江別神社「宮司の独りよがり」

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きたろうの独り言 25 引用
きたろう 2005/1/28(金)10:08:01 No.20050128100622 削除
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          きたろうの独り言 25
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 知らぬこととはいえ、奥方ご母堂の逝去に愁傷を申し述べる時宜を失し、礼を喪うことになった。
 ご寛恕下されたい。

 更新された宮司の独り言を読んだ。

 さもあるらむ、と心痛を慮る。

 かたやで、先日、読んだ本の一節を思い出した。
 というよりも、この情景が忘れられずにいたのだが、この度の宮司の独り言と重なって見えたのである。

 概要以下の如し。

 年来の心友が急逝したのを聞いた老剣客が、
「やつの死に顔なぞ、見たくもないわ。」
 といい、葬儀にも参列せず、妻ひとりをその心友宅に向かわせた。

シチュエーションはまるで違うし、行かぬ理由も異なる。
 が、おそらく誰もが、この老剣客の気持ちも、宮司のこころ根も、心底理解し、納得していよう。

 逝去を痛む気持ちは、なにも葬儀場でしなければならぬものではない。
 むしろ、弔辞を読みたがる栄誉好きの老人がいると聞くが、そのような、上っ面の悲しみよりは、地球の裏側でこころの井戸の底から痛むほうが、いかに故人が喜ぶか知れない。

 「死ぬ」ということは、まことに恐ろしくもあり、悲しくもある。

 或る作家が、次のように言っていた。

 人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向かって歩みはじめる。
 死ぬために、生きはじめる。
 そして、生きるために食べなくてはならない。
 何という矛盾だろう。
 これほどの矛盾は、他にあるまい。
 つまり、人間という生き物は、矛盾の象徴といってよい。

 このように、悟り切れれば、それは、釈迦牟尼仏のようなものだが、凡人にはなかなか、その心境に至るのは難しい。

 そういう者でも、ふうっと、水が砂に染みこむように納得してしまう、そして、心強くさせてくれる詩があった。

 紹介して、哀悼の意を伝えたい。

   私のお墓の前で 泣かないでください

   そこに私はいません 眠ってなんかいません

   千の風に 千の風になって

   あの大きな空を 吹きわたっています

   秋には光になって 畑にふりそそぐ

   冬はダイヤのように きらめく雪になる

   朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

   夜は星になって あなたを見守る

   私のお墓の前で 泣かないでください

   そこに私はいません 死んでなんかいません

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