先ほど、年のころは30過ぎ位でしょうか、男性が社務所に
やって来ました。
もじもじしながら、「職を失って・・・・・」と言いましたので
まあ、いわゆる「お金の無心だなぁ」と思って、僅かなお金を
持たせてあげました。
つっ返そうかな、とも思ったのですが、そしてまた恐ろしくも
なかったのですが「このお金で飯でも食って、頑張って仕事を探しなさい」と
言って返しました。
彼は何度もお礼を言って社務所をあとにしました。
お金を渡した最大の理由は「可哀想」と思ったからです。
風体からして、それほど、何て言うか、所謂、浮浪者風では
なかったし、困った人が神社にやって来るというのは、何かまだ
日本人の日本人らしさの様なものを感じたからです。
以前にも書いたことがありますが、小生が小さい頃所謂「乞食」が
ちょくちょくやって来ました。
小生の母は「ちょっと、待ってなさい」と言って、大きな握り飯を
握って渡していました。
また、昨日刑務所を出所したばかりだという所謂「押し売り」の
様な人もやって来ました。
父は「どら見せてみろ!」と言って押し売りの人の風呂敷を
覗き込んで「じゃぁ、これとこれとこれ置いてけ」と縫い針や
ボタンや糸を買っていました。
小生は自分の行なった事が「人助け」とは、余り思っていませんし
正しい行いなのかどうかも分かりません。
きっと、あの時の父や母の姿が、心のどこかで原風景となって
残っているのでしょう。
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