江別神社「宮司の独りよがり」

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台湾リポート 引用
江別神社宮司 2024/2/23(金)17:42:28 No.20240223173620 削除
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台湾リポート

3泊4日の日程で台湾へ旅行した。

初日と最終日は移動のみなので、実質二日間の自由行動。

初日:仙台経由で台北へ。

ここでまずドジ踏んで「入国カード」を持たずに入国審査を受けて、
もちろん戻されて30分も順番待ちで並んだのに、また更に30分並んでようやく入国。

 1時間以上も立ちっぱなしなので、もうこの時点で持病の椎間板ヘルニアが悲鳴をあげ始める。

 今まで18の国と地域へ100日以上も海外旅行しているのに、
こんな初歩的なミスを犯して、もう情けなくて忸怩たる思いでいっぱいだった。


 空港からMRTという地下鉄で移動し滞在ホテルへ向かう。

このホテルは地下鉄駅と直結で便利なのだが、地下街が想像もつかないほど広くて出口を探すのに苦労しながら午後10時に
チェックイン。

腹は減るし、腰は怠いし、夜店に行く元気は湧いてこず、コンビニの酎ハイで晩酌し、さっさと寝る。


:2日目

朝食を近くの屋台風の店で摂る。

婆さんが一人で切り盛りしている小さくて汚くて臭い店だが、黒飯の中にごちゃごちゃ混ぜてある
おにぎりと豆乳の味はまあまあだった。

帰国日は早朝にホテルを出て地下鉄に乗るのだが、
地下鉄駅の端から端まで1q位あるので、
ここで迷ってはまたドジを踏むと感じ、復路の予行演習を行った。

ほとんど迷わずに空港まで行き、コーヒーを飲んで台北まで戻り、
地下鉄を乗り換えて台北101というタワーへ行ってみる。

 ビジネス街なのか、ちっとも面白くないので、この辺りでの昼食は中止して
台北駅まで戻る。

ここで今旅行一番のドジを踏んでしまう。

何と地下街で迷子になりホテルへの出口を見つけられず、1時間半も徘徊してしまった。

さっさと地上へ出ていればいいものを、意地になって歩き続け深い闇へ葬られた。

きっと私は登山で遭難するタイプの人間らしい、
加えて老人性の意地っぱりに思い込みの激しさ、ボケが重なり、こういう事態を招いた。

黙って一緒に歩き続けてくれた女房には、本当に申し訳なく思う。

「いったい自分は何をやっているのだ」身も心もボロボロになりながら
夕方からは今回最も楽しみにしている「九份」へのオプショナルツアーに参加だ。

 「九份」は凄い。

日本が台湾総督府を置き統治していた頃に石炭や金を発見し、
その山をインフラ整備して産業を興し小学校まで作って、開発し発展させた。

要するに山肌に町を作ってしまったのだ。

 ガイドの台湾人も「日本のお陰だ」「日本人に感謝している」と感慨深げだった。

映画「千と千尋の神隠し」の舞台にもなり、現在は観光地として
有名で、この日も多くの人で溢れていた。

山肌の町は石で出来た150段ほどの階段で行き来する。

道幅は2〜3mでかなり急だ。

我々が登り始めたころはまだそれ程混んでいなかったが、暗くなると狭い道幅
いっぱいの人出となり、中には結構強引に人を押しのけてでも前へ進もうとする輩もいる。

「もし、こんな急階段で誰か転んだら大事故になる」
韓国・梨泰院の圧死事故を思い出し、頂上までは登らずに引き返した。

 午後9時ころにホテルに帰ったが、近辺の夜市はほとんど終了していて、
結局この日もコンビニのおでんと酎ハイ、日本酒の晩酌となった。

:3日目

 半日で台北市内を回るオプショナルツアーに参加した。

台湾一のパワースポットと言われる「龍山寺」を台湾流でお参りし、おみくじをひいた。

女房も私も「上上」でガイドによると日本の「大吉」に当たり最高の運勢と言われた。

そして「何を祈ったか」というと、私如きが「世界平和」を
祈るのは何だかおこがましい感じがして、とりあえず
「私の知っている人たちが平穏に暮らせますように」と
手を合わせた。

 オプショナルツアーは永康街という繁華街で解散し、ガイドが教えてくれた
「小籠包」の超有名店に行くも、既に100人位並んでいたので観光客が押し寄せないような
ローカルな店を選んだ。

ワンタンのスープも麺も甘しょっぱいひき肉がのったご飯も、全部美味しかった。

漸く台湾らしい食事にありついた。

 一度ホテルに戻って昼寝して、晩御飯は士林の夜市に決めた。

加齢と共に「昼寝が旅行に欠かせない日課のひとつ」になってきた。

夕方からもうひと踏ん張りして士林を歩き回り、お寺があればお参りし、
晩酌へとたどり着くために「昼寝」は大事な行事だ。


:4日目

 午前4時起床、6時にホテルをチェックアウト、空港へ向かう。

最も心配だった心の臓も頑張ってくれて、ずっと行きたかった台湾旅行を
無事に終えることが出来た。

女房の歩数計によると二日目には20,000歩以上歩き、とにかく
歩き回った旅行だったが「思うところ」もたくさんあった。


➀大陸(中国)から「化外の民」と馬鹿にされ「蛮族、土人」と相手にされなかった
台湾人にとって、功罪はあろうが日本が
台湾総督府を置き近代国家として発展を遂げることが出来た。


A当時東洋一の規模を誇った「烏山頭ダム」を作った
「八田與一」はその功績が称えられて銅像が建立されている。

しかもその銅像を作ったのは彼を尊敬し、感謝する「地元の農民たち」だったという。

「八田與一は日本人の誇りだ」と改めて思う。


B「私は台湾人です」という言葉を何回か耳にした。

私はこの言葉に彼らの矜持を感じる。
「自分たちは決して中国人ではない、台湾人だ」と。

李登輝も金美鈴も同じことを言っていた。


 ガイドが「台湾もウクライナみたいになるのかな」と漏らした。

現在、台湾人が最も恐れている事態だろう。

だが我々も「台湾有事は日本有事」と認識すべきだろう。

何故なら与那国島と台湾とはたったの110qしか離れていない。

中国から見れば日本も台湾もひとつのライン上の国だ。

どうすれば良いのか私如きに分かる筈もないが、台湾をクワッドに加えるべきと思う、
どんなに中国から反発されようとも。

C乞食(浮浪者)に出会うと「施し癖」が浮き上がってくる。

地下鉄の駅で男か女なのかも分からない乞食に小銭を渡してきた。

この癖をつけさせたのは昨年逝去した我が師である。

「海外でとりあえず目の前に困っていそうな人がいたら金を渡せ」と。

お元気なころは毎年のように海外旅行されていた我が師、
帰国時には両替した有り金全部を人に渡したり、
寄付箱に入れていた。


自己満足でも危険行為でも何でもいい、私は師の教えに従う。

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