義母の三回忌法要のため、静岡まで行って参りました。
本当の命日は12月26日なのですが、小生の仕事の都合に
合わせてもらい、一ヶ月早く法要を行いました。
この間に二度、グループホームに居宅している義父の見舞いに
行って参りました。
義父は今年で満90歳で「認知症」なのですが、いわゆる「まだらボケ」で
全く物事が分からない訳ではありません。
小生の事はほとんど誰なのか分からないみたいですが、女房に
対しては嬉しそうに、良く反応します。
居室においてある来訪者用の「日記帳」に父が書き込んだ文章を
読みますと、可愛そうになると共に複雑な心境に陥ります。
父が何を思い、何を感じて今現在を生きているのか、想像も
つきませんが「受け入れたくない情報」「知りたくない事実」を
脳が自然に拒否している様にも思えます。
いずれにしろ、人間とは「どうにもならんこと」の中で生きてる
と言う事でしょう。
「健康で長生きできて、しかも、愛されて、愛する対象がいて」
人が生きるとは、簡単なようにも、難しいようにも思えてきます。
でも、いくら長生きしても、いくら愛し愛されても
人は、そのうちに必ず死んでゆく訳だから、やっぱり
「生き様」が大事なのかと、いろいろ考えさせられます。 |