義母の墓参りや、施設にお世話になっている義父の
お見舞いやらで静岡へ行って来ました。
認知症の義父の部屋に半日居ても、義父との会話は
ほとんど無く、義父も「何をどれだけ理解しているのか」
分かりませんが、ずうっと「まどろんで」いる様子でした。
「寂しい」という感覚はあるのでしょうが、それをきちんと
認識すると生きていけないので、「ボケ」が寂しさを誤魔化して
くれているのでしょうか?
義父のもとを訪れるといつも思うのですが、一人で長生きしても
何か可哀想な気がします。
施設の住人の中では父はまだ元気な方だと思いますが
「父の尊厳」と言ったものもほとんど感じられず、
だんだん「生まれた姿」つまり赤ちゃんに帰っていくのだなぁ
と思います。
距離的な問題もあって、父に対し大した事もしてあげられませんが
出来る限りの事はしようと思います。
こんな事言って、小生のほうが先に逝かない様に気をつけます。
宿から眺める「霊峰 富士」の美しさは最高です、癒されますね。
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