江別神社「宮司の独りよがり」

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「年 頭 の ご 挨 拶」 引用
江別神社宮司 2007/12/31(月)07:44:03 No.20071231074250 削除
「年 頭 の ご 挨 拶」 
      ―日本人の神(かみ)観念(かんねん)と祭の意義―





人間は、大自然を構成する自然の一部である。
人間は大自然から多くの恵みを頂いて、生かされている。
光や温度、食物に至るまで大自然の恩恵に預かっている。

そして、いくら奇麗事(きれいごと)を並べても、我々は多くの動植物の命を
奪いながら生きている。
今までにどれほどの牛や豚、鳥や魚を殺してきた事か。
もっと言えば、稲や野菜や果物にも命は宿っている。

しかし、それを殺生(せっしょう)しなければ我々の命は守れない。
故(ゆえ)に殺して食う。

これは「生命(せいめい)維持(いじ)の原理(げんり)」である。

だからこそ人間は「無駄な殺生をしてはならない」という倫理観と
「大自然の恵みに対する感謝の心」を肝(きも)に銘(めい)じなければならない。

しかし大自然は時として不安や恐怖を、人間に与える。
地震や台風は、我々の命を奪う事さえある。

この「有難(ありがた)いけれど恐ろしい」という恩恵(おんけい)と恐怖が、
大自然に対し畏敬(いけい)の念を抱かせ、共に生きることを誓わせる。

大自然の中で、自然の一部として共に生きようという強い意志は、
大自然に神の魂(たましい)を見出す。

我々の祖先は大自然の万物(ばんぶつ)、風や水、草木に至るまで
神の魂が宿ると信じて生きてきた。

日本人の神(かみ)観念(かんねん)は、その実生活の中から、
ごくごく自然な姿で育(はぐく)んできた。



そして、稲作を中心として生活してきた農耕民族たる日本人は、
豊作を願う気持ちから、また天候などの自然に対する気持ちから
「祈りと感謝の行事」つまり、「祭」を生み出してきた。

「大自然に神の魂が宿る」と信じる民族の感性が多くの祭を育み、
守り伝えてきた。

祭は日本の悠久の歴史の中から育まれてきた、日本人の信念や美意識を
凝縮(ぎょうしゅく)し具現化(ぐげんか)したものである。

祭は人間が大自然の恵みから頂いたもの、食物や織物、木工品、金属工芸に
至るまでのその恩恵(おんけい)を供え「ありがとう」という感謝の誠(まこと)を捧げ、
共生を誓う日本人の行事である。

故に祭は日本国中津々浦々(つつうらうら)の、あらゆる町や村の地域社会で、
素朴な民族行事として守り伝えられる。

こうした「祭」を通じて、また「祭」にかかわる地域社会の人的ネットワークを通じて
「なじみの良い地域社会作り」に貢献(こうけん)出来れば、と願っている。


「なじみの良い地域社会」とは
例えば、お年寄りが近所の子供に生活の知恵を授(さず)けられる地域社会であり、
徘徊(はいかい)する認知症(にんちしょう)の老人を優しく見守れる地域社会であり、
困っている人にお互い様と言って手を差しのばす地域社会であり、
町内の子供達の顔と名前を知っている地域社会である。

「なじみの良い地域社会」を醸成(じょうせい)する事は犯罪の抑止力(よくしりょく)にも
繋(つな)がり、地域住民に多くの安心を与える。

悲惨(ひさん)な事件が頻発(ひんぱつ)する昨今の世の中を振り返る時、
日々の忙しさにかまけて忘れてしまった何か、また経済至上(しじょう)主義に
陥(おちい)って見失ってしまった何かがあったのではないかと反省する。

高齢者が長生きして良かったと思える町づくり、子供達の笑顔が絶えず、安心して
外遊びができる町づくりを、江別神社或いは祭の存在(そんざい)意義(いぎ)と
合わせて考え、実践(じっせん)していきたい。

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