江別神社「宮司の独りよがり」

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Re: 昔の想いで
江別神社宮司 2006/1/30(月)09:40:09 No.20060130012314.1 削除
無記名様、懐かしいお話をたくさん書き込みして頂き
誠に有難う御座います。

昔の「神社山」は春夏秋冬、子供達であふれておりました。
まあ、「子供達」と言うよりは「ガキども」と言った方が
ふさわしい「たくましい子供達」だったように思います。

冬になると、うようよいる「ガキども」がいくもの
「ジャンプ台」をスコップ片手に作ります。

無記名様の仰る通り「急斜面のジャンプ台」を飛ぶには
けっこう勇気がいりました。

子供ながら「男の肝試し」みたいな雰囲気があったように
記憶しております。

一番急なジャンプ台で、一番飛んだ子は鼻高々の英雄だったのです。



お祭りは、これはもう、以前にもここに書きましたが
「凄かった」のです。

条丁目には240から250店の露店が軒を連ね、境内の上では
「能」と「演芸」、下では「映画」。

相撲、柔道、剣道大会は勿論、お化け屋敷やオートバイサーカス
には本当に興奮しましたし、今更に懐かしく感じます。

たしか一度か二度だけだったと思いますが、あの有名な
「キグレサーカス」だって来た事あるのです。

小生は隣の小学校から帰宅するのに、神社山を通ります。
その帰り道、境内の木に「象」がつながれていた時は
腰を抜かすほどビックリしました。

今のように「多くの娯楽」のある時代ではなかったので
「お祭り」はもう本当に「町をあげての大事業」でした。

男も女も、大人も子供もみんな、祭りに酔いしれる三日間
でした。

祭り好きな小生は暗くなるまで露店に出入りして、しまいには
店先ではなく、「店の中」で露天商の手伝いをしていて
帰って来ない小生を迎えに来た母親をビックリさせた事も
ありました。

「お祭り後の虚脱感」と言ったら、もう何とも表現しようの
ない淋しいものでした。


昔と比べると「祭りの規模」は小さくなりましたが、日本人に
とっての、日本の地域文化としての「祭り」の精神は普遍的であり
不変であります。

ですから当時の「うようよいたガキども」が今、江神會の幹部と
して祭りを盛り上げて下さっております。
ありがたい事であります。


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