明年1月10日から13日まで、第5回目の「赤穂エンカウンター・グループ」。
於 赤穂ハイツ――各部屋からの瀬戸内の眺望絶佳。
昨年そこへ出かけたときは、
宣長の『石上私淑言(いそのかみささめごと)』からのコピー持参。
今年は、確か、『玉勝間(たまかつま)』からのコピーだった。
一昨年の春頃から、宣長の著作を読み出したのだったか?
14〜15年前になるか、無闇と文語文が読みたくなり、
新井白石の自伝、『折たく柴の記』を手に取ったのが、
宣長まで繫がってきたのだと顧みられる。
白石が、“聖人の道”――儒教の学びと実践へ導かれたのは、
少年の時に、友人宅を訪うと、
彼の机上に中江藤樹の『翁問答』が積まれており、
それを借り受けて目を通したのを契機とする。
私も、白石の自伝の後、
藤樹晩年の、師弟の問答形式の著作を選択したものだ。
それから、藤樹の弟子、熊沢蕃山の『集議和書』など・・・・・。
宣長は、儒教仏教の「道」を、
“さかしら”(人智の思い上がり)と頑なに拒否するが、
彼もまた、「道」を説く。
その学びこそ、古学という学問の要なのだと。
彼の「道」とは何か?
いわば“いのち”が人という形をとったのであるから、
それに自ずから備わっている、
人としての生き方に添って行くということ。
理屈でなく、
事実として「道」を暗示する書が『古事記』というわけだ。
だから、それを読み解くには、
知識、知力に加えて、というより、その前提として、
歌――言葉を愛でる感受性の養成が不可欠になる。
(サラの卵が、一昨日で、10個に達した。) |