今日から弥生、3月であります。
二、三日前から最高気温がプラスになり、凄く暖かく感じます。
暖かいって、本当に有難い事です。
ここ10日余りの間に感じた事を書きます。
それは「一杯の水」についてです。
「喉が渇いたなあ」と感じて、水道からコップに水を注ぎました。
たった一杯の水ですが、ちょっと目線を変えてみると大きな意義を見出す
ことが出来ます。
この目の前にある誰でもいつで手に入る一杯の水が、ここに辿り着くまでに
どれ程の人達が携わっているかを考えました。
まず水やコップの製造にかかわった浄水場やガラス工芸で働く人たち、この
浄水場などの施設の建築に携わった人たちがおります。
更には建築資材や工場機器の製造に関わった人達や、その運送を担当した人達。
また原材料を作ったり、運送に必要な石油製造に関わった外国の人達。
たった一杯の水が小生の手元に届くのに、どれ程多くの人達が関わって
いるのでしょうか!!
そのほとんどの人達の顔も名前も知りませんが「一杯の水」を通じて
関わり合いになっていることは事実であります。
そしてその事に思いを馳せれば、決して自分は一人で生きられない事を
改めて知ると共に、自分の生き様が誰かの役に立っていなければならないと
自覚します。
「信教の自由」も「言論の自由」も保障されなければなりませんが
「勝手に生きる自由」はないのです。
この世に生を受けた縁がある者すべては「誰かの為に役立つ」使命を
持っていると思います。
「一杯の水」が最近忘れかけていた「当たり前のこと」を思い出させて
くれました。 |