)
by かおる at 2020/5/22(金) 14:54:54 No.20200522134432 コメント】  削除 引用

[天皇家の相続争い] 朝廷が二分される南北朝時代が始まるのは1336年(建武3年)後醍醐天皇が吉野に脱出して南朝を開いた時になるが

それは8代前の後嵯峨天皇の相続問題が発端にあった。1242年(仁治3年)に四条天皇が12歳で崩御したので後嵯峨天皇が即位した。即位後

宮廷の実力者西園寺家の娘(藤原姞子)と結婚し安定を図った。翌年長男久仁親王(後の後深草天皇)が誕生すると実権を握り続けるために

僅か在位4年で息子に譲位し、自らは上皇となり院政を開始した。しかし、今度は上皇の実権を握り続けるため在位14年を経た後深草天皇に

対し、次男の恒仁(後の亀山天皇)に譲位をさせた。そして、亀山天皇に男子が生まれるとすぐにこの子(世仁)を皇太子と定めた。兄の

後深草上皇にはすでに男子が生まれていたにも拘らずである。つまり後嵯峨上皇は次男の亀山天皇の系統に天皇位を継がせて行きたかった。

ところがここで後嵯峨が崩御されてしまった。天皇家の相続をきちんと遺言してあったかどうかが問題になった。昔から後嵯峨は遺言を残

し「皇統は弟の亀山天皇の子孫が、財産の主要の部分は兄の後深草天皇の子孫が継ぐべし」と命じたことになっていた。しかし,近代になっ

て後嵯峨は何も遺言しないで死んだらしいことが分かった。何故そんなことが分かるかというと幕府は後嵯峨の崩御直後に、その後を後深草

上皇の「院政」にするか、亀山天皇の「親政]にするか二人の母である姞子に問い合わせている。この時姞子が「故上皇の意思は亀山天皇に

あった」と答えたことによって幕府は亀山天皇の親政を認めた。このように後嵯峨は、息子兄弟のうち弟の方を偏愛したために天皇家の分裂

を招くことになった。(第五章 後醍醐天皇の野望編から)
『逆説の日本史』を読む(4)
by かおる at 2020/5/14(木) 08:21:34 No.20200514072313 コメント】  削除 引用

[相続から見える歴史]明治以前に嫡男に生まれず次男や三男に生まれることは大変なことだった。例えば天皇家に生まれれば、嫡男は天皇に

なれるが次男以下は原則としてなれない。公家でも家を継ぐのは嫡男で次男以下は生涯「部屋住み」つまり「穀つぶし」として兄の世話にな

るか「口べらし」として出家でもするか、他家の養子になるしかない。農民だともっと悲惨で次男以下の場合は子供の時に「間引き」

されるか長じても「食い扶持」がないので職人の弟子になるか、商人の丁稚奉公にでもなるしかない。武士も江戸時代には同じだった。

8代将軍徳川吉宗には三人の男子がいた。次男三男は極めて優秀で後に学者になるほどであったが、肝心の嫡男家重は生まれつきの障害児で

あった。当然家来の中には次男を将軍にすべきだという意見の者もいた。しかし吉宗は能力に拘わらず武家の家督は嫡男が継ぐという不文律

に従って家重に後を継がせた。家康も孫の家光、忠長の兄弟のうち忠長を三代将軍にしようという動きがあった時断固としてこれをはねのけ

ていた。鎌倉時代のというよりは日本の古来の相続法は長男に最も多く、次男以下次第に減じて男女の子らに満遍なく分け与えるやり方だっ

た。これを何代か繰り返すと、領地は細分化してしまいこのままではいけないと考えて、惣領制という選ばれた後継者が後を継ぐやり方が

定着した。しかし新たに問題が生じた。優秀な人間を誰が選ぶのか、家長が選ぶにしてもそれに不満を持つ兄弟がいたらどうするのか。これが

次の室町時代に大問題になる。簡単に言えば、室町時代は誰が惣領になるのかの争い、つまり相続争いのオンパレードになる。

(逆説の日本史6中世神風編より)
『逆説の日本史』を読む(3)
by かおる at 2020/5/9(土) 16:43:45 No.20200509161704 コメント】  削除 引用

(前の続き)  しかし、嫡子が言うには「亡き父の取り決めではあるがこれは如何なものであろうか、これだけの所領をあまたに

分割してわれらめいめいが奉公に励もうとしてみても大変な苦労であろう。自分は長男だが器量もないから、いっそ出家して、念仏

して後生を安心して過ごそうと思う、それ故あと誰か器量の者が家を継いで所領を全部知行し、他の者も入道して庵室に住みあとを継

いだものから田を借りて世を送ったらどうだろう」相談の結果五郎が器量者だというので家を継がせ他はみんな遁世したという。こう

いう話が美談として語られるのは所領の分割相続というそのころまでの習慣が行き詰まってきたからである。武家には子供が多いから

相続を何代か繰り返すと領地はどんどん細分化してしまう。田畑は細分化され経営効率は悪化し御家人が窮乏化し幕府の力も低下して

いった。
『逆説の日本史』を読む(2)
by かおる at 2020/5/9(土) 15:57:44 No.20200509152616 コメント】  削除 引用
1600 x 1200 x 502,439バイト <この画像は大きいので別画面で表示します>
No.1

[鎌倉幕府を潰した平等的相続法]生まれた順番が先であるからといっただけで、能力にかかわらず、地位を継承

できるような相続制度を不合理に思うかもしれない。子供はみな平等だから公平に財産を分けてやればいいんだ

それが民主的だと考える人がいるかもしれない。もしそうなら、鎌倉の武家社会も極めて民主的だったことにな

る。鎌倉時代の武士は原則として子供が5人いれば財産を分割して与えた。女子にも与える場合があった。この

制度が鎌倉幕府の基礎を掘り崩し幕府滅亡の大きな原因だった。この時代の世相をよく伝える説話集、沙石集

(無住法師作)にこんな説話が載せられている。丹波の国に所領は小さかったが貧窮に陥ることもなく暮らして

いた領主がいた。年老いて男女の子供に所領処分状をしたため中陰(死後49日間)が過ぎるまで開くなと遺言して死んだ。中陰後開いてみる

と長男には最も多く、次男以下次第に減じて男女の子らに満遍なく所領を分割するよう記してあった。これは此の頃までの所領を譲与する

普通のやり方であった。

『逆説の日本史』を読む(1)
by かおる at 2020/5/7(木) 11:24:17 No.20200507104150 コメント】  削除 引用

[恩賞なき勝利が招いた鎌倉幕府の崩壊] メタルなき勝利者というのは間宮君が出した教科書であるが『逆説の日本史[6]中世神風編』を

読んでこの表題に出くわした。鎌倉幕府が倒れたのは北条氏の一味散々1333年と教わったがどうして滅亡したのか知らなかった。神風が

吹いて蒙古の襲来を逃れたことは憶えていたがこの戦争が鎌倉幕府の崩壊につながっているとは歴史は面白い。蒙古の襲来は元寇というが、

冦は外国から侵入してくる敵という意味だから日本にとっては防衛戦であった。勝つには勝ったが敵の領土を奪ったわけではなく賠償金を

得たわけでもない。しかし、戦に参加した御家人たちは当然恩賞を要求する。実際戦争にかかった費用はすべて自弁だった。元寇で活躍した

肥後の御家人竹崎季長は文永時の武功が認められなかったため、わざわざ鎌倉まで上京して幕府の恩賞奉行安達泰盛に直談判している。恩賞

を求めたのは武士だけではない。自分たちの祈祷によって神風を起こしたと信ずる神社仏閣や公家たちまでも恩賞を求めた。北条氏も直轄領

の一部を割いて分け与えたりしたが、とにかく敵から何も分捕っていないのだからない袖は振れない、だが命を張って戦った武士たちはそれ

では不満である。北条氏はこういう恨みを引き受けることになる。


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