今日4月11日は我々夫婦の三番目の子供の命日です。
平成6年の今日、女房の腹の中で命を宿って二か月で亡くなりました。
この年の12月か平成7年の一月に生まれる筈でしたので、もし生きて
いたとしたら二十歳を迎えています。
健診の際に超音波で写した写真が一枚残っています。
もちろん男女の区別も分かりませんが、女房は「女の子」と信じ切って
いて、名前を「はる」とつけました。
ちょっとクラシカルな命名ですが、ちゃんとお祀りしています。
実はこの日、第三子の命日になってしまったこの日は神社の青年会の
会議で東京に出張予定でした。
当時、北海道の事務局長だった小生は凡そ20人分の航空券等を預かって
おりました。
この日の前日の夜に女房は出血し、当日の朝、自分で病院へ行きました。
小生は仲間に航空券等を渡すためにどうしても千歳空港まで行かなければ
なりませんでした。
空港までぶっ飛んで行き、江別に戻って病院へ直行すると、第三子は既に
流産した後で、ベッド上の女房は青白い顔で一言も口をききませんでした。
小生は本当にバカでノー天気で、出血したくらいで子供が流産するわけ
ないと思っていたのです。
しかも、この出張に「ついでに」、この頃狂っていたゴルフの予定も
入れておりました。
忙しい忙しいと言いながら、ちゃっかりしていた自分なので、女房や第三子に
対して、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
はるちゃんには、そのうちに小生が同じ世界に行ったらたくさん遊んであげようと
思っています。
女房には生きれいるうちに孝行しようと思っています。 |