江別神社「宮司の独りよがり」

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正月行事と先祖の祈り 引用
江別神社宮司 2007/12/23(日)07:33:42 No.20071223073328 削除
伊勢雅臣さんの「正月行事と先祖の祈り」を紹介します。


■1.元旦とともに東からやってくる歳神様■

 現在の暦では正月は冬のさなかで、「新年」という実感には
乏しいが、旧暦では来年の元日は2月1日。冬至と春分の中間
にあたる立春のあたりで、寒さはまだ厳しいだろうが、少しず
つ日が長くなり、春の訪れが感じられる時期である。

 旧暦は月の満ち欠けに基づく太陰暦なので、大晦日(おおみ
そか)は闇夜だが、元日の夜には細い弓のような「新月」が現
れ、新しい月が始まる。

 その闇夜が明ける卯の刻(午前6時)に、歳神様が東の方か
らやってくる。歳神様は正月様とも呼ばれるが、祖先の御霊
(みたま)である。わが国では、死者が子孫を見捨てて、自分
一人、天国や西方浄土に行ってしまうとは考えなかった。祖先
の霊は子孫をいつも見守ってくれている一家の守護神であり、
同時に豊作をもたらす穀霊でもあった。[a]

 歳神様のお陰で、一家が一年を無事に過ごせたことに感謝し、
また新しい年も幸福に過ごせるようにお祈りする。年末から年
始にかけて様々な行事があるが、それらのほとんどは、歳神様
をお迎えするためのものなのである。

 その由来を辿ってみれば、我々の先祖が、一つ一つの行事に
どのような祈りを込めてきたのか、思い出すことができるだろ
う。

■2.歳暮、餅つき■

 年末には親やお世話になった人々にお歳暮を贈る。歳暮とは、
文字通り「歳の暮れ」を指すが、もともとは、歳の暮れになっ
て歳神様に米、餅、魚などをお供えしたのが始まりだった。そ
れが都会に出て帰省できない子供や遠方の親戚が、本家の祭壇
にお供えしてもらうよう、供物(くもつ)を贈るようになり、
それとともに両親の長寿を願ったのが、お歳暮という習慣に変
わっていった。

 お歳暮として塩ザケや塩ブリが好まれたが、これらは「年取
り肴(さかな)」と呼ばれ、年越しの食膳には必ず出されたも
のである。長期保存ができる点も重宝がられた。

 年末には餅つきをして鏡餅を作る。鏡餅も歳神様への供え物
であり、またご降臨された年神様が家の中で鎮座される場所だっ
た。

 もともと餅は神様に供える神聖な食べ物と考えられていた。
鏡餅と呼ばれるのは、昔の鏡が円形だったからで、丸い形は神
の御霊を象徴している。大小二つ重ね合わせるのは、月(陰)
と日(陽)を表して、月日をめでたく重ねる、あるいは、福徳
を重ねるという意味が込められていたようだ。

■3.大掃除、門松、注連(しめ)飾り■

 年末には大掃除もする。これは歳神様をお迎えするために住
居のお清めをする「すす払い」に由来する。住まいが清められ
て、人間の方もすがすがしい気持ちで新年を迎えることができ
る。

 それに門松。これは歳神様が迷わずにご降臨されるために門
につける目印である。とくに松が飾られるようになったのは平
安時代からで、松は古くから神が宿る木と考えられていたため
だ。さらにまっすぐに節を伸ばす竹が、長寿を招く縁起物とし
て門松に添えられるようになった。

 玄関口や神棚には「注連(しめ)飾り」をつける。神社でし
め縄を張るのと同じで、家の中が歳神様を迎える神聖な場所で
ある事を示す。しめ縄の簡略化されたものが、しめ飾りや輪飾
りである。

「年男」とは現代ではその年の干支に当たる人を指すが、もと
もとは歳神様をお迎えする準備を取り仕切る人を意味した。室
町幕府や江戸幕府では、古い儀礼に通じた人が任ぜられたが、
一般の家庭でも家長、あるいは、長男などが当たるようになっ
た。

 年男は正月が近づいた暮れの大掃除から、門松や注連飾りな
どの飾り付け、鏡餅や若水などの歳神様への供え物、おせち料
理の準備など一切を取り仕切る。

 こうして清められ、供え物も整った所に、いよいよ歳神様を
お迎えするのである。

■4.大晦日■

 1年の最後の日を「大晦日(おおみそか)」と呼ぶ。

 大晦日の「晦」は「暗い」という意味で、この日は月の出な
い闇夜だからである。月の満ち欠けを基準にする旧暦では、
毎月の最後の日が闇夜だったので、その日を「晦日(みそか)」
と言った。そして一年の最後の「晦日」を、「大晦日」と呼ん
だのである。

 大晦日は「おおつごもり」とも言う。「つごもり」は「月籠
もり」が転じたものである。この夜は月が籠もって姿を現さな
い。翌晩に出てくるのは新月であり、それが徐々に半月になり、
満月へと成長していく。その後はまた次第に細っていき、「月
籠もり」を迎える。我々の先祖は月の満ち欠けに人間の生死と
同じサイクルを観じていたのである。

 古くは一日の終わりは日没と考えられていたので、一年の終
わりは大晦日の日没時である。それとともに新年が始まる。そ
して大晦日の晩は身を清め、寝ないで翌朝の歳神様のご来臨を
待つ。

 大晦日の晩を「除夜」とも言うが、「除く」とは「押しのけ
る」という意味で、「古い年を押しのけて新年を迎える夜」と
いう意味がある。あるいは、「寝ないで朝まで起きているので、
夜が除かれるから」という説もある。

■5.初詣、除夜の鐘、おみくじ■

 大晦日の夜は、神社では境内で火を焚き、夜を徹して神主が
罪や穢(けが)れを清める大祓(おおはら)えを行う。一家の
長は、氏神の社に除夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる。
これを年籠り(としごもり)と呼んだ。

 この年籠もりが、大晦日の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」
の2つに分かれ、後者が現在の「初詣」の原型になった。

 寺院では、午前零時を前にして除夜の鐘をつき始め、108
回鳴らす。これは中国の宋代に始まった慣習だが、静かな夜更
けに響く鐘の音は、いかにも荘厳な雰囲気を盛り上げる。年神
様を迎える聖なる時にいかにもふさわしい。

 異国から伝えられた仏教行事も八百万の神々のおわすわが国
では、土着の慣習に自然に融合しているのである。

 初詣の際に、おみくじを引くようになったのは、江戸時代ご
ろからのようであるが、くじによって神意をうかがうことは、
そのはるか昔から行われていた。鎌倉時代には、農村で用水を
田に引く順番を決めるときや、漁村で漁場の割り当てを決める
ときに、話し合いがつかない際には、村人たちがそれぞれ名前
を紙片に書き、神主がお祓いをしてから紙片を引いて決めた。

「神仏の配慮は公平」と信じられており、おみくじは、地域共
同体を円滑にまとめる手段であった。日本の神様はこんな所で
も助けてくれる。

■6.「神人共食」■

 歳神様のご降臨の前、午前4時頃に最初に井戸から汲む水を
「若水」といった。これも歳神様にお供えするものである。

 若水を汲むことを「若水迎え」と言って、その途中で人に出
会っても話をするのは厳禁とされた。神棚に供えたあとの若水
を飲めば一年の邪気を除くと信じられていた。

 おせち料理は、もともと季節の変わり目として何回かある節
句の時に歳神様にお供えする「お節料理」だった。やがて、節
句のなかでも正月がもっとも重要なものということから、正月
料理を指すようになった。

 またお雑煮は、歳神様に供えた餅を神棚から下ろし、それを
野菜や鶏肉、魚などを煮込んで作る。関西では丸餅を使うが、
これは現在でも歳神様に供えた鏡餅をかたどっているためと言
われている。

 おせち料理やお雑煮などを食べるのに使う祝い箸は両端が細
くなっている。これは一方で歳神様が食べられるからである。
このように歳神様と家族とで一緒に食事をすることを「神人共
食」という。

 どこの国でも、お客に食事を出して一緒に食べることが、お
互いの親密度を高める手段となっているが、それが神様にまで
適用されているのが、わが国の面白い所である。日本の神様は
一神教のように天地を創造した超越神ではなく、子孫の家に上
がり込んで饗応を受ける、気さくな親しみ深い存在なのである。

■7.数え年とお年玉■

 元旦に飲むおとそは、もともとは中国の唐代から飲まれるよ
うになった薬酒の一種で「お屠蘇」と書く。「悪鬼を屠(ほふ)
り、死者を蘇らせる」という意味で、こう書くと、日本人の感
覚からするとややグロテスクである。

 元旦にお屠蘇を飲む習慣は、平安時代に日本に伝わって、宮
中の元旦の儀式として取り入れられ、やがて庶民の間にも広まっ
ていった。御神酒を神様に供えるという日本古来の風習との親
和性があったからだろう。除夜の鐘と同じく、異国の習慣でも、
古来からの日本の風習と親和性があるものは、素直に取り入れ
る所に、我が祖先の柔軟性が窺われる。

 数え年では、元日に家族全員が一斉に年をとる。だから、古
い年を無事に過ごし、新しい年を一緒に迎える正月は、格別の
ものがあったろう。西洋流に個人毎に異なる誕生日を持つとい
う風習が広まって以来、年をとるということは、ひどく個人的
な営みになってしまった。

 一緒に年を取るのは家族ばかりではない。家で飼っている牛
や馬、臼や鍋、釜、包丁、鉈などの道具も一緒に年をとると考
え、餅を供えたりする。動物や道具も一緒にこの世で生を営ん
でいるという仲間意識のようなものを持っていたからであろう。

 正月に子供たちが貰うお年玉は、もともとは歳神様からの贈
り物だった。歳神様にお供えした餅を下ろし、年少者に分け与
えたのが始まりと言われている。地域によっては、歳神に扮装
した村人が元旦に各家庭を回って、子供たちに丸餅を配って歩
く風習がいまだに続いている。

■8.鏡開き、小正月■

 1月11日には、歳神様に供えた鏡餅を下ろして、雑煮や汁
粉にして食べる。これを「鏡開き」と言う。歳神様が宿ってい
る鏡餅に刃物を入れるのは忌むべきことなので、手や木槌で割
る。また「切る」「割る」とは縁起の悪い言葉なので「開き」
と言いかえる。

 昔の武家では、鏡餅で作った雑煮や汁粉を主君と家来が揃っ
て食べ、商家でも主人と使用人たちが一緒に食べた。「神人同
食」と同様、同じ食物を共に食べることで、親密さを深めるこ
とができるのである。

 1月15日を「小正月」という。新年の最初の満月の日であ
る。この日の朝には小豆がゆを食べる習慣があった。小豆のよ
うな赤い色の食べ物は、身体の邪気を払うと考えられていた。
めでたい時に、赤飯を炊くのもこの理由からだろう。

 この日の前後に「左義長」または「どんど焼き」「どんど祭
り」などと呼ばれる火祭りが行われる。正月に飾った門松やし
め飾りを、神社や寺院の境内に持ち寄って燃やす。その時の煙
に乗って、新年に訪れた歳神様が天上に帰って行く。

 この時に、餅や芋、だんごなどを棒に刺して、焼いて食べる
と、その年は無病息災であると信じられていた。

■9.ハレとケ■

 古来から日本人はハレの日とケの日を厳密に分けていた、と
いう民俗学の説がある。ケの日はふだんどおりの日常生活を送
るが、それが続くと次第に生きるエネルギーが枯渇してくる。
それが「ケ枯れ」(汚れ)である、という。

「ケ枯れ」を回復するために、人々はハレの日の祭事を行う。
日常を抜け出して、「晴れ着」を着たり、神聖な食べ物である
赤飯や餅を食べたり、酒を飲んだりする。

 正月は、そのハレの日の中でも中心的なものであった。禊ぎ
をして身のケガレをとり、家のお祓いをして、歳神様をお迎え
する。歳神様は一家の守護神であり、また豊穣の神でもあった。
この慈愛あふれる歳神様と酒食を共にすることで、人々は新た
なる年に向かうエネルギーをいただく。

 我々の祖先は、こうした豊かな世界観に基づいて、正月行事
を行い、そこから新しい一年に向かうエネルギーを得ていたの
である。

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