江別神社「宮司の独りよがり」

||| ホームページ | タイトル一覧 |||

明けましておめでとう御座います 引用
江別神社宮司 2013/1/1(火)00:00:46 No.20121231233304 削除
明けましておめでとう御座います。
新春に当たり皆様の日々のご平安、またご多幸を心よりお祈り申し上げます。

実は、私は昨年入院致しました。二十六年振り、人生三度目の入院です。
病気を抱えるとは、まったく辛いものです。

気も弱くなりますし、何より「これから一体どうなるのだろうか?」という不安は
四六時中付きまとい、憂鬱な気持ちに陥ります。
病気のことを忘れるなど、一日たりともありません。

十二年前から狭心症を患い、強い心臓発作を起こした時など「もう自分は死ぬんじゃ
ないか」という恐怖も経験して「病気で苦しむ人の心」や「病人の立場の弱さ」を
充分に分かっている筈の私なのに、神様はまだ試練を与えてくれます。

鎮守の宮司として職業的意識は高いつもりの私なのですが「人の心の痛みが分かる」
という部分について、まだ修行が足りないのでしょうか。

久々に入院して、気が付いたことが幾つかあります。
まず、病気になって入院すると「感性が鋭くなる」様な気がします。

看護婦さんの何気ない一言に癒されて病魔に立ち向かう勇気がわいたり、家族や友人の
励ましに妙に感動して、改めてその有難さが身に浸みたりします。

また、窮屈な入院生活では三度の食事が待ち遠しくて、その度に「食うことの楽しさ」を
噛みしめます。
小さい頃、祖父が食事の時いつも言っていた「米粒残したら、目がつぶれる」
「ご飯を粗末にしたら、お百姓さんに申し訳ない」という言葉を思い出し、こういう躾を
されてつくづく良かったと感じました。

「一口三十回噛んで食べなさい」と口うるさく言う女房の言い付けもちゃんと守って
「いち、にい、さん、しい」と数えながら食事もしました。


こうして振り返ってみると、病気を抱えることが、我が人生のすべてにマイナスに作用
している訳ではありません。

「己の心の在り様」によって、「忘れかけていた有難さ」を思い起こすことが出来ます。

病気という厄介者からさえも学ぼうとするしたたかさが、落ち込む心に僅かながら光を
与えてくれます。

さて、世相に目を向けますと、近年の自然災害の多さには目を覆いたくなります。

また更には、長引く経済不況や政情不安の打開策を見出すことが出来ず、やり切れない
閉塞感に見舞われてもおります。

「我々はいったい、どう生きれば良いのでしょうか」

多くの人達が疲弊感を抱えて日々の生活を送らなければならず、こういった現象は人間から
明日への希望を奪い、低倫理社会を生む原因となります。

こんな時代だからこそ、せめて地域社会にあってはしっかりとした人間関係を築かなければ
なりません。

神社の大きな役割である「地域の伝統文化たるお祭り」を通じて「なじみのいい地域社会
づくりに貢献出来れば」という思いであります。

たとえ病気や災害や不況といった逆境であっても、そこから何かを学び取り、とりあえず
自分自身の周りで出来る事に取り組む姿勢を保つことが大切と思っております。

今年もまた病気と同居しながらしたたかに、そして、しぶとく生き抜きたいものであります。

どうか宜しくお付き合い願います。

パスワード  (ヘルプ)


    << 戻る