江別神社「宮司の独りよがり」

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おめでとう御座います 引用
江別神社宮司 2014/12/31(水)23:40:13 No.20141231233746 削除
明けましておめでとう御座います。
平成二十七年の新春を迎えるに当たり皆様の日々のご平安、またご多幸を心より
お祈り申し上げます。

さてまったく当たり前の事を申し上げますが、人間は食べなければ生きていけません。
そして、衣服や住居が整っていなければ快適に過ごせません。
要するに「衣食住」という物的要件が充たされていなければ、人間は生きていけません。

しかし、かと言って「衣食住」さえ充たされていれば、それで「幸福に生きられるか」と
言えば、決してそうではありません。

長引く不況で今現在「衣食住」に充たされていない人からすれば「何を言っているんだ」と
お叱りを受けそうですが、人間は「お腹がいっぱいなだけ」では幸福にはなれないのです。

ここに「人間の厄介さ」が潜んでいます。

人間は「衣食住」という物的要件が充たされるだけでなく、心もまた同様に充たされて
いなければ「幸福感を味わって」生きていけません。

では人の心は何によって充たされるかと言えば、例えば好きな音楽を聞いたり、読書したり、
スポーツでいい汗かいたり、欲しかった高級品を手に入れ満足すると言った精神的要因
或いは物的要因によって充たされますが、最も充足感を感じるのは「良好な人間関係」に
よってであると思います。

私は人間の最後の喜びとは「人から認められること」と信じております。
「人から認められること」とは、「人から感謝される、尊敬される」ということです。

そして、これらは「人の為に尽くす、社会の為に尽くす」といった行為から与えられる
「人格或いは人徳」を身につける事によってのみ可能であると思います。

しかし「人の為に尽くす、社会の為に尽くす」といっても、それはそんなに大袈裟に
自己犠牲を強いる様なものではありません。

地域社会の一員として笑顔で近所付き合いし、真面目に働けばいいのだと思います。

私は三十年以上、神職として江別神社に仕えて参りました。
そして人間というものをどの様に捉えているかと言えば、基本的には「性悪説」の立場を
とっています。

しかし自分の周りを見渡すと、私と関わりのあるほとんどの人達が「性善説」の方々です。
私が誠意を示せば、ほぼ間違いなく「誠意」で返って来ます。

こんなに有難いことはありません、

いくつもの持病を抱える身で、しかも六十歳を過ぎ人生の第四コーナーをとっくに
回っている私ですが、自分の果たすべき役割を実践して「人から認められる」
「鎮守の宮司にふさわしい人格」を身につけたいと願っております。

今年もどうか宜しくお付き合い願います。

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