中国・武漢から発生したウイルス禍から4年が経ち「この間に強いられた巣ごもり生活の
お陰」で挑戦・達成したことをまとめてみました。
➀包丁が研げるようになった。
いつもは先輩にお願いしていた「包丁研ぎ」を何とか自分で
出来るようになって、切れない包丁で調理するストレスから解放された。
A年に何度か社務所を訪れる外国人達に刺激されて、英会話の勉強を再開した。
勉強と言っても晩酌後から就寝前の間に10分から15分程度、
会話の練習をするが、余り身についているとは言えない。
それでもウイルス禍でほぼ失いかけていた英語への向学心を
呼び戻どすことにはなっている。
B跡取りの息子が戻ってきて以来、毎年2月の無聊に海外旅行に行っていたが、
それが行けなくなった為、旅行の為に積み立てていた預金が結構な額になり、
それを元手にお墓の改修工事を行った。
軟石製だった我が一族の墓の傷みが随分と進み、それを何とかするのは自分の責任と
思っていたので、改修出来てどれ程「安心を頂いたか」知れない。
Cもうほとんど諦めかけていた海外旅行だが、我が娘同然の子が韓国で結婚式を挙げ、
それに参列するために韓国へ行けた。
二泊三日の弾丸ツアーだったが、まるで「修学旅行」みたいにはしゃいで楽しかった。
D人口減少、高齢化、不景気などが原因で、江別駅前地域は寂しくなったが、
今夏「こども盆踊り」を開催出来た。
地元の所謂「条丁目地区」に人達にとっては久々のイベントで、
大いに盛り上がり「こどもの笑顔が未来をつくる」というテーマに微力ながら貢献出来た。
E9月10日の江別神社例祭・神輿渡御の当日早朝に心臓発作を起こし救急搬送されたが、
息子が後日祭を始めとする例祭の神事を無事に執り行った。
心臓発作は辛く、恐怖心の湧く出来事だが、そのお陰により息子が例祭行事を仕切る
機会を得、またやり遂げたことは嬉しかった。
今年一番の喜びだ。
こうしてここ3年〜4年を振り返ると、「負の要素」を
「プラスに転換」出来たことが幾つかあった。
まさに「ピンチをチャンスに」である。
生身で生きていれば、辛いこと苦しいことは沢山あるが
その隙間からチャンスを伺い、嬉しいこと楽しいことを見つけ出す。
来年もしたたかにジュガールしたい。 |