大学で第2外国語にドイツ語を選択したので、
今も、単語の意味は幾らか分かるし、文であれ発音は可能。
音楽評論家の吉田秀和氏が、90代半ばから執筆された、
愛聴されるリート(歌曲)をテーマとする随筆、『永遠の故郷』4部作には、
老いて益々瑞々しく、鋭敏な知性・感性に一驚もしつつ、
氏自身のエピソードも交えた歌曲への肌理(きめ)濃やかな道案内ぶりに感銘を受けたけれど、
一方で、この形態に心を添わせるには、
ドイツ語始め外国語への精通が不可欠と、
自分の無資格に気落ちさせられもした。
それが一昨年のこと。
この4月には、イアン・ボストリッジのテノールを聴いたが、
それは寧ろ、久しぶりに、
演奏会という非日常のシートに、身を沈めてみたかったからで。
近頃、新聞で、日本文学研究のD・キーン氏が、
自らのオペラ好きを語る記事を見かけたが、
ドイツ語もイタリア語も解さないという。
オペラの主役である歌唱、あるいは歌詞のいちいちをも、
純粋音楽同様、響きの妙として聴き取る。
英語のオペラは、言葉の意味を追いがちになるので、敬遠するとのこと。
私の従来の歌曲への対し方もこれに近かったものだから、
随分心丈夫になった――「俺だって有資格者だ」と。
昨晩の帰宅は夜遅くなったが、短時間でもと歌曲へ心が動いて、
フーゴ・ヴォルフ(1860〜1903)の『ゲーテ歌曲集』から3曲ほど。
さすがに夜気は秋めいて、
歌、ピアノ伴奏の潤いを際立たせてやまない。 |