昨日は平成16年12月26日に急逝した義母の祥月命日。
朝のお参りの時、たどたどしく「般若心経」を奏上いたしました。
あの世の婆さんは神主があげる「お経」をどんな気持ちで聞いて
いたのだろうか。
その前日の25日、小生が毎月お参りにお伺いする密教のお寺の
先住さんとお話をして、「目からうろこ」が落ちる思いをした。
もう60歳を過ぎた先住さんには、90代の寝たきりの母がいるそうで
時々「母は何のために生きているのだろうか?」と疑問に思う
事があるそうだ。
その時、先住さんは「母はまだ用事があるから生きているんだ」と
思うようにしている、と仰られた。
認知症になろうが、寝たきりになろうが、口がきけなくなろうが
「人はまだこの世に用事があるから生きている」と仰られた。
この言葉を聞いた時「ハッとした」思いだった。
静岡の老人介護施設にお世話になっている94歳で認知症の義父も
「まだこの世に用事があって」生きているのだ。
「義父の用事」とは一体何なのか?
これを考えるだけでも「我々に何かを与えてくれている」
「示唆をしてくれている」と思うのである。
密教の僧侶よりすばらしい「クリスマスプレゼント」を頂いた
思いだ。 |